出会いは二年前、私がまだカフェの店員をしていた頃。
 こじんまりとした個人経営の喫茶店で、大学に通いながらバイトをしていた。マスターはすごく良い人で、大学からも近い喫茶店で働くのは楽しかった。毎日常連のお客さんと話して、マスターにコーヒーの入れ方を教えてもらって。
 そんな私の前に現れたのが悟君。

 元々常連だったようで、彼とマスターは顔見知りだった。最初の印象は、身長が高い。あと顔が良い。これだけハイスペックだと周りの女子が放っておかなそう。その程度だった。
 定期的に来る彼に挨拶するようになってから少し、私の身体に異変が起こるようになった。
 異様に肩が重い。肩だけじゃなくて、身体全体が重い。毎日ちゃんと寝ているし、ご飯も食べている。健康には違いないのに、どうして。
 病院に行くにもいまいち原因がわからず、そもそも何科に行けばいいのか悩んでいた時に、悟君が声をかけてくれた。

「名前はさ、幽霊とか見える方?」

 その頃には他愛無い話なんかもする仲にはなっていて、知らないうちに名前でも呼ばれていた。
 人との距離を詰めるのが上手いと思う。こうやって騙された女子は今まで何人いるんだろう、なんて考えて、この頃は悟君をすっかり遊び人にしようとしていたから今考えると申し訳なく思う。
 この時の悟君の質問は今でもどういう意図があったのかよく分からない。私は幽霊なんて見たことないし、見えないものは信じない。あ、でもホラー映画は怖い。

「五条さんは幽霊信じる人なんですか?」

 見えない、の答えの上に質問を重ねると、悟君は曖昧にうーんと唸った後「まあ、居ると思うよ。」と答えたのを覚えている。
 その後、悟君に「ちょっと後ろ向いて」と言われて素直に従った瞬間、身体が嘘のように軽くなった。

「え、どうして…?!」

 一瞬の出来事すぎて、ついキョロキョロと自身の周りを見てしまうけれど、何もない。
くるりと前に向き直った時、サングラスを少し下げた悟君と目が合った。

「僕、魔法使えるからさ」

 ぱちりと擬音語が聞こえそうなほど綺麗なウィンクに、落ちない女子は居ないと思った。





 あれから一年、私は大学を卒業して就職を決めた。マスターは喫茶店に就職しても良いよと言ってくれたけど、やりたい仕事があったからその道に進む事を決めた。
 喫茶店を辞める事を告げた日、悟君は驚いたように目を瞬かせた。サングラスから覗く長い睫毛が綺麗で、つい眺めてしまう。

「じゃ、ここに来ても名前に会えなくなる?」
「そうですね…」

 がっくりと肩を落とす悟君に少しだけ嬉しくなった。それって私に会いに来てくれてるみたいな言い方。
 マスターは「コーヒー飲みに来いよ」と一人ぼやいていたけれど、悟君には聞こえていないようだった。
 お世辞でも嬉しいと、そう伝えようとした時。

「それじゃ、付き合う?」
「………へ?」

 この一言にもなっていないような一言を発するまでに、すごく時間がかかった。まず突拍子もない言葉が出てきたせいで、私の頭は理解が追いついていない。
 何を、どうしたら、誰が、誰と?
 ぐるぐると回る悟君の言葉がまさか私に言ってるとは思えなくて、思わず後ろに誰か違う人が居るんじゃないかと振り返る。
 そんな私を見て悟君はすごく笑っていた。他にお客さんが居ないことは、分かっていた。

「名前は、僕のこと嫌い?」
「…す、好きです……。」

 少し背を屈めて覗き込むように言われてしまっては、美しい顔が近すぎて思わず後退りする。目を合わせることすら恥ずかしくて下を向くと、悟君は嬉しそうにやった、と私を抱きしめた。
 背中に回る手が思っていたより大きくて、身体が一瞬にして固まった。マスターが外でやってくれ、と言いながら笑っていたのを覚えている。

 悟君と付き合ってからは楽しかった。喫茶店に来ていた時だけじゃなくて、いつでも連絡が取れる。
 けれど悟君は忙しいみたいで、一週間連絡が返ってこないなんてこともよくあった。
 私はあんまり気にしない方だったけれど、友達に話した時に変だと言われてちょっと傷ついた。変だと言われた事にじゃなくて、考えてみれば私は悟君のことを何も知らなかったから。

 どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、交友関係だって知らない。
 仕事については聞いたことがある。けれど、曖昧に濁されて回答は得られなかった。分かったのは出張が多い仕事だということ。それに伴って連絡が取れなくなることも多々あると。

 それでも悟君のことを好きになったのは私だ。





「名前にさ、似合うと思って。」

 そう言って悟君が差し出してくれたのは、小さな小箱。可愛くラッピングされた箱にはリボンがかかっていて、見ただけでそこそこの値段がするものだと分かる。
 久しぶりに会えた夜、悟君の行きつけのお店に連れてきてもらった。銀座にあるお寿司屋さんで、メニューがかかっていない。
 回らないタイプのお寿司も初めてなのに、時価のお店なんて。プレゼントも合わせて悟君の羽振りの良さにますますハテナが浮かぶ。
 出来るだけラッピングを破かないように丁寧に開けると、そこには指輪が収まっていた。シンプルだけど小さな宝石が付いたデザインに悟君のセンスの良さを感じる。

「わ、可愛い…!」

 けれどこんなに高価そうなもの、貰っていいのだろうか。そんな不安が顔に出ていたのか、悟君は眉を下げて笑った。

「あんまり一緒に居られないから、不安にさせてるかと思って」

 悟君はそっと箱から指輪を取り出すと、私の薬指に何も言わず嵌めてくれる。
 この指輪見て、僕のこと思い出してよ。そう言う悟君は少し寂しそうで、言いようのない不安に襲われた。

 いつもそうだ。悟君はここに居るのに、本当は存在していないんじゃないか。ふとした時に消えてしまうんじゃないかと、よく分からない感情に苛まれる。

「悟君は、どこにも行かないよね?」
「…努力はする。」

 ぽろりと出た言葉にまた曖昧な答えで返される。
 悟君はきっと、命がけの仕事をしている。私の予測でしかないけれど、多分当たっている。だからその分財力もあるのだと変に納得した。
 悟君のことが好きなのには変わりないし、悟君が私の事を好きだと言ってくれる事に幸せを感じる。
 けれど待つことしか出来ないのは辛いことだと知った。

「僕は名前のこと手放す気ないよ」

 私の表情を見て察したのか、悟君が真剣なトーンで話す。
 サングラスから見える視線に、私はその視線に殺されたのだ。離れる気なんて、毛頭ない。

「大丈夫、ずっと待ってるよ。」

 悟君の帰って来られる場所になれるように。テーブルの下で指輪をつけた手を強く握った。