雄英体育祭から一週間。体育祭が終わった直後は普通科の生徒達からあれやこれやと噂されたり、遠巻きに持て囃されたりもしたが、一週間も経つと以前と変わらない日々に戻った。遠くでごちゃごちゃと何か言われるのはあまり好ましく無かったが、俺の個性の所為で直接話しかけてくる煩わしい生徒が居なかったのはまだ救いだ。
あれからヒーロー科への憧れは依然消えていないままだし、むしろ体育祭を経て意思がより固まったように思う。しかし今現在で何も変わっていない現実に、少しだけ焦りを感じる。まぁ、今更焦ったところで何も変わらないんだけど。自分は自分の出来る事を着実にやるだけだ。努力を重ねていればいつかヒーロー科への転入だって叶うはずだと、雄英高校普通科へ通う。
昼食はいつも決まった場所で食べている。雄英は学科が四つもあり、学内が馬鹿みたいに広い。誰も寄り付かないような穴場はどこにでもあるが、中庭の外れのベンチに座ってパンを齧るのがお決まりになっていた。ここは普通科から少し距離があるので気兼ねなく休める。
他人が嫌いな訳じゃない。ただ、距離を置いてしまう癖みたいなのは着いていると思う。それは無意識に、自分の奥深くに踏み込ませないようにしている。俺の個性を知った相手から操られるのでは、と言う恐怖意識からの壁を感じるのが嫌で、自分で予防線を張っている。仕方ないと思う。俺だってそんな相手と話すのは怖い。
いつもの場所でいつもの菓子パンの袋を開けた時、いつもとは違う景色が目に飛び込んだ。そこに居たのは同じ雄英の女子生徒で、唯一違うとすればジャケットの肩のボタンが一つ。あれはヒーロー科の制服だ。ここはヒーロー科の校舎から近くはないはずなのに、どうしてこんな所にヒーロー科が居るんだ。そこまで思考を巡らせて、まぁ、自分には関係ないか。とパンを口へ運んだその時。
「あ!!!」
明らかにこちらを見て大声を発する女子生徒。微かな希望を抱いて後ろを振り返ってはみるが、背には木々たちが覆い茂っているだけだ。諦めて前に向き直ると、距離があったはずの女子が近くまで寄ってきていてぎょっとする。
「心操くんだよね!?普通科の」
目をきらきらと輝かせて話しかけてきた女子は、俺が返事をする前に同じベンチへと腰を下ろした。あまりスペースもなかったというのに何も言わずに隣へ座ってくる辺り、彼女は距離というものを知らないらしい。つい引き気味に相槌を返すと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「一度話してみたかったの!体育祭すごかったね〜!」
俺と話してみたかった、だって?聞きなれない言葉を自身の中で反復する。俺の個性を知っていながら話しかけにくるやつなんて滅多に居ない。話すどころかこっちの問いかけに反応するのを怖がって、会話にならない人間の方が多い。
こんな奴居るのか、と一人衝撃を受けている俺を他所に、彼女は持っていたらしい弁当の包みを開け始める。先ほどの衝撃に加えてここで食べるのか、という驚きとマイペースすぎないか?という疑問も追加されて、一瞬のうちに頭が混乱した。隣に誰か来たからと言って昼飯が減る訳でもないし、まあいいかと気を取り直す。いただきまーすと手を合わせる彼女の膝に乗った弁当は色とりどりで、きちんと栄養を考えて作られているようだった。
「心操くんパン派なの?私はいつも自分でお弁当作っててね、今日は卵焼きが自信作!」
そう言って彼女は箸で卵焼きを摘み、口へと運ぶ。丁寧に巻かれた黄色は、確かに美味しそうだった。別にパン派な訳ではないが、考えるのが面倒だからいつも同じものを買っているだけだ。そう返そうと口を開いた時、「あ、私はヒーロー科1年B組の苗字名前だよ。よろしくね」と突然に自己紹介を挟まれる。あまり人の返事を待たないタイプなのだろうか。こういう奴は一人で勝手に喋ってくれるので、饒舌ではない自分にとっては一緒にいて楽な方の人間ではある。適当に相槌を打って、またパンを齧った。
「なんでこんな所に?ヒーロー科から遠いだろ。ここ」
「んー、たまたま?新しい土地を求めて旅してたの」
第一印象で結構変わってる奴だと思ったが、その印象は今の返答ではまだ覆りそうにない。やっぱり変わってる。
「旅…?校内で?」
「そう!入学してまだ一ヶ月ちょっとだよ、知らない事ばっかりじゃない?色々探検しようと思って。そしたらほら、心操くんにも会えたし」
楽しそうに話す彼女の表情は眩しくて、俺とは正反対だと思った。好奇心旺盛なのか。その行動力はすごいと素直に心の中で称賛する。心の中でだけだ。なんとなくだが、口には出さないでおいた。
「私ね、体育祭で感動したの。自分はヒーロー科なのに何にも成績残せなくって…なのに普通科の心操くんがとっても活躍してて、かっこいいって思っちゃった」
「あ、有難う…」
照れもなくそう言う彼女に、逆にこちらが恥ずかしくなる。褒められる事にはあまり慣れていなかったが、ここまでストレートに言われると本当にそう思っているんだな、と素直に受け取れる気がした。
彼女の弁当から次に選ばれたのはウィンナーのようで、見て、タコにしたんだよ、と楽しそうに笑う。屈託の無い笑顔は晴れやかで、少し変わってはいるが友達が多そうなイメージを想像させられる。表裏が無さそうな性格は、ヒーロー科のB組でもきっと人に囲まれて過ごしてるのだろう。自分もその中に入れたら──と一瞬だけ想像して、何を考えているのだろうと強制的に意識をパンへ戻す。
「ヒーロー科の転入目指すんだよね?心操くんなら絶対出来るよ」
なんの根拠もない、さっき会ったばかりの人間に言われた言葉なのに、どうしてこうも気分が高揚するのか。苗字の言葉はその場凌ぎではなく、恐らく本心だろう。彼女は人を疑うと言うことを知らなそうな分、人を信じすぎなようにも思える。でも、それに応えたいと思わせられる何かがあった。もちろん前提として自分の夢でもあるけれど、俺より苗字の方がよっぽど他人のこと洗脳してるんじゃないか?と頭の片隅で考える。
どうも、と当たり障りのない返事をしたところで、校舎から予鈴が響き渡る。苗字のせいでパンは半分残ったままだ。
「え、もうお昼休み終わり!?」
弁当の残り三分の一を急いでかき込む苗字。あんなに喋っていたのに意外と食べ進めていたことに驚いた。器用な奴だ。自分はというと残り半分を食べ切れる自信もないので、残ったパンをそっと袋へ戻した。
「まだ心操くんと話したかったのになー…あ、そうだ!明日も一緒にご飯食べよう?」
「……は?」
またやってきた急な驚きに、会話のテンポが遅れる。ピンク色のランチトートを下げながら、苗字は名案だと言わんばかりに目を瞬かせた。
「明日もここで待ち合わせ。ね?」
秘密基地を見つけた子供のようにわくわくした表情で言われては、断るのも憚られる。分かった、と短く了承を送ると苗字はまた嬉しそうにやった、と語尾に音符付きで小さく跳ねた。
「あんた、変わってるね。俺なんかと話したいなんて」
そんな奴今まで見たことも会ったこともない。そしてこれからも、この個性のせいでずっと他人からは怯えられながら生きていくのだと思っていたのに。
「うーん、変わってるかなぁ?だって心操くんのこと、もっと知りたいって思ったから」
だから、個性とか関係ないよ。彼女はそう言い残して立ち上がった。また明日ね!と変わらぬ笑顔を見せながら、ヒーロー科の校舎へと走っていく。その後ろ姿を眺めながら、密かに明日を楽しみにしている自分が居ることに、気づかないふりをした。