背景、n年後の

あと1歩、あと1秒、たったそれだけの「距離」が明暗を分ける。「繋ぐ」ということが全てを左右するこのスポーツで、そんな「距離」を後悔する瞬間なんかいくらでもあるんだろう。ボールが床を叩いた音がやけに大きくて、タンタンとバレーボールの跳ねる嫌味なくらい小気味のいい音がしたあと、向こうから湧き上がる歓声、地響き。勝敗のない勝負なんてない。そこにはいつだって「勝つ側」と「負ける側」がいて、必ず「勝てる」なんてものは存在しない。そんなことは分かっているけれど。悔しい。ただ、悔しい。そんなありふれた言葉しか出てこないのに、胸だけがどうしようもなく苦しくて、苦しくて。ただ、苦しくて。どうして、とか、そんなはずがないとか、でもそんなことを考えてしまうのはみんなに失礼だ。ざっと、横一列に整列した及川達がありがとうございましたと叫んだ声がやけに耳に残る。しっかりと上にいる観客を見つめて、深々と頭を下げた彼らは、今、この瞬間をもって高校三年間全てを捧げてきた「青葉城西」というチームのバレーボールを終えた。この瞬間の表情を私は一生忘れないんだろう。もっと、見たかった。あの大きな全国の舞台で、最高の笑顔で、彼らがバレーを終えるその瞬間を。けれど、その頂点に立てるのはたった一チームだけなのだ。何百とあるチームの中でたった一チームだけが、その場所に立てる。今年は、今年こそはなんて。
――そんなこと、及川達が一番思ってる。

「…お疲れ様」

最高だったよ、本当に。すごく悔しいけど。ぐわっと心臓が鷲掴みされたみたいに、相変わらずもやもやとするけれど。ほんとうに、ほんとうに。みんなみんなバレー馬鹿。もう二度と返っては来ないこの瞬間を、もう二度と巻き戻らないこの時間を、やり直しなんかできない今日というこの日を、恨まないといったら少しだけ嘘になるけど。今私の前に神さまが現れて、時間を戻してあげようと言われたら戻して欲しいと頼んでしまいそうだ。どっちが勝者かなんて終わるまで分からない。「今日」は駄目でも「今日」をやり直したなら、何かが少しでも違ったなら勝者と敗者の立場は逆になるかもしれない。青葉城西というチームが、烏野を倒して、ついでに因縁の白鳥沢も倒して。それで、全国に行く。「次」がある。そんな「未来」がもしかするとあったかもしれない。でも、それが起こらないのが現実だ。時間は前に進んでいく。あの瞬間は戻らない。だから、こんなにも苦しいのだ。時間が、前にしか進まないからみんなあんなに馬鹿になれるのだ。

「でも、及川はその上をいく馬鹿だから」

きっと前に進むんだろう。私が魔法使いで、神様で、どんなに時間を巻き戻して、また「今日」負けたとしても。それでも前に進むんだろう。馬鹿だから。ずっと、そんな奴だった。みんな馬鹿だけど。及川はみんなよりちょっと頭一つ分くらい馬鹿だから。

「ちょっと今悪口聞こえた!」
「うわっ、地獄耳、きもちわる」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですぅ〜」
「ガキかお前ら」

ぐずぐずに泣いた顔。明日の朝の方がもっとひどいんだろう。ひとりになって、ただ何でもない日常の音だけがして、そうしてどうしようもなく今を知る。触り慣れたモルテンの感触が、脱いだジャージが、ただ、「次」がない明日が来ることが。何度も頭の中で再生される試合も、終わりの瞬間も。ひとりになった時に、どうしようもなく襲ってくるそれが。「終わった」という事実だけを突きつける。そんなこと、分かって試合をしているはずだけど、理解と理性とはまた別のところにあるのだ。頭の中でどれだけ思考を整理しても、心がそれを許さない。別にいいじゃん。今日くらい、一生分泣いてしまえ。

「はな!」
「…なに、」

ドリンク不味かった。悪態と一緒に軽く投げられた青いラベルのペットボトルを受け取って、体育館の前に飲み物を置いてきたのは正解だったことを悟る。案の定、いつもの体育館でバレーでもしてきたんだろう。この試合終わりに。この人らほんとにバレーが好きだなあ、とかそんなことずっと前から知ってるけど。この馬鹿たちが注いできた青春が今日で終わる。あの顔が何よりの証拠だ。

「すっごいぬるかったんだけど」
「買った時は冷たかったんですぅ」

いつまでバレーを続けていくつもりか知らないけど。この男は今日これだけ泣いたって、明日どんなに酷い顔をしていたって、涙で流した悔しさを永遠に胸の中にしまっておくんだろう。苦しさだけを流して、悔しさだけは絶対に忘れない。どれだけ走り続けても前にある未だに乗り越えられない壁と、後ろからあり得ないスピードで追いかけてくる天才。一瞬でも足を止めたら、それらはきっとはるか遠くへ行ってしまうから。まぁ、どんなに試合で勝ったって、どれだけ周りから称賛されたって、一生満足なんかしないだろうけど。バレーという一つの競技に囚われたこの馬鹿は、絶対に。

「あ〜くっそ…くそ…」
「本日何回目のクソだよ」
「ぬるいスポドリで丁度良かったじゃん。冷たいともっと下すよ」

時間は進む。「今日」は終わる。次がくる。青葉城西に「次」は来ない。「次」があるのは、白鳥沢なのか、烏野なのか。結局それも試合が終わってみないと分からないけれど。

「まぁ、でもすごく最高だったよ、青城」
「うっさいばーか!そんなことくらい知ってるし」
「知能指数の低下が著しい…」

どんなに最高のチームでも、その頂に必ず立てるとは限らない。たった3年間、たかが3年間。されど、3年だ。人生80年、そんな中の3年間は短いように感じるけど。案外長かったよ。すごく短くもあったけど。80年の中でこの3年間がどれだけのパーセンテージを占めるのだろう。まぁ、それも多分ずっと先にならないと分からない。と、思う。
いつか、今日という日を振り返って――「たった3年間」を懐かしいと思えた日に、私達の中にも変わらない何かがあればいい。ただ、なんとなく。そう思った。