ナックルシティはとても良い天気で、絶好の行楽日和だった。仕事が休みの名前はワイルドエリアへ向かう為に服を選んでいて、パートナーであるメッソンは隣で朝ご飯のパンを齧っている。
 カフェの店員として働く名前は料理が得意で、メッソンも名前が作るご飯には目がない。目玉焼きとベーコンを乗せたトーストを美味しそうに頬張るメッソンを見ては名前も幸せな気持ちになる。

 名前はトレーナーではないのでポケモンバトルはしない。むしろメッソン以外の他のポケモンすら所持していなかった。このメッソンは名前が捕まえた訳ではなく、幼馴染であるマサルがくれたタマゴから孵った子だった。
 この世界ではポケモンと協力して生活する事が当たり前だったので、バトルをする事が無くてもポケモンを連れている人の方が圧倒的に多い。しかし名前はなかなかパートナーと呼べるポケモンを決める事が出来ないまま成長し、今のカフェへ就職が決まった。
 その時、ポケモントレーナーとしてチャンピオンを目指しているマサルが就職のお祝いにとタマゴをくれたのだ。きっと名前はこの子を気に入るはず。そう笑顔で言ったマサルを信じて孵したタマゴから、このメッソンが産まれた。
 最初は初めてのポケモンで、子供を産んだ母親さながら扱いが分からず戸惑う事もあったが、(実際メッソンは泣き虫なのですぐ泣いては名前を困らせていた)今ではすっかりお互いの考えている事もわかるまでになった。

 「メッソン、もう食べた?そろそろ行こっか」

 服を決めた名前がメッソンの方を見やると皿はすっかり空っぽになっていて、最後のトーストのかけらを飲み込んだ所だった。
 ワイルドエリアに行くのは初めてで、人から話を聞いた程度の知識しか持っていない。動きやすい服装を選んだつもりだが、名前にとってどの程度の装備をしていけば良いかも分からないくらいにワイルドエリアは未知だった。

 そんな名前がどうしてワイルドエリアに行く事を決めたのかは、職場であるカフェのマスターの一言から始まる。
 そろそろ新メニューを作りたいと言い出したマスターが試作で出してくれたのはクリームパスタ。名前はマスターの料理が好きで手本にしているので、今回のパスタもとても美味しかったのだが、マスターの表情からするに本人はいまいちしっくりきていない様子だった。

 「名前ちゃん、かおるキノコって知ってる?」

 濃厚なクリームの味わいを楽しんでいる名前にマスターが問いかける。閉店後の時間だったので、客は気にする事なく話す事が出来た。

 「初めて聞きました…普通のキノコとは違うんですか?」

 かおる、と名前に付いているくらいだからきっと良い匂いがするのであろう。名前にはそれくらいしか想像がつかなかった。
 何でも、マスターはこの前お客さんからこのキノコの情報を教えてもらったらしい。とても珍しく、ワイルドエリアでしか見つからない。更には店では売っていない為、ショップでは大変高額で売れるそうだ。
 どうにかして手に入らないものか。仕入れが出来ないのでかおるキノコを使ったメニューはレギュラーに加える事は難しいかも知れないが、一度はお目にかかりたい。それに、新しい食材を見れば他のメニューのアイディアが浮かぶかも知れない。
 こうしてマスターの悩みを聞いた名前は、早速次の休みにワイルドエリアへ向かう事を決めたのだった。

 キノコと言えば木…林?と言う連想から、こもれび林で探してみる事にした。電車で集いの空き地へ向かい、ワイルドエリアの入口を目指す。
 メッソンは電車に乗るのが初めてだったので、流れる景色を座席から不思議そうに眺めていた。
スマホロトムでマップを見ると、まずうららか草原という所を抜けないといけないようだった。

 「スマホロトムのマップって結構ざっくりとしてるよね…」

 自分の現在地が表示されるのは助かるが、道の選択は自分の勘になる。ある程度開けている草原は見渡しもいいし、真っ直ぐ進めば林に辿り着けそう。野生のポケモンに注意しながら、メッソンを抱きかかえて先へと進んだ。どのポケモンも強そうで、無意識に緊張してしまう。
 足元を見ていると色々な物が落ちている。たまたま見かけた木の下では美味しそうなりんごが落ちていたので拾っておいた。

 ロトムがそろそろこもれび林だと教えてくれるや否や、空が急に曇り出した。やばい、と思った瞬間には既に雨が降ってきていて、傘を持って来なかった事を後悔する。ワイルドエリアは天候が変わりやすいと聞いた事があったが、まさかこんなにも急に変わるなんて思っていなかった。
 強く降る雨の中で引き返そうかとも思ったが、前が見づらく来た道も分からなくなっていた。仕方なく足元を見ながら前に進んでいくと、今度は雷が鳴り出した。
 ゴロゴロと唸る空に勘弁してよ、とうなだれると、近くに閃光が轟く。その瞬間、身体に衝撃すら走るその轟音に驚いたメッソンが名前の腕から飛び降り、駆け出して行ってしまった。

 「あっ!メッソン、待って!!」

 名前の制止も虚しく、瞬く間にメッソンは見えなくなってしまう。
訳も分からず恐怖だけで走っているに違いない。急いで追いかけないと、野生のポケモンに出会ったら危ない。ポケモンだけじゃなく、何があるか分からないワイルドエリア。怪我だけでは済まないかも知れない。
 血の気が引く思いでメッソンを追いかける。ここ最近、運動なんてしていなかったせいですぐに息が切れたが、そんな事は言っていられない。視界が悪い中、ポケモンと出会わない事だけを祈りながらメッソンを探す。

 メッソンを呼びながら無我夢中で走っていると、ロトムが見張り塔跡地と言う場所に入った事を教えてくれた。
 知らぬ間に雨は止んでいて、代わりに辺りは霧に囲まれる。水の攻撃は収まったものの、視界は更に悪くなってしまった。マップがあるので現在地はわかるが、目を凝らしても遠くが見通せないのでこれではメッソンを探す事が難しい。
 不安でつい泣きそうになってしまった時、メッソンの泣き声が聞こえた。そう遠くない場所で泣いている。

 「メッソン!どこ?!」

 泣き声を頼りに霧を掻き分けて進むと、そこには震えるメッソンと野生のゴースが居た。ゴースにとっては格好の餌食だったのか、今にもメッソンに襲い掛かろうとしている。
 メッソンが危ない。頭でそう思った瞬間、身体は既に前へ飛び出していた。
 震えるメッソンの腕を引き、こちらへ寄せる。ゴースを睨んではみるけれど、私一人が出てきたところで怯むような相手ではなかった。
 じりじりと詰められる距離に逃げる隙もなく。霧のせいで周りが見えず、走ることも難しい。
 メッソンだけでも守らないと。そう思いながら泣き続けるメッソンをぎゅっと抱き締めて、目をきつく瞑る。
 来たる衝撃に備えていると、背後から聞いたことのある声がした。

 「フライゴン、噛みつけ!」

 ポケモンの咆哮、ゴースの悲鳴。
 最初は何が起こったか分からず目を開ける事を躊躇ったが、先ほどまであったゴースの気配が完全に消えていた。
 びりびりとした威圧感から解放され、ゆっくり目を開ける。霧の中にはあろうことかナックルシティのジムリーダー、キバナとそのポケモンのフライゴンが静かに立っていた。
 キバナはフライゴンに礼を言うと、名前へ手を差し出した。

 「大丈夫か?」
 「あ、ありがとう…ございます…」

 メッソンを抱えたまま手を取ると、キバナが力強く引き上げてくれた。強張っていた身体の緊張が解けたのか足元がおぼつかず、ふらついてしまう。
 すかさずキバナが肩を支えてくれたので、どうにか倒れずにすんだ。

 「オマエ、ずぶ濡れじゃねぇか」
 「突然、雨が降ってきちゃって」

 眉を下げて笑って見せると、キバナはなんとも言えない表情で小さく息をついた。
 名前がワイルドエリアに慣れていないという事を、今の一言で察したらしい。

 「仕方ねぇ。オレさまがナックルシティまで送ってやるよ」
 「そんな、悪いです!」

 助けて貰った上に送って貰うなんて。しかもガラル地方最強のジムリーダーに。きっとこのワイルドエリアにも何か用があって来ていたはずだ。多忙なジムリーダーの時間を使わせるなんてとてもじゃないが恐れ多い。
 そんな名前の気持ちを知ってか知らずか、キバナはフライゴンに乗せてやってくれと一言頼むと、フライゴンは名前の横に降り立ち、乗りやすい様に屈んでくれた。
 ここまでされては断るのも悪い。素直に背中に乗せて貰うと、フライゴンは静かに浮いた。礼を言って背を撫でてあげると、フライゴンはくすぐったそうに身を捩る。その様子を見てキバナも頬を緩めた。

 「見たところトレーナーじゃなさそうだが、なんでワイルドエリアに居たんだ?」

 ゆっくり進む景色を眺めながら、名前は経緯を話した。その話を聞いてキバナは戦えるポケモンを持っていないのにワイルドエリアへ入るとは度胸があるとけらけら笑った。
 結局キノコは見つからなかったが、りんごが手に入ったのでそれをマスターに渡そうと思う。
 キバナはトレーニングの為にワイルドエリアへ来ていたのだが、霧の出ている見張り塔跡地に入ってしまったので引き返そうとしていた所らしかった。
 丁度通りかかった時にここに生息していないはずのメッソンの泣き声がしたので、行ってみたらゴースに襲われてる所だったとの事。

 「しかしお前無茶するなぁ」

 丸腰で野生のポケモンの前に飛び出すなんて普通はしない、と少し呆れ気味に言われてしまう。あの時はメッソンを助ける事に精一杯で、気付いたら既に動いていた。キバナが助けてくれなかったら命も危なかったかも知れない。

 「メッソンは、私のパートナーなので」

 当のメッソンを見やると疲れてしまったのか名前の腕の中ですやすやと眠っていた。寝顔が可愛くてメッソンの頬を指で触れる。
 こいつは本当にポケモンが好きなんだろうな、とキバナは思う。先ほどのフライゴンに対しての態度をとってもそうだ。自分が同じ状況だったら、きっと飛び出していたと思う。人に無茶をすると言っておきながら自分も同じ行動をしていたかもしれないなんて、一人で少し笑ってしまった。

 そんな話をしている間にナックルシティへと辿り着いた。すっかり身体の調子を取り戻した名前はフライゴンへ再び礼を言うと、地面へゆっくりと降り立つ。

 「此処までありがとうございました、キバナさん」
 「オレさまの事知ってたのか」

 もちろんです、むしろこのガラルで知らない人は居ないと思います、と名前が答えると、キバナは嬉しそうに礼を言った。

 「オマエの名前は?」
 「あ、ごめんなさい。名前と言います」

 色々な話をしたのに名乗るのをすっかり忘れていた。申し訳ない気持ちで謝るがキバナはそんな事気にもしていない様で、笑顔で名前の名前を復唱した。

 「名前。またな」

 踵を返して歩き出す後ろ姿に、周りの女性達が集まり出す。フライゴンも名前に一礼してからキバナの後ろを着いて行った。
 腕の中ではメッソンがまだ夢の中だ。またな、の意味を考えながら名前も家路につくのだった。