「お願い、野薔薇ちゃん!」

 学校での唯一と言っても良い程の友達にそう言われて、断れる術を野薔薇は持っていなかった。例えその内容がいくら断りたかったものだったとしても。

 声の主、名前とは同じ歳で、高専に入学してからというものずっと仲が良い。普段、呪術師とは思えない程ふわふわしている名前は、見ていてとても危なかしい。
 しかし素直でわかりやすい名前が、野薔薇は好きだった。

「名前、あんた一人で行けば?」
「む、むり。恥ずかしいもん…」

 困ったように眉を下げる名前に、野薔薇は天を仰ぐ。はっきりと断らない代わりに案を出してみたものの、はっきりと却下されてしまってはもう腹を括るしかない。
 どうして名前がこれほどまでに野薔薇にお願いをするのか、それは一週間前に名前が狗巻棘との任務についた日から始まる。





 呪術師としての才はあったものの、戦闘能力が皆無の名前は高専に入学してからずっと四級呪術師のままだった。
 そんな名前に五条悟が勉強のため、と狗巻の任務に同行するよう言い渡す。

 名前は狗巻があまり得意ではなかった。
 嫌いではないが、コミュニケーションが最高に難しい。それはもう、その辺のゲームのハードモードを越えるくらい難しいと思う。
 真希先輩やパンダ先輩を見ていると、慣れが大きいのだろう。雰囲気とか、なんとなくとか、感覚的なものもあるかも知れない。

「狗巻先輩、よろしくお願いします」
「しゃけ」

 いつもの通り返ってくるおにぎりの具は、相変わらず真意が分からない。表情も変わらないので名前の予想でしかないが、きっと肯定だろう。高専からそう遠くない任務地へは、歩きで向かうとの事だった。
 今回の任務の対象である呪霊は狗巻一人で十分対処出来ると聞いたが、呪術師になったばかりと言っても過言ではない名前は足手纏いにならないか不安になる。
 狗巻に遅れないよう後ろを着いて行くと、名前を気遣ってか狗巻は速度を落としてくれた。
 コミュニケーションは難しいが、優しい人なのだと名前は思う。

「おかか」
「ここですか?」

 狗巻が歩を止めて、ビルを見上げる。
 昼間だというのに薄暗い雰囲気を纏うそのビルは、まさに呪霊が好みそうな建物だった。強い呪霊との戦闘経験がない名前は、その雰囲気だけで圧倒される。

「すじこ」

 狗巻が一瞬名前に視線をやる。それが気をつけて着いてこいと言う意味なのは、なんとなく理解した。
 こうやってみんな狗巻先輩とのコミュニケーションに慣れて行くのか、なんて取り留めのない事を考える。
 ビルの屋内は薄暗くて、陽の光はほぼ入ってきていない。足元に注意しながら狗巻に着いて行くのが精一杯の名前。
 その名前の後ろに呪霊が回り込んでいる事に気配で気付いた狗巻は、とっさに名前の手を引いて自分の方へ寄せた。

「わっ…!」

 そのまま、とんっ、と軽く後ろへ押された名前は受け身が上手く取れず尻餅をついた。しかし、尻の痛みを感じる間もなく狗巻と呪霊の戦闘に圧倒される。
 その呪霊は動きが素早く、目で動きを捉えるのに精一杯だった。
 狗巻の後ろに隠される形になった名前は、邪魔にならないようにその場から距離を置こうとする。
 自分も呪術師なのだから何か出来るはずなのに、悔しいが経験と実力がこれほど違うと邪魔にならないようにしか出来ないのだと知った。

「動くな」

 狗巻が呪言を発すると、呪霊はピタッと動きを止めた。止めたと言うよりは強制的に止められた為、呪霊はなんとか動こうとその体を小刻みに震わせる。
 同時に狗巻が激しく咳き込む。狗巻が戦う所を初めて見た名前は、こんなにも体を削っているのかと驚きを隠せないでいた。

「爆ぜろ」

 かすれかけの声で狗巻が呟くと、ボン、と言う大きな音と共に衝撃が辺りを襲う。狭いビルの廊下で、呪霊は狗巻の言う通りに爆ぜた。
 また咳き込みながらも、爆風と肉片から守るように名前を背に立つ狗巻。身長はあまり変わらないはずなのに、その時はやけに狗巻の背中が大きく見えた。





 それからと言うもの、名前は暇があれば狗巻のことを考えてしまう。
 隣のクラスなのにやけに遠く感じるのは、会うタイミングが少ないからか。それとも話しかけに行く勇気が出ないからか。
 距離の詰め方がわからない。そもそも、狗巻は恋愛に興味があるのだろうか。

「うーーーん…」

 名前が一人で教室で唸っていると、野薔薇がタイミング良く──いや、悪く教室へ入ってきた。
 同じ学年で仲も良い名前が唸っているところに野薔薇が声をかけない訳がなく。名前から事情を聞いた野薔薇はあまり聞かない恋愛の話に少し楽しくなりつつ、一つの案を出した。

「お昼ご飯でも誘ったら?」

 野薔薇としてはあまり深く考えていなかったに違いない。
 ただ名前が狗巻と居られる時間を自然に作るとなると、昼を一緒に食べるのが一番自然に思えた。
 提案した本人はさておき、案を聞いた名前はと言うと星空でも見ているかのようにきらきらと目を輝かせた。

「野薔薇ちゃん、天才!」

 野薔薇の手を両手で取り、ぶんぶんと振る名前。名前の勢いに若干引き気味の野薔薇も、そんなに喜ばれるとは思っていなかったので少しだけ照れる。
 ただ、そこで名前が何かに気付いたようなハッとした表情になる。

「ね、ねぇ、それって二人っきりって事だよね…?」
「当たり前でしょ」

 何を言うんだ、とでも言いたげな野薔薇に、名前はみるみるうちに顔を赤らめる。

「急に二人っきりとか無理!」
「はぁ?!」

 突然何を言い出すかと思えば、二人きりは緊張するから無理だと言う。距離を縮めたいからこそ二人きりになるんだろ、と野薔薇は頭を抱えた。野薔薇には好きな人が居ない為、名前の気持ちはわからない。まあ、もし居たとしても二人きりが緊張する、なんて言うのは野薔薇の性格上、一生分からない事かもしれない。

「野薔薇ちゃん、一緒に来てくれない…?」
「…えぇー…」

 まさか友人が好きな人と仲良くなる為に出した案に、自分が巻き込まれるとは。しかもあの狗巻棘。以前よりは言ってる事はなんとなく理解は出来るようになったものの、会話の種が少なくて困る。

「お願い、野薔薇ちゃん!」

 必死に頼み込む名前は、野薔薇の目から見ても十分に可愛い。見た目がと言うわけではなく誰かを好きで、その為に必死になれる姿は誰だって可愛く見えるものだ。
 そんな名前の頼みを無下に断れる訳もなく。
 こうして名前、狗巻、野薔薇と言う謎の三人による昼食会が開かれようとしていた。





「狗巻先輩、おにぎり好きかなと思って、作ってきました!」

 そう言って名前が笑顔で取り出したのは、重箱。3段にも重なっているその箱に何が詰まっているのかと言うと、全ておにぎりだ。
 弁当と言えばおかず詰めるとかもっと何かあっただろ…。今、きっと野薔薇の顔にはこう書いてある。それくらいにわかりやすい表情をしている自覚があった。
 当の狗巻はと言うと満更でもないようで、嬉しそうにおにぎりを選んでいる。
 3段って言う多さには何も無しか、とも思ったけれど、自分か疲れるだけなので野薔薇は突っ込む事を諦めた。齧ったパンがおいしい。それだけを考えてこの場に居ることにする。

「狗巻先輩はどの具が好きですか?」
「ツナマヨ」
「あ、ツナマヨはこれです」
「しゃけしゃけ」

 会話になってんだかしゃけなんだかややこしいな、と野薔薇は無意識に思う。これはもう病気かもしれない。最近は周りにボケが多いせいで(主に虎杖や五条)自分がツッコミに回ることが多いからだ。昼休み終わったらとりあえずあいつらシバこう。
 虎杖と五条に八つ当たりの危機が迫る中、隣の二人は楽しそうに昼休憩を満喫している。

「野薔薇ちゃんも食べない?」

 たくさんあるから、と重箱を差し出されては断る理由もなく。パンしか持っていなかったのでありがたく頂戴することにする。
 ぱくぱくとおにぎりを食べる狗巻を見ている名前は嬉しそうで、それだけでも昼食会に付き合う意味はあったかなと野薔薇は静かに微笑んだ。
 あれだけあったおにぎりも三人で食べてしまえばあっという間になくなり、丁度昼休憩も終わる頃で名前は空になった重箱を片付け始める。

「狗巻先輩、おいしかったですか?」
「すじこ」
「良かった!」

 名前もだいぶ慣れたらしく、狗巻の言葉が通じているようだった。少しは2人の距離も近づいたんじゃないかと、自分の役目を終えた気分になる野薔薇。

「それじゃ、明日も作ってきて良いですか?」
「しゃけしゃけ」
「わぁ、じゃあ明日も三人で食べようね、野薔薇ちゃん!」
「えっ?!」

 完全に気を抜いていた。驚きすぎて声がひっくり返った。今役目を終えたばかりなのに、明日も?この三人で?
 決して嫌な訳じゃないが、連日となると気が重い。
 そうだ、明日は虎杖と伏黒も道連れにしよう。虎杖なら居るだけで一人で喋ってくれるはず。心の中で虎杖に大役を任せ、野薔薇は狗巻の後を楽しそうに追う名前に続いた。