「監督さん・・?」
「えっ!苗字さん?」

平日の仕事終わり。今日は仕事もすんなり片付いてまだ明るい時間に自宅の最寄り駅まで辿りつくことが出来た。駅から家までの距離を歩いていると、随分と大荷物を抱えた監督さんを見つけたので声をかけて、その片方の手に持つ膨れた紙袋を預かる。

「本当に助かります〜!買いすぎてしまって・・」
「お互い様ですよ」

なんでもこの駅にある大型スーパーに買い出しに来たのはいいが予定以上に買いすぎてしまったらしい。スパイスの品揃えが最高なんですよ〜!と監督さんはとってもいい笑顔を向けてくる。劇団員はあの寮で生活していると茅ヶ崎くんからきいているし、食料の調達は大変なのかもしれない。

「いいえ!それだけじゃなくて、至さんのお弁当を届けに行った時も・・おかげで自信作のカレーが冷めずに至さんの手に渡ったんですよ!本当によかった!」
「あ、あれ中身カレーだったんですね」
「はい!」

お弁当にカレーとは何とも独特だけど、監督さんは「あの時のカレーは新しいスパイスを試して最高の味に仕上がったんです!」とこれまで見たどんな笑顔より眩しいくらいキラキラ笑うので、そうなんだなあと丸く収められる。結局美人がカラスを白色だと言えば白色になる。そういうものだ。

「監督!」
「あっ!紬さんに丞さん!」

二人で住宅街の路側帯をのんびり歩いているとすっとワゴン車が左寄りに停まる。助手席側の窓からひょこりと顔を出したのはさわやかな黒髪の好青年、運転席には体格の良い男性がハンドルを握っている。彼女を呼ぶ名前からして、劇団の人だろうかと思っていると当然のように監督さんは後部座席のドアを開けて荷物を乗せていき、ぱっとわたしに振り返る。

「そうだ!良かったら苗字さん夕飯食べていきませんか?」
「え?」
「早くしろ、ここ道路狭いから」
「行きましょう!」
「は?ええ?」

そのまま持っていた紙袋ごと引っ張られ、わたしはワゴン車へと乗り込まざる得なくなった。MANKAIカンパニーの人ってときたまにとても強引だ。すぐに発進の合図のウインカーをつけられるので、慌ててシートベルトを着用する。

「そちらの方は・・?」
「監督の知り合いか?」
「至さんの会社の同僚さんなんですよ」
「ああ・・・茅ヶ崎、本当にちゃんと働いてるんだな」
「こら、丞。失礼だろ」

・・茅ヶ崎くんの扱いがすこし酷いのはツッコんだ方がいいのだろうか?と思うもその二人がこの間申し込んだ冬組再公演の主演と準主演の役者だと気づいて、それより心の中で手を合わせて拝んだ。その名の通り天使役な訳だし、ご利益があるかもしれない。どうかお願いします。念を込めるわたしに、隣で監督さんは不思議そうな顔をした。




「お、おいしい・・!」

MANKAI寮行きへのワゴン車は10分たたずに到着して、監督さんいわく二日目の最高の状態のカレーに先ほど購入したもので『追いスパイス』をしたものを頂いたのだけれど、今まで食べたカレーの常識を覆すほどのおいしさだった。ぴかぴかに光る新米に乗せられたよく煮られたコクのあるカレーは程よい辛さが食欲に刺激を与える。一口食べて、感動のあまり拍手をすると監督さんはふふんと得意げだった。
ぱくぱくと進むスプーンに、我を忘れていたが、監督さんがダイニングテーブルの向かいでにこにこ頬杖をつきわたしを見て笑うのではっとした。ここは人様の家で、もっというなら寮なのだ。
どうやら食事の時間などは自由のようで、車に乗せてくれた二人はどうやら済ませた後だったらしく寮についたら自室へと行ってしまった上に、まだ夜も遅くないからかダイニングのある談話室はあたりを見渡しても誰もいない・・・と思ったがソファに誰か丸まって寝ている。「いつもああなので気にしなくても大丈夫ですよ」と言われるけれど、まるで猫みたいだ。

「え、女性は監督さんだけなんですか?」

寮の様子を気にするわたしを察してか、監督さんはMANKAIカンパニーの話をしてくれたのだけど、なんと驚くことに現在劇団には男性しか所属していないらしい。
それは色々と、大変なんじゃないかと漠然と思ったことが顔に出てしまったらしい。監督さんは、わたしを安心させるように言葉を紡いだ。

「わたしは一人部屋ですし、何か困ったことがあってもみんなが助けてくれるので不自由はないんですけどね」

だからこそ今まで頑張れてこられたんです。その監督さんの声をきいて、じんわりと、胸に滲むようなあたたかいものが広がる。
ピンクの風呂敷のお弁当に、インターホンを押せばざわざわと玄関からやってくる人たち。当たり前のように談話室のソファですやすや陽だまりの下眠る猫のような人がいる此処は、まだきっとほんの少ししか知らないわたしですら、とても温かい場所なんだなあとかんじる。

「・・あれ?ちわっす」

すると、いつの間にか談話室にやってきた人がいたらしい。隣の椅子がひかれて、驚いて横を見上げると、そこにはこの間の『ロミオとジュリアス』で『マキューシオ』を演じていた皆木くんがいた。

「お邪魔しています」
「綴くんおかえり!今日は2日目の追いスパイスカレーだよ!」
「今日もカレーっすか・・」

監督さんは立ち上がって、キッチンへと軽い足取りで戻っていった。その様子を見てまあわかってたっすけど溜息を吐いた皆木くんはわたしの隣に座る。

「この間公演に来てくれていた至さんの同僚さんっすよね」
「はい、あの時はちゃんとした挨拶も出来ずすみません・・」
「いえいえ、いつも至さんがお世話になってます」
「いやいや、こちらこそお世話になっています」

まだ大学生くらいみたいなのに皆木くんって随分しっかりしている。あの後の楽屋では一言二言挨拶をしただけですぐ御暇したというのに覚えていてくれたらしい。頭を下げる彼につられてわたしもスプーンを置いて頭を下げた。

「綴くんは公演の脚本も書いてるんですよ」
「え、そうなんですか?」

たっぷり盛ったカレーを皆木くんの前に置いた監督さんが再び向かいの席へと座る。「MANKAIカンパニー専属の自慢の脚本家です!」と言われた皆木くんはほんのり頬を染めた。シェイクスピアを崩さず絶妙なラインで改変した脚本をこんな純朴そうな青年が書いていたなんて。

「『ロミオとジュリアス』すごく面白かったよ。あんな面白いお話しを書ける引き出しもあるし、演技も出来ちゃうなんてすごいね」
「お世辞でも嬉しいっす」
「お世辞じゃないよ、本当に。若いのに立派だね」
「・・マジで至さんと同じ会社に人で同い年っすよね?」
「うん?」
「やっぱりあの人がおかしいのか・・」

ぶつぶつと呟く皆木くん。・・やっぱり茅ヶ崎くんの扱い雑じゃないだろうか?視線を移して残った最後の一口をスプーンで掬い口に含む。うん、ピリッと辛いスパイスの味が効いている。・・・これも愛の味、ということかな?