第7特殊消防隊の屋敷に来て3日目の夜。今日の献立はカレーにしてみた。
新門さんは和食以外あまり受け付けないみたいで最初は食べるのに抵抗があったようだけど、ヒナタちゃんとヒカゲちゃんが美味い美味いとぱくぱく食べるものだから、自分もつられて食べてみたところ洋食も意外とイケる事に気付いたらしい。
新門さんの3回目のおかわりに嬉しくなりつつ、明日は何にしようかと今から考える。

「名前のメシうめェ!」
「ヒカもおかわり!」
「はーい」

カレーなので多めに炊いていたはずのお米がもう少なくなっていて驚いた。たくさん食べて貰えるのは嬉しい。
そう言えば、お父さんもカレー好きだったっけ。よくお母さんと一緒に作ったな。

「…名前。おい、名前」

新門さんに名前を呼ばれてはっとする。ぼーっとしてしまっていた事に申し訳なくなった。

「あ、はい!ごめんなさい」
「お前、人のモンばっかり用意してるがてめェの分はどうした」

新門さんの鋭い視線に思わず固まる。指摘の通り、自分の皿には少しのサラダしか乗っていなかった。食べた訳ではなく、何も手を付けていないまま。最初からこの量だ。
新門さんの真っ直ぐな視線が居心地悪くて、目を逸らしてしまう。食欲がないと言うのが正直な所だった。何かを食べたいと思う気持ちが湧かない。

「あ…あんまりお腹が空いてなくて」

上手く笑えているだろうか。取り繕えているだろうか。
新門さんは何か言いたげだったが、追求はしないでくれた。





朝、皆が起きる前に厨に入る。
陽が登りきる前の、空気が澄んだ時間。朝早く起きている訳ではなく、眠ることが出来ないでいた。
夜、布団には入る。目も瞑る。しかし、その後に襲うのは眠気ではなく火事になった日の記憶。脳裏に焼き付いて離れない。母の声が、頭から離れない。
日中は新門さん達と過ごす事でだいぶ気が紛れていることに気付いた。余計な事を考えずに済む。でも夜は、1人きり。どうしてもフラッシュバックしてしまう。

今日は朝ごはんに玉子焼きを出そう。ヒカヒナちゃんは甘い方が好きかな。でも新門さんは甘くない方が好きそうだな。相模屋さんはどっちも美味しいって言ってくれそう。
そんな事を考えながら、力が入らない身体を騙しつつ朝餉の準備に取り掛かる。

米をといで炊飯器にセットし、味噌汁の具材を選ぶ。冷蔵庫の中身もだいぶ覚えた。そろそろ買い出しに行かないと食材にも限りがある。
減っていく食材を見ながら私はいつまでここに居られるのだろうと考える。家も家族も失くした私に残された道は修道院に行くか、もしくは働くか。まだ未成年の自分に働き口は無いだろうし、そうなると…
ぐるぐると考え出すと止まらなくなり、軽く目眩がした。止めよう。今は朝食に集中しなくちゃ。
水道の下の戸棚からフライパンを出そうと屈む。目当てのものを手に取り、立ち上がった瞬間、目の前が歪んで見えた。
あ、倒れる。
そう思った瞬間には、意識は途絶えていた。





大きな音を聞いて、嫌な予感がした。それは何かが落ちる音で、普通なら朝早くからこんな音はしない。
早朝の浅草の見回りに出かけようとしたが、靴を脱いで音の方へ向かう。恐らく厨の方からだ。
変な奴が忍び込んだか?などと考えながらそろりと厨を覗くと、そこには倒れている名前の姿があった。

「名前…?!」

血の気が引く思いってのはいつでも嫌なモンだ。
真っ白な顔で横たわる名前の身体をゆっくり起こし、呼吸を確かめる。呼吸はある。
頭を打ってねェか心配だが、とにかく布団に連れて行く必要がある。名前の小さい身体をそっと持ち上げると、余りにも軽くて驚いた。

名前の部屋の布団はきちんと畳まれていて、1度名前を下ろして布団を敷き直す。
布団の上に寝かせてやると、名前が小さく呻いた。

「う…」
「名前。大丈夫か」

薄く、徐々に開く瞳に安心する。良かった。意識はあるみてェだ。
俺を認識した名前は弱々しく「すみません」と謝った。その上、まだ起き上がろうとするので少し強引に布団へ戻す。

「私、朝ごはんの準備を…」
「良いから寝てろ」
「眠く、ないです…」

そう言う名前の目にはいつの間にか涙が溜まっていた。

「夜、1人で目を瞑ると、どうしても思い出すんです。最期の母の声、父の姿。寝てみても、幸せだった時の事を夢見て、結局魘されるんです。それなら、寝ない方が、良いんです……」

少しずつ絞り出すように紡ぐ名前になんて声を掛ければ良いか、分からなかった。
何を言っても同情にしかならない。理解した気になっても、実際は本人にしかこの辛さは分からない。
ついに溢れた涙を服の袖で拭ってやる。多少ぶっきらぼうだが、許して欲しい。

「今は俺が居るから、安心しろ」
「え……」
「1人で居るからいらねェ事考えんだ。今は俺が居る。だからゆっくり休め」

名前は驚いたようにぱちぱちと瞬きした後、また泣きながら「ありがとうございます…」と次は礼を言った。
静かに目を瞑った名前の頭を、そっと撫でる。
名前の寝息が聞こえるまで、涙の跡から目を離せなかった。