気が付いた時には私はもう産まれてしまっていて、世界の不条理に立ち向かうしか無かった。
意識があるというのはなんとも不思議な感覚で、色々歩いて見て回ったりしたけれど、そこらじゅう沢山いる人間達に私の姿は見えていないようだった。
世界に一人きり。
私の目から見える人間たちは楽しそうに話したり、笑ったりしている。
私はどうして産まれたのか。
何故人間たちは楽しそうに笑っているのに、私は一人きりなのか。
何もかも分からないまま、ただひたすら街を歩く。それしかすることがないから。

 人間にはいろんな種類が居ると知った。男、女、大人、子供。たまに肌の色が違う人間ともすれ違ったりした。
沢山の人間を見ている中で、漠然と自分は女であることを認識する。
目に映る全てが新鮮で新しく見えて、それと同時に一体自分は何なのかという疑問ばかりが湧き上がる。
自分の中にある確かな感情といえば、楽しそうに笑う人間が妬ましいと言うことだ。

 ふらふらと当てもなく歩いていると、小さな生き物を見つけた。それは人間たちの言う動物とは違う、もっと私と近しい何か。
その生き物は私と同じく人間からは見えていないようで、ひらひらと自由に飛び回りながら言語とは言えない何かを発している。
羽、いいなぁ。私も欲しい。そうすれば空を飛んで、ここではないどこかへ行って、誰か私を見つけてくれるかもしれない。

 公園の端で座り込み、ふわふわと空中を泳ぐ生き物をなんとなく目で追っていると、その先に男が立っていた。
それは姿形は人間と同じだったけれど、肌が継ぎ接ぎで縫い目があり、なんとも形容し難い雰囲気を纏っていた。
何より、その男と目が合った。
今までも人間と目が合う瞬間は幾度かあった。しかし目が合ったと思うのはいつも私だけで、向こうはすぐに視線を逸らす。
でも、今は向こうもこちらをちゃんと認識しているようだった。
初めての感覚に目を見開く。全身が粟立つ。

「アンタも呪霊?」

 へらりとした態度で近寄る男に、つい固まってしまう。
本当に私が見えている?こっちに向かってくるということは、きっとそうだ。
他の人間は男のことは見えていないみたいだった。
ということは、私と同じ存在?

「呪霊って、なに?」

 他人との初めての会話。それだけで嬉しくなる私は結構単純らしい。
誰かに認識してもらうことが、こんなに嬉しいなんて。

「あれ、産まれたばっかりなの?」

 その割にはしっかり会話出来るんだな、と男は話しながら隣に腰掛ける。

「アンタは呪霊。人間どもの負の感情から産まれた呪い。」
「呪い…」

 呪い、が何かはまだよく理解できていない。でも負の感情というのが、人間にとって良いものではない事はだけは分かった。
人間にとって良くないものから産まれた、それが私。
どうして産まれてしまったんだろう。笑い合える人間が妬ましい。羨ましい。苦しい。自分の存在意義に手が震える。
そうだ、私は人間の嫉妬の感情から産まれた。
存在する事の意味なんてないのかも知れない。それならどうして、私はここにいる?
考えれば考えるほど頭がこんがらがるし、答えは出ない。きっと答えなんてどこにもない。
ただ、私を産み落とした人間が憎い。

 ふと気付いた時には何やら目から水が溢れ出てきていて、視界がぼやける。
この感情はなんだろう。産まれて意識を持ってから、知らない事ばかりだ。
溜めに溜めた目元の水は、とうとう許容を超えて流れ落ちる。
ぼたぼたと留めどなく落ちるそれを、男が乱暴に自分の袖で拭った。突然のことに驚いて、つい目を瞬かせる。

「…一緒に来いよ」

 短く発せられた言葉には、きっと深い意味はなくて。
同じ呪霊として一人で居る私を放っておけなかったんだと思う。いまいち感情は読めないけど、優しさは感じ取れる。
男はすっと立ち上がり、来なければ置いていくと言わんばかりに歩き出した。

「ま、待って、」

 男の名を呼ぼうとして、それを教えてもらっていないことに気づく。
急いで立ち上がり、追いつこうと駆け出した。男の歩みは存外ゆっくりで、また優しさを感じる。
少し後ろを歩きながら、男に名前を聞いた。

「俺は真人。アンタは?」

 そういえば、自分には名前がない。産まれて間もないせいか、今まではそれを必要としていなかったからか。
それを伝えると真人は少し驚いた表情を見せ、考えるように顎に手をやった。
何かを思考する時は顎に手をやるのか。真人の仕草は人間の勉強になる、と思った。

「じゃあ、名前。」
「名前?…それが私の名前?」
「そ。この前読んだ本に出てきたから。」

 だから、名前。いい名前だろ?と、そう言って真人はまたどこへ向かうのか、歩き出す。
名前。真人がつけてくれた私の名前。
先ほどの空っぽな気持ちとは裏腹に、満たされていくような不思議な感覚。
真人はすごい、一瞬で私をこんなにも幸せにしてくれた。こんなにもどきどきと心臓が高鳴るのも、また初めてだ。
真人と一緒なら生きていられる。存在していられる。
先を行く真人に置いて行かれないよう、必死に後を着いて行く。
世界は、一人で歩いていた時とは比べ物にならないくらい鮮やかだった。