Stand by
「よ、よーう…?」
「んー、あとちょっとだから大人しくしてろって」
髪の毛をやんわりと攫う手のひらにくすぐったさを感じて、思わず逃げたくなるけれど。そんなことをしようものなら逃げるなとでも言いたげに名前を呼ばれる。目の前に鏡があるわけではないから今の自分の状態がよく分からないけれど。でも、間違いなく自分では想像もつかない髪型が作りあげられているのはなんとなくわかる。確かに、訊ねたのは私だけれど。まさか、こんなことになるとは。嬉しいやら恥ずかしいやらで一体どういう顔をしていればいいのか分からない。
「お、終わった…?」
「もうちょい」
まるで鼻歌でも歌っているような陽の声に、このまま動いてしまうのは申し訳ないだろうと大人しく座っておくことにする。陽の手が、髪の毛を掬う。あくまでもやさしく、ふわふわと。やっぱりまだ少しくすぐったいけれど、それがむしろ心地よくなってきた気もする。絡めるその指が、髪をそっと遊ぶたびに緊張とは少し違う熱が体に湧き上がる気がする。ああ、もう。スタイリストさんにはよく触ってもらっているはずなんだけどなぁ。…まぁ、私をよく担当してくれる人は基本的に女性が多いのだけど。やっぱり、男の子に触ってもらうと違うのだろうか。
「できた」
ぽんっと、肩を叩かれてびくりとする。「ああ、ごめん。痛かった?」と聞かれれば慌てて首を振る。我ながら、どうしてここまで動揺しているのか分からない。バクバクと落ち着いてくれない心臓を抑えつつ、振り返る。
「うん、やっぱ似合ってんな」
どう?と手鏡を手渡されて、やはり尊敬というか、何と言えばいいのか。先ほどまでなんだか妙に緊張していたのにそんなことはすでに吹き飛んで、ぶわりと咄嗟に叫んでしまいそうな、そんな興奮が爆発した。
「す、すごいねぇえ…うわぁ…器用だねぇ…」
職業柄、確かに沢山お洒落な格好はさせてもらっているしいつもいつも魔法みたいに綺麗にしてもらっていると思っているけれど。もちろん皆さんはプロで。プロだからできて当たり前だという訳ではないけれど。スタイリストさんっていうのは、人を綺麗にするそんな魔法をかけてくれるような職業だと思っているから、私には到底無理だなぁとか、いつもありがたいなぁ、なんていう感謝を抱きながら拝むことしかできないのだけど。
「陽は沢山のことができるんだね…」
「そうかぁ…?はなも…あー、いやお前は結構不器用だったな」
「残念ながら」
正直、ちょっと前までは髪の毛を一人で結ぶのも一苦労だった。今まで結ぶのを避けてたむくいかもしれないけど。三つ編みなんて絶対にできない。やり方は分かるんだけどなぁ。手がこんがらがってしまう。食べることは好きだから作れないことはないんだけど、うん。ついこの間夜くんのご飯を食べさせてもらって素直に負けたって思ったから。夜くんの作ったご飯美味しかった。もう一回食べたい。そう考えると、私って特技という特技がないんだなぁとか。
「前々からはなの髪弄ってみたかったんだよな」
満足げに私の頭を見ながらうんうんと頷かれれば、なんだか私も嬉しくなったような気がして。
「実際に触ってみてどうでした?」
「すっげぇふわふわしてた。また今度いじらせてよ」
私もそれは大歓迎だけれど、ああ、また心臓が爆発しそうになるのかなとか。原因は不明だ。今度から男性のスタイリストさんにもお願いしてみようか。次もまたこんなにどぎまぎしていたら陽に不思議に思われるかもしれない。
「ありがとう。陽の手、気持ちよくて好きだったなぁ」
だからまたお願いしてもいい?なんて言ってみれば、笑い出す陽に首を傾げる。
「手が気持ちいって言われたのははじめてだわ」
「そう?」
勿論髪の毛をいじられている間はなんだか落ち着かなくて、心臓はせわしなく動いていたけれど。それ以上に、触れられている時間が、手がとても心地よかったから。それを素直に伝えただけなのだけど。スタイリストさんに綺麗にしてもらう髪も好きだけど、それ以上に陽が触れてくれるその行為そのものが幸せだったような気がする。心臓は痛いほどに動いていたのに、この時間が終わらなくてもいいと思えるほど。
「俺もはなをかわいーくできて満足」
そう言って陽が笑うから、またふわふわしたような感覚が私の中に舞い戻ってきて。落ち着いてきたはずの心臓が、うるさくなる。そこから発生した熱はどうやら私の全身を駆け巡って侵すみたいだ。でもやっぱりこの感覚は嫌いじゃないから。
「そうだ、お礼にアイス奢ってあげよう!この前美味しいところ見つけたんだー」
アイスを食べる時間でも、一緒に話すだけでもいい。もう少し、あとちょっとだけ、一緒におしゃべりしませんか。