がちゃ、と玄関のドアが開く音が聞こえ、私は混ぜていた鍋に蓋をする。ぱたぱたと玄関へ向かうと、靴を脱ぐ母の姿があった。

「おかえりなさい!」
「ただいま、名前」
「お父さんもう帰ってるよ」

うちは父、母共に働いていて、家事は私の仕事だった。今日の献立はコロッケと味噌汁、サラダにお浸し。簡単なメニューだけど、いつも母も父も喜んで食べてくれるから作りがいがある。

「お父さん、お母さん帰ってきたよ」

テーブルに先についていた父に声をかけると、食器棚から箸を取り出す。いつもの定位置に並べようとした時、何か焦げ臭い匂いを感じた。
お鍋が焦げたかな?とキッチンへ向かったその時、父の悲鳴にも似た声を聞いた。

「名前ッ!!」

振り向くとそこには、母だったモノが居た。
人体発火現象。
このような事が起きるかも知れない、という事は頭では理解していたつもりだった。しかし頭で理解出来ていても、心がついていかないのだと身をもって知った。
突然の事に動けない私を、父が突き飛ばす。

「名前!逃げろ!早く!!」

母だったモノが父に覆い被さろうとしているところに「ダメ!」と手を伸ばそうとしたが、もちろん届く訳もなかった。

「名前……名前…………」

動かなくなった父を背に母、もとい焔ビトがこちらへ近寄ってくる。面影は既に無いが、名前を呼ばれる毎に胸が裂かれるように痛んだ。大好きだった母が私を呼んでいる。そう思うとこのまま一緒に燃えてしまった方が幸せなのでは?とすら思う。母に手を伸ばそうか。そう思った瞬間、大きな爆発音がして家の半分が吹き飛んだ。

「おい、大丈夫か?」

無愛想に、しかしはっきりと声をかけられて私はなんて事を考えていたんだと愕然とする。ふと視線を向けるとそこには第7特殊消防隊大隊長、新門紅丸の姿があった。
特殊消防隊が助けに来てくれた。そう認識した瞬間、私は意識を手放した。





幸せだった頃の夢を見た。
母も父も生きていて、一緒に笑っている。私も一緒に笑いたいのに、何故か涙が止まらない。
母も父も居るのに、どうして泣いているの?
自分に問いかけた時、目の前の2人が炎に包まれた。
ハッと目を覚ますと、そこは知らない和室だった。
自室でない事に、両親が死んだ事が夢では無かったと再認識する。夢ならどれだけ良かったか。しかし両親が戻らない事は頭の隅で理解していた。

上半身を起こし、部屋を見渡してみる。
ここはどこだろう。
もう、どこだっていいか。
だってどこにも自分の居場所は無いのだから。
荷物も私物も何も持たない私は、広い部屋にぽつんと1人きり。それがとてつもなく孤独に感じられた。今、自分には何も無い。それがどれだけ不安なことか、恐ろしいことか。
苦しさに潰されそうになりながら、私は部屋で静かに涙を流すことしか出来なかった。

「…おい」

急に声をかけられて、びくりと肩を跳ねさせた。
そこには私を助けてくれた人、新門紅丸さんが居た。浅草の街で知らない人は居ない、第7特殊消防隊の大隊長。私の家は浅草の外れで、どちらかと言えば皇国寄りだったが、それでももちろん知っていた。
そうか、ここは第7特殊消防隊の…焔ビトの出現によって家が壊れた人達をよく迎え入れてると聞いた事を思い出して1人納得する。

「あ、ありがとう、ござい…ました…」

助けてくれた事に、とにかくお礼を伝えなければ。
震える喉からなんとか声を絞り出す。礼が聞こえたか分からないが、新門さんはそっと部屋へ入り手ぬぐいを私へ差し出してくれた。
きっと泣いている私に気を使ってくれたのだろう。しかしこんな見ず知らずの私が手ぬぐいを受け取っていいか分からず、つい躊躇ってしまう。

すると新門さんは受け取らない私を見かねて、その手ぬぐいで私の顔をごしごしと拭いてきた。力の加減は感じるものの、少し痛い。

「…泣くなとは言わねェ。当分面倒みてやるから、元気だしな。」

そう言って新門さんはまたそっと部屋から出ていった。
人の優しさに触れて更に涙が溢れる。
手元の手ぬぐいは濡れていく一方だった。