第一印象は記憶にない。恐らく入学式の時に顔を合わせているはずだが、ほぼ記憶にない。あとはただの同じクラスの女。苗字に対して最初はそれくらいの印象しか持っていなかった。
 目にかかるほど長い前髪に、ヒーローになるとは思えないくらい線の細い身体。八百万も大概ひょろっちいが、苗字は身長も低いので余計に頼りなく見える。

 俺の席の斜め前に苗字の席があるので、苗字が後ろの奴にプリントを配る時なんかはあいつの顔が視界の端に映る。別に見ている訳じゃない。勝手に視界に入るのだ。
 苗字は薄い碧眼をもっていて、光に当たるとキラキラと光って見える。アイツの周りではいつも誰かが笑っていて、苗字の目はまるで本人そのものを表しているように思えた。俺にはあんな大勢と笑って話すなんてことは出来ない。出来ないと言うよりは、興味もないし別段したくはない。

 麗日たちと笑顔で話す苗字を見て、俺の中では友達の多いいつも楽しそうな呑気なやつ。そういうイメージだった。だから、アイツの過去の話を聞いた時はさすがに驚きを隠せなかった。苗字の個性は石化。初めて聞いた時は相手を固まらせる事が出来るなんて便利な個性じゃねーかと思った。発動さえできりゃ、あとはぶん殴るだけでいい。
 過去の話はアイツから直接聞いたわけじゃない。そもそも2人で話すような間柄でもない。相手は誰だったか忘れたが、休み時間中にあまり自分の個性が好きじゃないという話を小耳に挟んだ。この個性のせいで友達も居なかったし、と話す苗字。良い思い出が無かったと言うのは声のトーンでも分かる。
 そう言えば個性の制御についての授業中に、アイツが発言していたのを思い出した。先生は苗字が個性の制御に長けている事を知っていて、コツなどを説明させていた。いつも笑顔の苗字は、俺からすれば苦労なんてしていないように見えたし、何も考えていないように見えた。でもそれは、そう見せていただけだった。個性の制御は難しい。一朝一夕で出来るような事じゃないのは考えればすぐに分かるようなものなのに、授業で聞いたとき俺は何とも思わなかった。
 個性のせいで手に入らなかったものが、努力の末に今身近にある。それが出来る苗字は単純にすげェ奴だと思った。

 別に何でもない、ある日の授業終わりのこと。クソ髪やろうが俺に苗字の事を見過ぎだと笑った。自分では全くそのつもりは無かった。「見てねェよ」と否定すると、「マジで気付いてねーの?」と引かれてしまった。何で俺が引かれなきゃなんねーんだクソが。
 切島に言われて最近を思い返す。そう言えば、寮でアイツを見かけた時はつい見てしまっていたかも知れない。談話室に居ると必ず苗字は誰かと話しているから、くるくると変わる表情が飽きなくて遠目で見ていた事があった。思い返せば廊下で見かけた時もそうだ。アイツは一人で居ると長い前髪が邪魔をして表情が暗く見える。あんな前髪切りゃあいいのに、と眺めた事があった。
 そこまで考えて、どうして俺はそんなにアイツを見ていたんだ?と純粋に疑問が湧いてくる。自分の中の疑問が解消出来ない事ほど気持ちの悪いものはない。思い立ったら即行動するのが俺の信条だ。このモヤモヤは苗字本人にぶつけるしかないと、帰り支度をしている苗字の近くに行き腕を掴む。

「おい、てめェちょっと来いや」

 回答は聞かずに強引に廊下へ連れ出す。苗字は驚いた顔をしていたが、振り払いはしなかった。俺とじゃ力の差は歴然だし、振り払ったところで俺から逃げられるとも思っていなかったのだろう。賢明な判断だ。
 初めは考えなしに歩いていたが、とりあえず誰も居ないところに連れて行こうと思いついた。そしてそれに当てはまるのは屋上だ、と閃く。
 案の定屋上には誰も居らず、話をするにはもってこいだった。話というか、単に俺が確認したいだけだ。どうしてこいつを見てしまうのか。いっそ、じっと見てみれば分かるんじゃないかと思った。
 腕に自由が戻った苗字が何か用事かと聞いてきたが、考えている途中だったのでうるせェと一喝しておく。苗字は諦めたようにくるりと背を向け、屋上の柵へと手を伸ばした。アイツのさらさらとなびく髪を眺めても、一向に答えは出ない。

「切島に、お前の事見過ぎって言われた」

 口から出た言葉は自分でも意外だったが、苗字に直接言えば何かを得られるんじゃないかと、そう考えた。柵から手を離した苗字は俺の方を振り返り、うん、と短く相槌を打った。
 ひゅう、と風が苗字の髪をさらう。前髪の隙間から見えたアイツの瞳は夕暮れに反射して、今までに見た事のない色をしていた。目を奪われると言う経験をしたのは、ガキの頃に見たオールマイト以外では初めての事だ。
 ああ、俺はこれが見たかったのか。

「自分では見てるつもり無かったんだけどよ。いま分かったわ」

 苗字の方へ1歩近寄ると、案外遠くなかったせいで思っていたより体を寄せてしまった。しかし柵と俺に挟まれて逃げる事の出来ない苗字を見るのは、少し気分が良かった。目を見ようと前髪を横に撫で付ける。驚いた苗字が逃げようとしたから、顎を掴んで固定してやった。
 「てめェの目が見たかった」。そう素直に伝えると苗字は大きな目を更に大きく見開いた。夕暮れに煌めいていた瞳に今は俺が映っている。その目がうるりと一瞬揺らいで、俺も歪んだ。
 横に撫で付けていた前髪がはらりと落ちて、目に影を戻す。前髪邪魔なんだよクソが。イラついたから顎を固定している手と逆の方で、デコから前髪を全部上げてやった。苗字のデコを見るのは初めてかもしれない。そんなどうでもいい事を考えながら苗字の目を覗き込む。

「どうして、私の目が見たいと思ったの?」

 その質問には怖くないのか、という意味も含まれていたと思う。苗字が何か間違いを起こして個性を発動させれば、俺はその辺の石の仲間入りだ。石化は永久ではないと聞いたが、それでもまァいつ解けるか分からない以上石になるのは御免だ。しかし、個性の制御について授業で話すくらいだ。それなりに信頼していたし、それ以上に俺はコイツの目が気に入っていた。そんな事は絶対に言ってやらないが。

「さァな。…ただてめェは俺にねェもん持ってると思った」

 きらきらと光り、何色にも変わる目。次々と変わる表情に楽しそうな笑顔。周りにいる奴らも含めて俺にねェもんばかりだ。羨ましいと言うよりかは、個性の件も含めてすげェ奴だってある程度認めてる。そう言うニュアンスの方が近い気がする。
 俺がコイツを認めてると頭で認識した途端、急に目が合わせられなくなって視線を逸らした。俺が他人を認めるなんて滅多にない。それだけ苗字を気に入ってるって事か?そんなバカな。自分で出したはずの答えが受け入れ難くて目が泳ぐ。
 ふと頭に優しい感触がしたかと思うと、苗字に頭を撫でられていた。頭を撫でられるなんて普段なら母親でも許さねェが、今はそんなに嫌だと思わなかった。何しやがる、と睨んでは見たものの苗字は「爆豪くんも可愛いところあるんだなって思って」とか言って笑うから、怒る気も失せた。ただ、可愛いは嬉しくねェ。
 皺の寄った眉間を見て苗字が慌てて取り繕うとするものだから、それも何故か可笑しく見えて。可愛い、なんてのは俺に使う言葉じゃなくて、コイツみたいな──そこまで考えて、一旦思考を停止させる。可愛いと思ってしまっている時点で、もう駄目なんじゃねェの。
 一度だけ瞬きをして、苗字の顔を改めて見た。

「てめェも顔は悪くねェんだからもっと出せや」

 可愛いとかそんな言葉はとてもじゃないが言えない。だが、みるみるうちに苗字の顔が赤くなったから、まァ伝わってはいるんだろう。目を逸らしながら何か言おうとしている苗字が面白くて、つい口角が上がる。
 前髪を抑えていた手を下ろし、その代わりに顎を掴んでいた手で下から両頬を挟んでみる。自分の手の中に苗字の顔があると思うと、ちょっとした支配欲みたいなものが満たされる気がした。きょとんとした表情の苗字がまた可愛く見えて、その邪念を払うように更に頬を挟む。タコみたいな顔になった苗字がもごもごと何か言っているが、言語化は出来ていない。

「ハッ、すげーブス」

 抵抗する苗字がまた面白かったので、暫し遊んでから離してやった。多少痛かったのか、苗字は両手で自分の頬を包みながら俺を恨みがましく見てくる。
 また苗字の新しい表情を見た。それだけで楽しさを感じている自分に、こんな感情があったのかと驚きすらする。疑問は解消した。後は、どうやって手に入れるかだ。めんどくせーやり取りは得意じゃねェ。あれこれ考えながら、A組の教室へ足取りを向けた。