トロイメライに願う
「深夜くん、」
誕生日おめでとう、そう伝えるのは一体何度目か。それを数えることには意味が無いような気がして、正確な数字は覚えていないけれど。
「ありがとう」
おめでとう、と伝えてありがとう、と返ってくる。きっと去年も一昨年もその前もそのやりとりは変わらなかったんじゃないだろうか。誕生日が特別な日であるかと言われればそれは分からない。絶望の中に幸せがないとは言わないし確かにそこに光はあって、希望に向かって歩くこともある。──でもそれが否応なしに大きな力によって握りつぶされることもあることも知っているから。生まれてきたからそこに絶望を感じるのか、生きる幸せを知っているから絶望を感じるのか。多分どちらも正解ではなくて、どちらも正解なんだろう。もしかするとこんなことを考えるだけ無駄なのかもしれない。だから毎年交わされる、「おめでとう」と「ありがとう」には、それほど大きな意味はないのだと思う。もちろん、今ここに「柊深夜」という存在があるということは私にとって、何よりもかけがえの無い宝であることと同等以上の意味を持つのだけど。こんな世界で生まれてきて、生きていることを祝うことが正しいのかどうかは未だに分からない。
「さ、はな。おいで」
さっきから寒いんだよね、とへらり笑う様子に私もまたつられて笑う。11月もそろそろ終わる。けれど、空調は完璧で、寒くもなく暑くもなくつまりは丁度いい温度のはずだ。とか、阿呆のようにその言葉の裏の意味を読み取れないわけじゃない。否、確かに「おいで」と言われたのだから言葉通りといえばそうかもしれないけれど。
「こうしてるとさ〜」
何となく手を握って、握った指先はじわじわと熱を持つ。軽く触れた唇が甘く感じたのはさっき飲んだココアのせいだろう。よいしょ、とソファに座り込んだ深夜くんに引っ張られるようになだれ込む。そんな時にカラカラと笑い出したのが深夜くんだ。
「僕らバカっぽくない?これ、見られたら結構恥ずかしいよ」
五士はこういうの好きかもしれないけど、そう言ってひょいと横に座らされる。特別な日であるはずの時間はいつもの何ら変わらない時間で。生まれてきたから特別ではなくて、「今」隣にいられるから特別なのだと私は思う。それなら今は特別だ。…それは、私にとっての特別でしかないのだけど。あまり特別だ、特別だと言いすぎるとそれは特別ではなくなってしまうような気がするけれど。少なくとも私たちはこうやって生きていて、椅子に座って、どうでもいい話が出来る。それがどれだけ幸運なことか。
「起きたらグレンにちょっかいかけにいこうと思うんだけど」
「怒られるよ」
「本日の主役だぜ?敬えよ〜」
グレンは照れ屋だからなぁ、と言う様子にきっと騒がしくなるだろう少し先の未来に思わず笑いをこぼした。なんでもない、何の変哲もないただの日常が欲しいのだ。馬鹿みたいに騒いで、ご飯を食べて、みんなでゲームをする。多分、結局今日も。忙しいから帰れというグレンくんの横で深夜くんと五士さんが遊び始めれば、いつの間にかみんなが集まってきて。帰れとグレンくんは言いながらいつの間にかみんなで遊んでいる。そんな時間が、──ただ鬼を制御するために設けたはずだった仮初の時間が、今でも続いている。そんな時間を幸福の代名詞だと思ってもいいだろうか。
「さてと、寝るか〜!」
ぐっと背伸びをして立ち上がった深夜くんを追いかける。溜まった書類の山に目を向ければどうやら進んでいなかったらしいそれにため息をついた。
「…深夜くん」
「やだよ。今日は仕事休み」
「早くやらないと明日も2倍で積まれるよ」
「えー」
げえっと、心底嫌そうな顔をしながら戻ってくる様子にひとまず安心する。
「誕生日って特別扱いされる日じゃなかった?」
「大人だからね」
「マジかよ。やだなー」
ぶつぶつと文句を言いつつも、1枚、また1枚と目を通した書類に判子が押されていく。回ってくるそれは基本的に形式的なものだからと、ほとんどちゃんと読んではいないとは思うけど。深夜くん曰く、一応重要そうなところは覚えてる、らしい。回ってくるのは基本的に雑用のような、求められるのは一応の許可で深夜くん自身の意見は求められていないみたいだけど。「はい、終わり」と、再び背伸びをした深夜くんに見計らってお茶を渡す。
「散々な誕生日の始まりだよ、これ」
無いよね、と重そうな瞼に流石に同情する。誕生日といえば、特別扱いが許される日、だとか今更本気で思ってるわけではないだろうけど。そんな軽口を叩ける時間がある日でよかった。今日は「平穏」でよかった。朝起きたらいつも通りおはようと笑って、ご飯を用意して待ってるから。せめて今日はつかの間の「普通」がありますように。どうでもいいことで笑っていられますように。どうか願わくば、貴方が優しい夢をみますように。そんな日であったなら、きっとそれは「特別な日」になるだろうから。