グノーシア騒動に巻き込まれ、この宇宙船D.Q.O.に乗船してから早四日。初めは十五人ほど居た乗員も、残り十名にまで減っていた。
グノーシアは残り二人。俺はなんの役割もないただの乗員だから、とにかく目立たず投票されないよう他人に同意だけしてやり過ごしている。その甲斐あってか投票はされずに済んでいるが、グノーシアが誰か全く見当が付かない。そもそも俺には直感も無いし、推理だって向いていない。だったらそれっぽい事を言ってる奴に同意してた方が間違いない。例えば、夕里子なんかはあの物言いのせいか妙に説得力がある。敵に回すと面倒そうだしな。
長いモノには巻かれろとは、正に俺のことだ。だが、そうやって賢く立ち回れるやつが生き延びる事を俺はよく知っている。クソみたいな過去を頭の片隅に追いやりながら、小さく舌打ちをした。
議論の後、食堂で適当に飯を食ってから自室に戻る。D.Q.O.では個々に部屋が割り当てられているので意外と快適に過ごせる。まぁ、俺は女となら同室でも良いんだけど。女となら。
妙に見慣れてきた廊下を進み、自室に入ろうとした時、隣の部屋から泣いている声が聞こえた。それは押し殺そうとするものの失敗している他なくて、苦しげな嗚咽は溢れてどうしようもないといった所か。
声の主は、名前だ。普段の明るい姿からは想像もつかないような声に、思わず動揺してしまう。そのまま自室へ入っても良かった。部屋に入ってしまえば隣であろうと恐らく声は聞こえない。それなのに、音を立ててスライドした扉の前から足が動かず突っ立っている。
俺が行ったって名前の悲しみがどうなるわけでもない。名前がどうして泣いているのかもわからない。それでも、少しくらい支えにはなれるんじゃないだろうか。会ってからまだ少しの時間しか経っていないはずなのに、どうしてそう思うのかは自分でも分からない。しかし、名前の明るさに元気付けられた事があるのは事実だ。
考えるが早いか、気づくと隣人の部屋の前に立っていた。名前、と扉の前から声をかけると部屋の中の音がぱたっと止んだ。もう一歩扉に近づくと、それは自動でスライドして俺を招き入れる。施錠されていなかったのが幸いだった。
「入るぞ」
「しゃ、沙明…!どうして、」
どうしても何も、お前の泣き声が気になったんですけど。と、そう戯けて言うつもりだったのに、真っ赤に泣き腫らした名前の目が思っていたよりも痛々しくて、言葉に詰まった。
「あー…」と目を逸らしながらどう言おうか迷っていると、ベッドに座っていた名前の方から急にぼふっと音がした。何事かとそちらを見れば、枕を抱き抱えて顔に当てている名前。相当な泣き顔だった事を思い出したのか、枕の横からはみ出ている耳が赤い。
「…なんで泣いてたんだよ?」
隣に座ると、名前は顔を見られまいと枕をこちらに向けてくる。もう既に一度見てしまったと言うのに、全く無駄な抵抗だ。泣き顔を見られたく無いという理由は可愛いが、こうも頑なだとなんとなく拒否されている気分になる。
枕を掴んでひっぺがしてやると、今度は名前自身の手で顔を覆い尽くした。顔は見えないままだが、さっきよりは距離が縮まった。
「なあ、名前」
「泣いてないもん」
ぴしゃりと跳ね除けるように、分かりやすい嘘を吐く。コイツこんなに頑固だったのか?と新たな一面を見た気になりながら、片手を名前のすぐ横に置いた。腕に体重をかければベッドが軋んで、名前の身体が小さく揺れる。目と鼻の先の距離で顔を覗き込めば、名前の独特な甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐった。
もう一度「なぁ、」と今度は静かに囁けば、名前はビクッと身体を縮こまらせた。自重を支えている手とは反対の方で、名前の細い手首を掴む。ゆっくりと顔から離させると、うさぎのような目をした名前と視線があった。これで泣いていないと言う方が無理がある。片手が外れると名前は泣き顔を見られることを諦めたのか、もう片方の手もすぐに外れた。
名前の目は乱暴に擦ったのか腫れている。綺麗な瞳は潤んでいて、普段よりも大きく見えた。瞳から今にも落ちそうな雫を親指の腹で拭ってやれば、名前の長いまつ毛が震えた。
「…セツ、が……」
名前は観念したのか小さな声を絞り出した。
セツ。確かにそう聞こえた。そう言えば今日コールドスリープしたのは、セツだ。夕里子がセツを怪しんで、そして俺も、その疑いに乗った。投票は多少割れたが、結果セツに一番票が集まったって訳だ。
セツがコールドスリープしたせいでこんなに泣いてるのか?つか、名前とセツってそんな仲だったのかよ?確かに仲は良かったように思うが、ここまで泣くほどなのか?
安易にセツに投票した事を少しだけ申し訳なく思いつつ、色々な考えが頭を巡る。
「セツが、コールドスリープしちゃった。私は…セツと一緒に、夕里子を…グノーシアを。コールドスリープさせないといけないのに…」
セツと一緒に?夕里子を?どうしてそうする必要があるのか全くわからないが、名前の真剣な眼差しは決して冗談を言っているようには聞こえない。つーか、なんで夕里子がグノーシアだって知ってるんだ?
「もういいの。セツが居ないと何も出来ない。セツが、セツが居ないとだめなの…っ!何度やっても同じだもん、夕里子をコールドスリープさせるなんて出来ないよ…!」
眉を下げてまたぼろぼろと涙を零す名前に、どう声をかけていいか分からなくなる。こんなに取り乱している名前を見るのは初めてだった。いつも笑顔で、議論中でも誰かを疑う事が苦手なのが見てとれる名前。それがこんなに感情を剥き出しにして泣いていると言うことは、よっぽど辛かったのだろう。何度やっても同じ、と言う部分は正直わからないが、きっと名前とセツの二人だけが知っていることがあるのだと推測する。
「そんなに泣くなって…ほら。」
名前の後頭部を強引に抱き込み、自分の胸元に顔を押し付ける。涙とか色々ぐしゃぐしゃだったが、これ以外慰める方法が思いつかなかった。頭をぽんぽんと何度か撫でてやると、泣き声もやがて止んで鼻を啜る音だけになる。服が濡れるくらいで泣き止んでくれるのならまぁ、安いものだ。
「お前とセツがどんな秘密を共有してて、なんで夕里子がグノーシアだって知ってんのかは正直分かんねェけどさ。お前が泣いてるのはなんかこう…ほっとけねーんだよ」
自分でもどうしてこんなに名前が気になるのか分からない。それは女だからって理由だけでは無い気がしている。ひょっとして俺はコイツの事好きなのか?いや、まさかな。まだ会って数日だぜ?女は好きだが、その好きと誰か個人を好きになる事は違う。それくらいの分別は俺だってついてる。
「ありがとう、沙明。」
「ああ、惚れてもいいぜ?」
先ほどよりは落ち着いた様子の名前に、軽口を放ってみる。ふふ、と小さく笑う名前が可愛くて少しだけ心臓が鳴ったのは秘密だ。
誤魔化すように名前の頭を軽く撫で、ベッドから腰を上げる。明日からの話し合いが憂鬱だ。自分だけがコールドスリープしなければいいと思っていたのに、お気に入りが出来ちまった。しかも敵さんはあの夕里子。さてどう立ち回ったものか、と頭を捻らせながら自室へと向かった。