いつもはのどかな本丸。しかし今日は空気が張り詰めていた。
 審神者である名前がぴりりと気をとがらせれば本丸にも影響があるし、霊力を受けている刀剣男士達にも緊張が走る。
 今日は政府の担当者が視察に来る予定だった。政府の人間も様々で、良い担当も居ればあまり良くない担当も居る。それは審神者との相性もある、と名前は思う。
 私の担当である男は、私とは尽く合わない。仕事が出来ない訳では無い。ただ、生理的に無理だ。気持ちが悪い。

「名前さ〜ん?どうしたんですかァ?」

 担当者に名前を呼ばれ、我に返る。相も変わらず気持ち悪い笑みを浮かべて近寄ってくる担当者に、距離を取ろうと身をよじった。大きい図体に近寄られると逃げ場が減るので、避けるのも難しいところだ。
 政府の視察は定期的にある。本丸がきちんと機能しているか、不正はないか。または政府に楯突こうとしていないか。恐らくその辺りをチェックしているのだと思う。
 うちの本丸は優秀だし、成果も上げている。視察自体は何も問題ないが、やはりこの担当者だけは気に入らない。

「今日も名前さんがお一人で着いてこられるのですねェ」
「…何か問題でも?」
「いいえェ。別にィ」

 いちいち癇に障る話し方をする人だ、と改めて思う。普通であれば近侍が審神者の伴をするものだ。けれど、うちの刀達をこんな奴に近寄らせたくは無かった。
 みんなからも担当者の評判は良くないようで視察に着いて行きたがったが、みんなにも仕事があるので断った。近侍である膝丸は広間で待機させている。

「まずは手入れ部屋から見ましょうかねェ〜」

 面倒くさそうに頭を掻きながら、担当者は手入れ部屋の扉を開けた。今は先の出陣で軽傷を負った秋田藤四郎が休んでいる。
 担当者が秋田を目で捉え、有り得ないという表情で私を見た。

「えェ、名前さん短刀を手入れしてるんですか?」
「刀剣男士が傷付いたら手入れするのは当然かと」

 最初はこの担当者が何を言っているのか分からなかった。しかし、この担当者の納得がいかないような表情を見て察する。こいつは短刀の手入れに使う資源が勿体ないのだと、そう思っているのだろう。
 部屋の隅にいた秋田が不安そうに私を見つめたので、笑顔で大丈夫だと返事する。

「まァ、良いですけど。資源は大切にしないと駄目ですよ」
「…うちは皆が優秀なので、資源の無駄遣いはほとんどありません。それどころか毎日遠征で持ち帰ってくれます。」

 あまり政府の者には言い返さない方が良いのだろう。しかし、うちの大切な刀剣男士を使い捨てるような言い方をされて、反論しない訳にはいかなかった。普段あまり人のことを嫌いと思わない私でも、この男は本当に、嫌いだ。





 本丸の視察を終えたので、担当者を客間へ通す。視察結果は後日改めて郵送されるが、担当者の所感は受けなければならない。一刻も早く帰って欲しかったが、もうすぐ終わるという事で何とか我慢する。

「…まァ、悪くないんじゃないですか」

 うちに問題が無いとはいえ、やる気が無さすぎてこちらまで脱力する。だらだらと見て周り、結局これでは視察の意味なんてないのではないかとすら思う。
 私がため息混じりにそうですか。と返事をした時、担当者がのそりと立ち上がった。

「それよりも〜…」

 段々と近寄ってくる男を見上げる。そいつは歪んだ笑みを貼り付け、鼻息を荒くしていた。
これは、ちょっとやばいかもしれない。
 両手を前に出し、いかにも下心がある事しか考えていません、みたいな顔。人の本丸に来てまでそんな事を考えるなんて、こいつは本当に政府の人間なの?
 後ろに下がってもじりじりと距離を詰められてしまう。逃げようと立ち上がった瞬間、腕を掴まれて引き寄せられた。
 男の腕の中で反射的に悲鳴を上げようとした瞬間、口をもう片方の空いている手で塞がれてしまう。

「ふ…ぅ……っ!」

 声を出せれば誰かが助けに来てくれるだろう。けれどそれも許されない状況にさすがに冷や汗が出る。
 何とか暴れて脱出を試みるが、どうしようも無い力の差があった。
 男の手が私の服にかかる。和服なので脱がそうと思えば簡単に出来てしまう。これは本当にやばい。
 そう思った瞬間、客間の扉が開いた。

「主、茶を……な、主っ!?」

 ガチャンッ、と大きな音がしたかと思うと膝丸は私を男から引き剥がし、更にそいつをぶん殴った。
 一瞬の出来事だったので思考が追いつけていなかったが、膝丸に抱き締められてようやく我に返る。
 男をちらりと見ると畳へ倒れ込み、よほどきつい一発だったのか気を失っているようだった。膝丸が内番姿で本当に良かったと思う。もし帯刀していたら、間違いなく斬っていたに違いない。

「主、大丈夫か?すまない、やはり俺がついていくべきだった」

 ぎゅう、と音がしそうな程に抱き締められさすがに苦しかったが、今は安堵感の方が上だった。

「あ、ありがとう…膝丸…」

 膝丸を抱きしめ返そうとして、手が震えていた事に気付く。自分が思っていたよりも怖かったらしい。震える手でそっと膝丸の袖を持つと、震えに気付いた膝丸が身体を少し離して顔を歪めた。

「主、もう大丈夫だ」

 1人にしてすまなかった、と膝丸は頭を撫でてくれる。温かい気持ちについ涙が出そうになったその時、肌蹴かけていた着物がずるりと下がり、肩を見せる。膝丸は真っ赤になりながら着物をすぐに直してくれて、そんな膝丸が可愛くてつい笑ってしまった。