最近、爆豪くんとよく目が合う。最初は気のせいだと思っていた。けれど授業中に視線を感じたと思ったらそれは爆豪くんのもので、更には廊下でも寮でも気配の先には爆豪くんが居た。
 私の何を見ているのかはわからない。私が爆豪くんを見ると、彼はふいと顔を背けてしまう。目線を逸らすだけじゃなくて顔ごと向きを変えてしまうのだから彼らしい。私には見られたくないんだろうか?その割には彼は一方的に視線を寄越すので少し狡いなと思う。彼に見られているのはくすぐったいような、少し居心地が悪いような。見られている理由がわからないから居心地の悪さを感じるのかもしれない。
 その視線の理由を、直接彼に聞く勇気は私には無かった。聞いた所でキレ散らかされるのがオチだ。彼とは同じA組に居ながらあまり話した事がない。そもそも接点がない。私はお茶子ちゃんや八百万さんと一緒にいる事が多いし、彼は切島くんや上鳴くんと仲が良い。交わした言葉なんて今まで数えるほどしかないはずなのに、どうして彼がこちらを見るのか余計に謎だった。

「なあ、爆豪。お前最近苗字のことスゲー見てね?」
「あァ!?」

 授業も終わり、みんなが寮に戻ろうとしている時にそれは聞こえた。聞き耳を立てていた訳ではなくて、爆豪くんと席が近いのでどちらかというと聞こえてしまったという方が正しい。
 私の最近の疑問を真っ直ぐ投げかけてくれた切島くんに感謝しつつ、爆豪くんの返事に聞き耳を立てる。もちろん帰り支度をしながら、ごく自然に。それと同時に切島くんも気付いていたんだな、とやっぱり勘違いではなかった事に少し安堵する。もし勘違いだったら、ただの自意識過剰女になってしまう所だった。

「見てねェよ」
「いや、見てるっしょ」

 けらけら笑う切島くんと、今にもキレそうな爆豪くん。切島くんは凄い。さすが友人なだけあって慣れている。私なら例え彼が間違っていたとしてもあの形相で睨まれたら即謝ってしまう。それにしても周りから指摘されるほどなのに、見てないって言うって事は本人は無意識なのだろうか。無意識のうちに見られてる私って、何。

「お前、マジで気付いてねーの?」

 切島くんが驚いた様子で爆豪くんを見る。当の爆豪くんと言えば反論しようと口を引きつらせてはいるが、何も出ては来ない。それほど切島くんの指摘が衝撃だったのか、まるで凍ったかのように固まってしまった。一度否定はしたものの、何か思い当たる節でもあったのだろうか。

「名前ちゃん、寮まで一緒に帰ろ!」

 鞄を下げたお茶子ちゃんが私の机の隣で笑顔を見せる。爆豪くんの回答を最後まで聞きたかったけど、当の本人は固まってしまったしこれ以上聞き耳を立てるのもあまり良くないかと思い、お茶子ちゃんの誘いに応じようとした。
うん、と返事をしようとしたその時、急に腕を掴まれる。突然の事に驚きつつ手の主を見上げると、そこには先程まで固まっていたはずの爆豪くんが立っていた。

「おい、てめェちょっと来いや」

 普通なら他人に同行を頼む場合は返答を聞くものだが、彼にはその常識は通用しない。それなりの強さで腕を引っ張られ、有無を言わさず連行される。ちなみに女子だから、とかいう理由で力加減をしてくれたりもしない。それは同じA組になってから彼を見てきてよく理解しているつもりだ。
 呆気に取られるお茶子ちゃんに謝る暇もなく、ざわめいているA組のみんな(特に三奈ちゃんと切島くん)を尻目に私はあっという間に廊下に引っ張り出されてしまった。
 そこからもずんずん勝手に歩いて行ってしまう爆豪くん。私の腕を掴んだまま自分のペースで歩いて行ってしまうから、何度か着いて行けずに転けそうになった。足の長さというものを知らないのか、人に合わせる事を知らないのか。恐らく両者だなと思いつつなんとか追いすがる。抗議の声をあげようものなら一喝されるに違いないので、何も言えないままだ。
 視界は爆豪くんでほぼ遮られているので、どこへ向かっているかは分からない。階段を登り、爆豪くんが扉を開けた所でやっと屋上に連れてこられたのだと理解した。
 乱暴に腕を解放され、思わずよろけそうになる。爆豪くんをちらりと見ればやっぱり不機嫌で、確実にさっきの切島くんの言葉が気になっているんだろうなと言うのがわかった。

「…私になにか用事?」
「うるせぇ黙ってろ」

 勇気を出して聞いてみたはいいけれど、およそ連れ出した本人から飛び出した言葉とは思えない返答が来たのでそれ以上は何も言えなくなる。爆豪くんは何かを考えているみたいで、私をじっと見つめたままだ。ここで私も見つめ返したら爆豪くんは「こっち見んじゃねえ」とか言って怒りそうなので、気にしないふりをして言われた通り黙る。
 せっかく屋上に来たし、景色でも見ようかと柵に近寄った。あまり来ることのない屋上からの景色は新鮮で、少し楽しい。陽は既に傾いていて、頬を撫でる風が心地よかった。

「切島に、お前の事見過ぎって言われた」

 後ろから急に放られた言葉に振り返る。爆豪くんはいつも突然だ。それが彼らしいと言えば彼らしいけれど。柵を背に彼に向き直ると「うん」と短く返事をする。私の目が、彼の瞳を捉える。ひゅう、と風が吹き抜けた。

「自分では見てるつもり無かったんだけどよ。いま分かったわ」

 爆豪くんが一歩踏み出す。彼の一歩は私の一歩よりよっぽど大きくて、一気に距離を詰められた。目の前に爆豪くんが居て、後ろには柵。逃げられない状況で爆豪くんが私の前髪を横へ撫でる。あまりに近くて顔を背けようとしたけれど、爆豪くんの手で顎を固定され阻止されてしまう。え、これって普通恋人にする事じゃないの?彼には普通が通用しないから仕方ない事なの?と、経験したことのないシチュエーションに混乱を隠せずにいると。

「てめェの目が見たかった」

 これまでにないくらい爆豪くんの真っ直ぐな視線に、私は目を逸らせなくなる。
「目が見たかった。」そう言われたのは人生で初めてで、私に衝撃をもたらすには十分だった。

 私の個性は石化。相手と目を合わせる事でその相手を石化させてしまう。訓練の甲斐もあって今は個性の発動も解除も自分の意のままに出来るようになったけれど、幼い頃は個性が勝手に発動してしまう事があって周りからは恐れられていた。一緒に楽しく遊んでいた友達が、目の前で急に石になり動かなくなる。幼い頃の自分にとっては恐怖でしか無かった。それが自分のせいだと知った時の絶望は、今でも忘れられない。私の石化は永遠ではなく一定の時間で解けてしまうものだけれど、それでも同年代の友達が私と遊ぶのを嫌がるには十分な理由になった。
 だから私は、自分の目が嫌いだった。この目があるから、人に迷惑をかけてしまう。その意識が今でも残って、前髪を少し長めに伸ばす癖がついた。
 だからこそ、「目が見たい」と言われたのは全身に雷を打たれたくらいの衝撃だった。雄英に入る前の友人は今でも私とあまり目を合わそうとしないから。努力とか存在とか、私の全てを認められた気がして、少しだけ涙腺が緩みそうになる。

「前髪邪魔なんだよクソが」

 爆豪くんが私の顎を掴んでいる手と逆の手で私の前髪を全て上げる。今、私は付き合っている訳でもない男子に何故か額を全開にされている。あまりに滑稽な姿に恥ずかしさが先行して緩んだ涙腺もすぐに戻ってしまった。相変わらず近くにいる爆豪くんの端正な顔を見て、黙っていればかっこいいのになぁ、と失礼なことを考える。
 私の目をじっと見つめる爆豪くんに、今なら何でも聞けると思った。

「どうして、私の目が見たいと思ったの?」

 彼も私の個性がどう言うものかよく知っているはずだ。目を合わせて個性が発動すれば、どうなるかも。普段の爆豪くんなら「質問してくんな」とか言って答えてくれなかったと思う。でも、今なら答えてくれる気がしていた。
 爆豪くんは少し考えた後、視線を逸らしてこう言った。

「さァな。…ただ、てめェは俺にねぇもん持ってると思った」

 爆豪くんの深紅みたいな目が揺れる。彼のこんな表情を見るのは初めてだ。いつも無愛想で、でもちゃんと周りは見ていて、それでいて自信に満ちている爆豪くん。そんな彼が眉を下げている。普段の姿とギャップがありすぎて、少しだけ可愛いと思ってしまった。
 空いている手で爆豪くんの頭をぽんぽんと撫でる。普段ならこんなこと絶対に出来ないけど、今は何故か出来てしまった。妙な距離感のせいかもしれない。

「何しやがる」
「爆豪くんも可愛いところあるんだなって思って」

 思ったことを素直に口に出した後、すぐに後悔した。可愛いなんて言われても爆豪くんはきっと怒るだけだ。想像通り、爆豪くんは眉間に皺を寄せる。ごめんと言いかけたその時、彼から出てきた言葉は予想外のものだった。

「てめェも顔は悪くねぇんだからもっと出せや」

 てっきりキレられると思っていたのに、まさかそんなことを言われるなんて。これは彼なりに褒めてくれてるんだろうか。突然の事に顔に熱が集まるのを感じる。至近距離で見ていた爆豪くんの顔が、途端に見れなくなる。でも顎は固定されたままなので、目線だけ横に逸らしておいた。
 嬉しさと恥ずかしさで返答に迷っていると、爆豪くんが赤くなった私を見てフ、と笑った。今日は彼のいろんな表情が見られる日だ。知らなかった一面を知ったようでなんだかこそばゆい。
 釣られて私も笑いそうになった時、顎にかかった爆豪くんの手がするりと上へ滑り、両頬を掴んだ。片手で私の顔を掴めてしまうのだから爆豪くんの手は大きいなぁ、なんてぼんやり考えていると、ぶにっという擬態語と共にほっぺたを挟まれた。必然的に頬が寄せられ、唇が縦になる。先ほどまでのちょっと良い雰囲気はどこへやら。抗議の声を上げようとしたが、頬を挟まれているので上手く喋る事ができない。

「ハッ、すげーブス」

 爆豪くんがいつものように嫌な笑みを浮かべる。ブスにしてるのは誰だ、とまた声を荒げたが、口がもごもごと動くだけだ。なんとか逃れようと顔をひねると、爆豪くんはやっと顔を解放してくれた。
 両頬をさすりながら恨みの篭った表情で彼を見ると、とても楽しそうで。そんな彼を見ると不思議と私も自然と口角が上がってしまった。とりあえず前髪切ろうかな、なんて考えながら、A組の教室へ戻ろうとする爆豪くんの背中を眺めた。