「〜〜〜っ!」

思わず叫び声になりそうな声を空気と共に飲み込んだ。周りはお昼休憩を終えてちらほらとデスクについている人もいるので、大人しくたんたんと足元のカーペットに吸い込まれるであろうと足をばたばたさせることで興奮を冷ます。
もう一度、携帯の画面を食い入るように見て、間違いがないことを確認する。『当選されました』の文字を三回読み直して今度はほっと安堵した。夏組、秋組の旗揚再公演の抽選は残念ながら落選したけれどついに冬組は勝ち取ったのである。これはこの間主演・準主演の方々に直接念を送ったのが効いたのかもしれないと顔がにまつくのを、唇を噛んで制した。

「名前〜この資料なんだけどさ〜・・・ってどうかした?」
「え、いや。先輩それ良かったらわたしやりますよ」
「ええ?いいの?!」
「はい!先輩お忙しそうですし」

大概わたしも現金なやつなので、俄然仕事へのやる気が出てきた。お昼ごはんなんて質素なコンビニのラーメンサラダとフルーツジュースの組み合わせでさっさと終えてしまったけど、エネルギーは万全。にっこり笑顔で先輩の持っていた書類の山を引き受けた。ああ週末が楽しみすぎる!





「うー・・・・」

時刻は19時半を回ろうとしている。端的に言うと、調子に乗って力量以上の仕事を引き受けすぎた故の残業だった。当たり前に自分の尻拭いくらい自分でしなくちゃいけないので、今日は終電を覚悟した上でPCに向かっていた。5年分のデータを付け加えることの指示が書かれた付箋を見てゲっと露骨に顔がひくつく。資料室行き決行の前に、背中を伸ばせばごりごり骨が悲鳴をあげた。
まだ週も始まったばかりだから社内はおおよそ半数以上が帰社していて、マイペースに仕事する雰囲気が漂っている。昼からずっと座りっぱなしだったし資料室へ行くついでに体を少し動かそうとエレベーターは使わずに階下へと階段を使って降りた。もう使っていない場所は蛍光灯もお休みのようで、資料室もそうだと思い、入ってすぐの電気の位置を思い出しながらドアを開けると、そこは煌々と光が灯っていた。誰かいるのだろうか?と書庫のようにずらりと並んだ棚の列を歩きながら覗いていると、ハニーミルク色の髪が蛍光灯に照らされていた。

「茅ヶ崎くん?」

ぱっと振り向いた茅ヶ崎くんは一瞬にこりと笑顔を作ったけれどわたしだとわかった瞬間「あ、苗字さんか」と露骨に笑顔を作るのを辞めた。どうかしたかと聞けば「省エネ」と返される。まるで電気製品みたいだ。

「何か探してるの?」
「今度X社との会食があるから予習しようかなって」
「なるほど。X社ならこっちの棚にあったはずだよ・・あ、これこれ」
「おー・・マジだ。流石苗字さん」

ずらりとならんだファイルの棚と睨めっこする茅ヶ崎くんはまだ何も持っていなかったので、きけばわたしの傍の棚に目当ての物があったのでそれを取り出して渡せば、茅ヶ崎くんはぱらぱらとファイルを捲って感嘆の声を漏らした。そうして、ファイルを抱えていない方の手でぽんぽんと、わたしの頭を褒めるように撫でた。・・・撫でた?

「・・・えーと」
「あ」

あまりにも自然な仕草でされるものだから、わたしも戸惑ってしまってなんて言おうか迷っているうちに、茅ヶ崎くんは目を見開いて勢いよく手をひっこめた。

「ごめん。ほらうち、中学生とかいるでしょ。つい癖で」

絵本から出てきた王子様がやるのはあまりにも似合う仕草なのに、やらかしてしまったという顔をした彼が焦ったようにやけに早口になるからなんだかおかしくて、変に冷静になり笑ってしまいそうになる。失礼かもしれないと顔には出さないようにするけど、からかう心は止められなかった。

「摂津くんにもするの?」
「・・あいつはクソ生意気な上に俺より身長デカくて可愛げがないからしないけど、」

苗字さん、ちょっと馬鹿にしてない?と続ける茅ヶ崎くんがなんだかいじけて見えて、やっぱり面白い。笑いがこらえきれなくて口元を手で隠して「いいお兄さんやってるんだね」と言えば「・・・やっぱり面白くないな」と茅ヶ崎くんがむっとする。いつも茅ヶ崎くんにしてやられているわたしにとって、これ以上の面白い事はないかもしれない。
そんな空気を制すように、ガチャリと資料室のドアが開く音がする。狭い室内に広がる靴音に振り向けば、鈴木先輩がこちらを覗いていた。

「先輩お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「おー茅ヶ崎に苗字おつかれ」

にこり、茅ヶ崎くんは完璧に笑顔を浮かべるので慌ててわたしも声をかける。省エネモードはすぐさま通常モードに戻されてしまったようだ。

「じゃあ俺はこれで」

そうしてさっさと茅ヶ崎くんはわたしと鈴木先輩の横を通って資料室に出て行ってしまった。たしかに彼の目当ての資料は見つかったのだからそれが正解なのだけど、やけに早足に見えたのはきのせいだろうか。

「苗字何探してるんだ?」
「あ、五年分の決算書です」
「あ、俺自分用に科目別にまとめたやつあるけど使う?」
「えっいいんですか?」
「いいよいいよ。データ送っておくわ」

茅ヶ崎くんの不自然な背中を追う暇もなく棚から牡丹餅が落ちてきた。紙面よりずっと有用なデータを頂けるのはとても有り難い。プラスアルファの恩恵を受けながら資料室の用事は無くなってしまうので先輩にお礼を言って資料室を出ようとすると、わたしの隣に先輩も並んでドアを開けてくれる。

「で、仕事は順調?」
「はい。おかげ様で早く帰れそうです」
「じゃあさ、会食の下見に付き合ってくれない?」

すぐそこの店なんだけど。ぱちんと資料室の明かりは消されてしまう。こんな定石を踏まれてしまえば断る理由はなんて到底見つかる訳もなく「是非」と返して、自分のデスクのフロアに手ぶらで戻った。仕事の早い鈴木先輩からデータはもう届いていて、続きに取りかかるもあまりに実用的なそのまとめられたデータは思った以上に時間がかからず資料の作成はあっさり終わった。そういえば、鈴木先輩何の資料を探しに資料室に来たのだろうか?と気づくのは、待ち合わせのエントランスで彼に声をかけられた時だった。