ヒーローになる為に必要なものは沢山ある。一口にヒーローと言っても今は活躍の幅も多岐に渡るが、共通して必要なのは体力だと思う。人命救助はもちろん、広報活動だって長丁場になることもある。
そんな体力を養う為の雄英高校ヒーロー科の体育の授業は、生半可なものでは無い。相澤先生から体力面に難ありと判定を受けていた私は、普段から皆に着いていくのに必死だった。いつもなら、最下位ながら何とか着いていってはいた。

 今日の課題はマラソンで、この広い雄英高校の敷地を10周するというもの。そう、いつもなら皆よりかなり遅れても何とかゴールは出来ていたはず。けれど昨日から月経が来ていた私は体調が最悪で、歩くだけで苦しい。
先生に言えば休む事は出来た。でも、ただでさえ体育の成績が良くないのに、欠席となっては点数にもならない。

 そんな安易な考えで単位と健康を天秤に掛けた結果、マラソンに参加する事を決めた少し前の自分を殴りたい。
歩くことすらままならないのに、マラソンなんてどうして出来ようか。少し考えればわかるはずなのに、赤点という二文字に怯えてしまった。
級友たちと一緒にスタートしたはずが今や周りには誰も居ない。腹部にはズキズキと痛みが走る。酸素が足りていないから苦しいのか、痛みのせいで苦しいのかも分からない。

 こんなことならお茶子ちゃんに一緒に走ろうって声かけておけば良かった。お茶子ちゃんなら裏切って先に行ったりはしないだろうな。励まして一緒にゴールしてくれるはず。そんな事を考えて痛みから思考を逸らそうとするが、依然腹は千切れそうなままだ。

 ゆっくりとスピードを落とし、呼吸を整えながら早歩きする。今歩みを止めたら、そのまま倒れてしまいそうだった。
せめて相澤先生に連絡を取れればと思ったけど先生はゴール地点に居るし、もはや今自分がどこを進んでいるかも分からない。一人でがむしゃらに進んでしまったので、そもそもルートが合っているのかすら自信がない。
 そろそろ本当に無理かもしれない。このまま野垂れ死ぬ可能性も見えてきた。
足を止めて膝を折ると、ぐらりと頭が揺れた。平衡感覚が保てなくて、抵抗出来ないまま地面に転がってしまう。冷んやりした土が心地良い。こんなところに転がってたら邪魔かな。でも誰も通らないかもしれないし、少しくらいいいかな。

「ンなとこで寝んな」
「…勝己、くん?」

 ぼんやりとする頭で視界に映った彼、爆豪勝己を捉える。自分の走るスピードが遅すぎて周回遅れにされたと気づいたのは少し後だ。
曲がりなりにも自分の彼女が道に倒れているというのに、その第一声。さすが勝己くん、ぶれないな。でもそんな所が好き。

「ンだよ、ずっこけたか?」

 私を覗き込む勝己くんの表情は少し心配が滲んでいて、嬉しくなったのは心に秘めておく。ただ、返事をする気力は残っておらず、身体を起こす体力も底をついていた。

「おい、名前」

名前、と勝己くんが呼ぶ声を耳にしながら、私は意識を手放した。





 目が覚めるとそこは一面の白。ぼんやりとしていた視界のピントが次第に合っていく。見慣れた白の天井は保健室のもので、ベッドに寝かされているのだと気が付いた。布団に包まれながらはっきりしない記憶を辿り、今どうしてここに居るのかを考える。
体育の授業中に倒れて、その後勝己くんが見つけてくれて。そこからどうやって保健室に来たのかは全く覚えがない。恐らく勝己くんが運んでくれたんだろう。
 ゆっくりと起き上がると、ベッド脇の椅子に腰をかけて雑誌を読む勝己くんと目があった。足を豪快に組みながら開かれた雑誌は真ん中ほどまで進んでいて、長い時間眠っていたのだと分かる。勝己くんが授業をサボるとは思えないから、午後の授業はもうすっかり終わっていて今は放課後なのだと予想する。

「起きたンか」
「うん。勝己くんが運んでくれたんだよね?ごめんね」

 重かったよね?と眉を下げると、勝己くんはそんなことはどうでもいいとでも言いたげに雑誌を雑に置いた。その表情は眉間に皺が寄りまくっていて、子供が見ればすぐに泣き出してしまうだろう。徐に勝己くんの手が私の頬に伸ばされて、付き合っているというのにあまり経験のない距離感に緊張する。そのまま手が頬に触れたかと思うと、優しかったのは一瞬、次の瞬間には思い切り頬をつねり上げられていた。

「いっっったい…!」
「てめェ、体調悪い時は俺に言えや」

 つねられたまま顔を詰められて、本来ならキス出来るくらいの距離なのに、口がそっぽを向いているせいでムードも何もあったものじゃない。勝己くんは結構真剣に怒っているみたいで、私を睨む目が冗談ではない事を物語っていた。
ひとしきりつねり終わった手から解放されて、痛みに思わず頬を撫でる。

「ごめんなさい…」

 ちらりと勝己くんを上目で見れば、大きくため息を一つ。言動は暴力的だけど、すごく心配してくれたんだと感じて嬉しくなる。一人で口元を緩ませれば「ニヤけんな」とまた怒られてしまった。

「帰ンぞ」

 いつの間にか雑誌は片付けられていて、勝己くんの右肩には二つのバッグがかかっている。そのうちの一つは自分のものだと気付いて、慌ててベッドから降りた。わざわざ教室から持ってきてくれたのだろうか。申し訳なくなって自分の分のバッグを引き取ろうとしたら、代わりに空いている左手を差し出されてしまった。

「手ェ貸せ」
「…?」

 言われるがまま右手を差し出すと、するりと指を絡ませながら手をとられた。いわゆる恋人繋ぎに、嬉しさと恥ずかしさが同時に込み上げる。普段はぶっきらぼうなのに、こういう所は本当に優しい。少し上にある勝己くんの顔を覗き見れば、耳がいつもより赤くなっていてまた口元が緩んだ。

 その後、寮に着くと玄関を抜けた共同スペースでA組のみんなが待ち構えていたかのように私たちを取り囲んだ。半泣きで駆け寄ってきてくれたお茶子ちゃんに必死で謝る。

「名前ちゃん、大丈夫!?心配したんよ」
「ごめんね、お茶子ちゃん。もう大丈夫だよ」

 両手でお茶子ちゃんを宥めようとして、右手を勝己くんに取られている事を思い出す。急に解くことも出来ず、A組のみんなの目線が手に集まるのがわかった。
すかさず切島くんと瀬呂くんが「爆豪やるなぁ」とか「熱いねぇ」だとか言って囃し立てる。三奈ちゃんも口笛を吹いて楽しそうにしてるし、峰田くんなんか呪文のように「リア充爆発しろ」を小声で連呼していてちょっと怖い。
 これだけ騒がれたら勝己くん、キレるんじゃないかな…と恐る恐る隣を見ると、予想していた表情とはかけ離れた冷静な顔。意外すぎる反応にこちらが面食らっていると、急に繋いでいた手が解かれる。しかし離れる隙もなく、次の瞬間には肩を抱かれて勝己くんに引き寄せられていた。

「ウルセーんだよお前ら。俺の女なんだから手ェくらい繋ぐわ」

 この台詞にはA組のみんなどころか、私でも驚いた。勝己くんって、こんな恥ずかしいこと言ってくれるんだ…!というか、俺の女、なんて。嬉しいけれどここまで堂々と宣言されてはやっぱり照れる。
一瞬だけ静まり返り、潮が大きく引いた後の波のようにみんなが一気に騒ぎ立てる。男子は叫び声と一部ため息、女子は楽しそうな悲鳴。
 勝己くんは騒ぐA組のみんなの間を縫ってエレベーターへ向かう。その間も私は肩を寄せられたままだ。勝己くんの手が熱い。心臓の音が直接耳に響く。勝己くんの顔なんてとてもじゃないけど見ることができない。
 エレベーターが閉まると、共同スペースの喧騒が嘘のように静けさに包まれた。

「名前」

 勝己くんに名前を呼ばれて反射的に顔を向けると、唇に柔らかい感触。それは一瞬すぎて、キスされたと気付いたのは勝己くんが口元の笑みを深めた後だった。

「あんま無理すんじゃねェぞ」

 言葉はいつも通りなのにそこには多分に優しさが含まれていて、こんなに勝己くんが甘やかしてくれるのならたまには倒れるのも悪くないかも、なんて思ってしまった。