グラスを斜めにして滑らせるようにビールを注ぐと泡が立ちにくい、社会人になって知ったことそのいち。
会話に謙虚に受け答えし、時にはお世辞を挟め、周囲のグラスをしっかり確認しつつ、上司の動向を把握エトセトラ。全体の飲み会の席で新人はとにかく忙しい。けれど社会を上手に生き抜くにはこういったスキルも大事なのである。そう割り切って忙しなく動いていたら、どうやらお開きの時間となったようだ。空になったグラスをまとめて、会場を見渡し忘れ物が無いか確認して一息。自分もお店を後にしようとすると声をかけられた。

「苗字二次会行く?」

営業課の鈴木先輩がわたしの上着を手渡してくれたので受け取る。まだまだ先輩は飲み足りないといった様子で、疑問形で問いかけられたけれど完全に行く流れだった。まあ、今日は花金だし二次会なら人数も少しは抑えられて一次会より忙しくなることもないだろう。わたしもまだほろ酔い程度だし「お供させて頂きます!」と返して、ぞろぞろと二次会メンバーの流れに紛れ歩く。

「苗字って結構酒強いんだな」
「そうでもないですよ。ほろ酔いです」

課長が隣にいたからすこし飲まされてしまった。でもそれ以上についだから、まだだまだ自我はあるので大丈夫。二次会ではソフトドリンクを挟もうと思いながら鈴木先輩の横を歩く。営業課の3つ上の先輩。あまり仕事上大きな接点はないけれど、気に入って頂けているらしい。

「え〜茅ヶ崎くんどこ行ったんだろう」
「また逃げられた〜?」

そんな中わたしたちの前を歩く、夜は刻々と歩を進む中でもしっかりカールした髪を結った女子グループが流れる人を見渡していた。
茅ヶ崎くんも大変だな。と心の中で手を合わせる。季節ごとに行われる会社全体の飲み会には付き合いがあまりよくない流石の茅ヶ崎くんも参加はするが、それが女子たちにとっては一大イベントなのだ。
気にせず車道側を歩いてくれる鈴木先輩の方を向きながら歩いていると、すっと黒タクシーがすぐ横を走り去った。頭のランプが闇を駆けるのがなんだか綺麗に見えてなんとなくそれを目で追うと、4車線の広い車道を挟んだ向かいによろよろと歩くベージュスーツが見えた。わたしたちとは反対へと向かう彼の表情はこんな遠くては全くわからないが、見るからに危なげな足取りに目が離せなくてそのまま追っていると、かつんと足を躓くように体が傾いたのが見えた。

「・・っ先輩!すみません、実は明日用事があって朝早いの忘れてました!」
「え?」
「本当にすみません!」

瞬間、わたしは鈴木先輩に一礼して歩いてきた道を走り戻った。
ローヒールで良かったと思いながら、タクシーよりもずっと遅い速度だけど全力で夜を駆ける。横断歩道があるところまで真っ直ぐ直進をして、そのまま青の信号を曲がって反対側の歩道で転んだまま立ち上がれていない彼のところまで走る。

「ち、茅ヶ崎くん・・?」

まるで時間が止まっているかのように俯いた彼に、ぜえぜえ格好がつかないけれど肩で息をしながら呼んだ。

「・・・・うわ、神引きキタコレ」
「え、頭でも打った?」

ゆっくり顔をあげわたしを見た茅ヶ崎くんは、大分おかしかった。





「昨日の夜、開校記念日で今日休みの高校生とイベ限クエのランキングで張り合ってたら完全に寝るタイミング逃した上に今日取引先との打ち合わせが時間押して昼飯食べられないままクソ部長にクソ飲まされてクソ酔った」
「わかった、茅ヶ崎くんがめちゃくちゃ酔ってるのはわかったよ!」

歩道にへたりこんだままの茅ヶ崎君に手を貸して、すぐ横にある少し高さのある花壇へと座らせると、そんな愚痴を零される。
茅ヶ崎くんはそのまま、はあ、と項垂れるように座ったまま肘をついて熱い吐息を零した。まったく日焼けの無い真白い肌はピンク色に染まっていて、眉は悩まし気に下げられた上に潤んだ瞳、と、たっぷりの色気を振りまく茅ヶ崎くんを見て、見つけたのが先ほどの女子たちじゃなくて良かったと思う。これは取って食われていてもおかしくはない。

「歩ける?」
「無理。今の俺HPとMPが1で毒がかかってるからちょっとでも歩いたら死ぬ」
「やっぱりよくわかないけど歩けないことはわかった!」

茅ヶ崎くんの発する言語の半分くらい未知のワードだけど末尾だけを拾って理解しておく。長い脚は窮屈そうだし、そんなに多くはない人通りも多少気になるが、仕方がない。二次会が無事始まった様子の携帯を確認してから、すぐ歩いたところにある公園に目星をつけた。茅ヶ崎くんいいかい、絶対に誰に話しかけられても顔をあげちゃだめだからね、とおとぎ話のおばあさんのように念押しをしてなるべく早歩きでそれを買いに行った。

「茅ヶ崎くん、はい水」
「・・ありがとう」

自販機で買ったそれはキンキンに冷えていて、キャップを外して彼に渡してからわたしも隣に腰掛ける。こくこくと動く喉ですら赤みを帯びている。寝不足の上に空きっ腹で飲んだらそりゃ酔うこと間違いなしだけど、これは相当部長も飲ませたものだ。

「はー・・・あっつ」

でも気持ち悪さとかはないようで、ただ単純に発汗して目が回った様子なのだけが幸いか。茅ヶ崎君は第一ボタンまできっちり閉まった首元のボタンを外して、手で顔を仰いだ。いつもは耳にかけている横髪が乱れている。それを人差し指でそっと耳にかけなおしてあげると、じとりと濡れたピンク色がわたしを捕らえる。うっと息が詰まって、思わず目を反らしてしまいそうになった。それは麻薬のようで、ほろ酔いが頭を鈍らせた。胸がどくどくと音をたてる。

「・・苗字さんごめん、暇でしょ」
「、え、いや大丈夫だよ?」
「申し訳ないから、ここをタップするだけの簡単なお仕事頼める?」
「あ、はい?」

だけれど、そんなのは三秒だけのロマンスで、茅ヶ崎くんはすいすいと何故かその時だけは酔いなんて覚めたんじゃないかという手慣れた手つきでスマホをいじるとわたしへと手渡した。
その画面はアプリゲームのようで表示された[攻撃]ボタンを指さされたので、言われるがままにタップをする。何故か心底安心した様子の茅ヶ崎くんがおーいいね、上手上手、と横やりをいれてくる。

「あー・・・見つけられたのが、苗字さんで本当良かった」
「・・それは光栄です?」

先程わたしも同じことを思ったはずなのだけど、別の意味を孕んでいるようにきこえるのは、なぜだろう。





「夜分遅くにすみません。私茅ヶ崎くんの同僚の者です。・・えーと、茅ヶ崎くんをお届けに参りました」

そうしてゲーム内のLP という体力ゲージを無くした頃には、やはり覚束ないが歩けるようになった茅ヶ崎くんを所属している劇団の寮までのタクシーに乗せることに成功した。ついでにわたしの方向も一緒なので乗り込んで寮へと到着する頃には茅ヶ崎くんは長い睫毛で蓋をしていた。まるで死んでるようにシートに身を預けて眠る彼は、眠れる森の王子様みたい、なんて。起こすのはなんとなく躊躇われて、タクシーからわたしだけ一旦出て、寮のインターホンを押す。

「、至さん!?」

中から出てきたのは、この間お弁当を届けに来た女性で、本当に監督さんだったんだとすこし驚いた。そうしてぞろぞろ奥の部屋から何事かと人がやって来る。

「うわ、至さんダッサ」
「・・うるさいばんり」

そうしてその中の一人がタクシーをひょいと覗いてケラケラ笑いながら彼の体をひいた。その衝撃で目が覚めたのか、ピンク色の瞳が悪態をつく。

「あ、あの!至さんがすみません、遅いですし車だして送りましょうか?」
「いえ、このままタクシーで帰るので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

一件落着、一件落着。
無事、王子様を狼さんより守って城まで送り届けたわたしは、再度タクシーに乗り込んで自分の家へ運転手さんにお願いした。二次会帰りよりは早く帰れたし、万事休すといったところか。かちかちと鳴る方向指示器の心臓のリズムの音をききながら、ふあ、とあくびを一つ零した。