教室に到着すると、ルリはわかりやすくむくれていた。彼女はあかりに気がつくと、開口一番、文句をぶつけてきた。 「なんであたしのこと、追いはらったの」 「ごめんね」 「迷いもせずに、あたしだけ除け者にするなんてひどいよ!」 ルリは自席から身をのりだし、怒りを含んだ上目づかいであかりをみあげていた。しかし、そこにこめられていたのは、非難や憤りではなく、理不尽な扱いに対する純粋な悲しみだった。 「せっかく早起きしたのに。急なことが多すぎて困ってるだろうから、できるだけ早く話してあげようと思ったのに。第一、あかりの家にはあたしの方が先についてたんだよ? ピンポン押したとき、いきなりあの人があらわれたの」 「ごめん。でも、あそこで神崎くんをほっとくわけにはいかなかったの。あのとき、神崎くんは」 あかりはそこから先を、どう説明しようか迷った。ルリは、あかりと神崎の約束も、彼が予測不能な癖者であることも知らないはずだ。しかし、ルリはその先をせかすこともなく、寂しげにうなずいた。顔こそ不服そうだったが、その目をみるに、実際はあかりの言葉に納得しているようだった。 「わかってる。あんな状態(、、、、、)の人を放置するわけにもいかないだろうし。あかりならそうするだろうと思ったもん。べつに怒ってないよ」 「怒ってないの?」 「頭ではね。心ではものすっごく怒ってる。この埋めあわせは高くつくからね!」 ルリは大げさに腕を振って怒りを表現していた。そのさまをみて、あかりは胸をなでおろした。ルリはもう、本気では怒っていない。長年のつきあいなので、そのくらいは簡単に見抜ける。 「わかった。何がほしい?」 すると、ルリは少し考えて、静かに答えた。 「放課後、あかりの家(とこ)にいく。時間ちょうだい」 それきり、ルリは『昨日』のことは一切話題にださなかった。すべての授業が終わって下校時刻になり、学校の敷地外へでてもなお、彼女は何もしゃべらなかった。彼女はひたすら、どこからか仕入れたくだらないゴシップや、最近買った文房具についてなど、たわいもない話ばかりをしていた。あかりはそれを意図的な行動だと受けとめ、あえて余計な質問はせずに、終始そうした『おかしくない話』につきあった。 それは、かつてあかりが望んでいたルリの姿だった。しかし、それは想像していた以上につまらない、価値を感じないものだった。 「あら、早かったのね。ルリちゃん、今日はうちにきたの?」 母は、自宅の玄関にあらわれたルリをみても、とくに驚くそぶりをみせなかった。ルリが突然家にくるのは日常茶飯事だった。ついでに食事をしていくことも珍しくない。 「はい。昨日はおばさんが心配してたって聞いたので」 「あら、ごめんなさいね。気を遣わせちゃったかしら。それじゃ、帰りは送っていってあげるわね」 「ありがとうございます。でも、大丈夫です」 意味深な会話を終えたあと、ルリはこちらをみて、わざとらしく笑った。あかりには、その笑みの真意はくみとれなかった。 「どういうこと?」 ふたりがあかりの自室へ移動し、母が軽食をおいて退室した直後、あかりはルリに直球で質問をぶつけた。すると、ルリは答えるかわりに、そばにあった鞄から小さな紙袋をだして、あかりに手渡した。 「これだよ」 「『これ』って?」 「ビーズ。あたしたち今、内緒で母の日のプレゼントを作ってるって設定だから。あかりのママにもそう伝わってるはずだよ。だから昨日、叱られなかったでしょ?」 その言葉と同時に、昨夜の母のはにかんだ笑顔が頭をよぎった。あれほど無断外出に厳しい母が何もいわなかったのには、ちゃんと理由があったのだ。母の性格と弱みを知りつくした人間でなければ、これほど巧妙な嘘は練られなかっただろう。 「ありがとう」 おかげで、今年は母の日について悩まなくてもすみそうだ。あかりはてっきり作業の続きをするものだと思い、紙袋をあけようとした。ところが、ルリはその場で立ちあがり、つかつかと部屋の角にある鏡の前まで歩いていった。 「プレゼントを作るのは明日からね。今日は違う用事があるから」 いうが早いか、ルリはいきなり鏡の中に手をつっこんだ。あかりが声をあげる間もなく、彼女の手は鏡面をすりぬけ、一瞬にして肘まで中に埋まっていた。 あかりは仰天して、持っていた紙袋を落としてしまった。以前のあかりなら、これを手品とみなし、裏のトリックについて考えていただろう。けれども、今のあかりにはもう、わかっていた。これはそんな単純なものではない。常識で説明のつく現象ではない。なぜなら、彼女は── 「今日は、これを説明しにきたの」 ルリが手を引くと、そこにはあの、不気味な白い杖が握られていた。彼女は鏡の中から、杖をとりだしたのだ。それからルリは杖をおき、鞄の中から折りたたまれた布をとり、その場で広げた。そこには、大きな円が描かれていた。中には様々な記号が刻まれている。そう、これはきっと俗にいう「魔法陣」だ。 「腕輪は持ってるよね? すぐに腕輪をつけて、ここに乗って」 いわれるがまま、あかりはひきだしから腕輪をとり、陣の上へと足をのせた。すると、ルリは自分も布の上へとやってきて、陣の上に両足がのるよう、場所を調整した。 「ちょっと揺れるよ」 ルリがそう告げたと同時に、ぐわりと身体が持ちあげられるような感覚があった。昨日と同じように、景色は歪み、視界は真っ黒に染まっていく。立っていられないほどのめまいと頭痛に襲われ、あかりは思わずその場にしゃがみこんだ。 「大丈夫? やっぱり気持ち悪い?」 心配そうな声が頭上から降ってきたが、返事をする余裕はなかった。あかりはしばらくうずくまったまま、急激な体調の変化と戦った。そのうち、右手首がじんわりと熱くなり、それに伴って頭痛は少しずつひいていった。そこであかりは、とじていたまぶたを持ちあげてみた。 そこに広がっていたのは、昨日と同じ「星空」だった。 「ここは、『夢空間(ゆめくうかん)』」 ふたたび声が降ってきた。聞きなれたルリの声だった。彼女は頭痛もめまいも感じないのか、先ほどまでと同じように、平然とその場に立っている。ルリは天を仰ぎ、どこか遠い世界へむかって説明を続けた。 「夢空間は、どことも繋がっていないの。寝ているときの夢と同じ、意識だけの空間だから。ここでキラキラしてるのは、全部誰かがみている『夢』なの。だからほら、消えたりでてきたりしてるでしょ?」 あかりは混乱した。昨日あんなに焦っていたのは、老女からこの場所が「夢ではない」と聞かされたからだ。それなのに、ルリはそれと真逆のことをいっている。 「夢? ここは夢の中なの?」 「違うよ。この空でチカチカしてるのが夢なんだよ。ちょっといってみる?」 ルリはこちらに手をのばしてきた。うながされるまま、あかりはその手をとった。するとルリはあかりを立ちあがらせ、杖でトントンと地面を打ってあかりに下をみるよう指示した。 「気をつけてね。ちゃんと立っていられるのは、この陣の範囲だけだから。あとは、あたしについてきて」 ふたりの足もとには、魔法陣が白く浮かびあがっていた。ついさっき、布に描かれていた魔法陣と同じものだった。あかりがそれに驚いていると、ルリは早々に陣の床を蹴り、星空の中へと飛びだした。 「いくよ」 あかりに決定権はなかった。あかりの身体は自動的にルリに追随し、彼女とともにどこかへと移動をはじめた。 「どれでもいいけど、あれにしようか」 ルリは浮遊する光の中のひとつを指さし、普段学校にいるときと変わらない口調で、「ちょっと入り口をあけてもらおうっと」とつぶやいた。すると、先ほどターゲットになっていた光は、まるでルリの言葉を解したかのように黄色く輝き、瞬く間に肥大化した。それと同時に放たれる輝きも強さを増し、あかりは目をあけていることができなくなった。 ふいに、身体に重力が戻った。あかりがこわごわ薄目をあけてみると、そこには無数の本が散らばっていた。少し先では、褐色肌の少年が憔悴しきった顔で、本棚から本を抜いては投げとばしていた。少年はこちらに気がつくと、何事か話しかけてきた。はじめ、あかりは彼の言葉を理解できなかった。しかし、話の途中、突如腕輪が熱くなり、頭の中に少年の意識のようなものが流れこんできた。 ──借りていた本をなくした。今日中に返さないといけないのに! 「あの子の言葉、わかったでしょ」 ルリは得意げにこちらをみやり、にいっと笑った。 「これがあの子の『夢』。ずっとなくしものを探してるみたいだね」 「これは『夢』なの?」 「そう。上をみてみて」 あかりが首を上にかたむけると、そこには見覚えのある群青色の空があった。それは、神崎と会った場所と同じ色をしていた。 「夢の中はこんな色なんだよ。あたしたち今、この人の夢の膜の内側にいるの。さ、そろそろでるよ」 「探すのを手伝ってあげないの?」 「あんまり他人(ひと)の夢に干渉しないほうがいいんだよ。名前もなのっちゃダメ。じゃないと世界中で有名になっちゃう」 ルリは杖で地面にぐるりと円を描いた。すると、地面にマンホールのような穴があき、紫の星空がみえた。ルリはあかりの手をとると、いつかそうしたように、穴の中へと飛びこんだ。 「ほら、あれがさっきまでいた『夢』だよ」 ふりかえると、そこにはあの金色の肥大化した球があった。 「ありがとう。もういいよ」 ルリがそういうと、球は少しずつ輝きを失い、もとの銀色に戻った。そして、するすると小さくなり、すいっと動いて、はるか彼方へと消えてしまった。 「これが『夢』。今ここにみえている光のひとつひとつに、世界中の誰かの夢が入ってるんだよ。あたしたちは今、そのうちのひとつを覗いたってわけ」 ルリはそのままあかりを連れて、迷うことなく星空の中を進んでいった。そして、もといた魔法陣のところまでやってくると、あかりを陣の上におろした。 「ここが出発点。ここから意識をきりかえて帰るのが、本来の方法なの。でも、帰り道がわからなくなったときのための裏技もあるんだ」 ルリは杖で、前方に大きく円を描いた。すると、ふたたび空間には穴があき、とある景色が顔をだした。それは、何度も訪れているルリの家の、彼女の自室の光景だった。 「あらかじめ、この杖に緊急脱出口として、あたしの部屋を教えてあるの。万が一迷子になったときは、これを使うことになってるんだ」 彼女は器用に杖を操作して穴をとじると、今度はあかりの腕輪を指さした。 「一応、腕輪にも脱出口を教えてあるの。だから、昨日『佑雲(ゆくも)』に飛んじゃったでしょ」 「へ?」 突然、馴染みのない地名をだされて、あかりは返事に困った。佑雲(ゆくも)というのは、少し遠くの、何もない街だ。親戚も友達もおらず、地図上でしか把握していない場所である。 「念のため腕輪にも、いざというときは『佑雲(ゆくも)』に飛ぶように設定しておいたの。発動するかどうかは賭けに近かったけど」 「どういうこと?」 あかりが尋ねると、ルリはしばらく考えこむようなそぶりをみせ、数秒間唸ったあと、「順番に説明するね」と真剣な顔でいった。 「まず、これは『ラピスラズリの杖』。ざっくりいうと、魔女だけが使える杖なの。夢空間にいくためには、これが必須なんだよ」 ルリは自分の白い杖をこちらにみせてくれた。「ラピスラズリの杖」──それは、ルリの口から何度か聞いたことのある単語だった。だが、ルリの話をほとんどまともに聞いていなかったあかりにとっては、ほとんどはじめて知る代物だった。 「あたしは魔女だから、杖があればいつでもここへこられるし、さっきみたいに、ほかの人の夢にも介入できる。でも、あかりの腕輪にも同じだけの力があるんだよ」 あかりは自分の右手首に視線をおとした。おばあさんの忠告を聞いたときから、この腕輪には何かあるとは思っていた。しかし、ルリの話を信じていなかった罪悪感から、どうしても切りだせずにいたのだった。 「前にも聞いていたらごめん……この腕輪はなんなの?」 「魔女の腕輪。あたしはそんなつもりはないけど、本来は『魔女』が自分の『従者』に渡すものなの。一緒に夢空間へいくために」 「従者」。その単語には聞きおぼえがあった。たしか、虹の国で女王がまったく同じことをいっていた。つまり、この腕輪は「本物」であり、あかりの身に起きたおかしなできごとはみな、この腕輪のしわざだったのだ。つまり、終業式にルリがいっていた説明は、なにもかも本当のことだったのだ。 「じゃあ、寝るときは離すとか、鏡に映さないとかっていうのは」 「夢空間へ飛んじゃうから。夢空間ってちゃんとした手続きを踏まないと、帰ってこられない場所なんだよ。だから、忠告しておいたのに。実際、迷子になっていたでしょ」 「それは……ごめん」 これには反論のしようがなかった。ルリはたしかに、事前に腕輪の扱いかたを教えてくれていた。それを一方的に無視したのはあかりなのだ。ただ、あかりにも言い分はあった。 「鏡に映したのは、わざとじゃないの。鏡から声がして、偶然鏡の前にいってしまったからなんだよ」 あかりは懸命に、昨日の不気味な声について解説した。ところがルリは怪訝な顔で首をひねるばかりだった。 「じゃ、鏡から誰かがあかりを呼んだってこと? そんなこと、あるかなあ。相手はあかりを知ってるってことでしょ?」 「ルリでもわからないの?」 「うーん。まあ、あたしもまだ修行中だから。とりあえず帰ろう」 ルリはそういって、杖を軽くふった。再度あかりはめまいに襲われたが、ルリが肩を支えてくれていたおかげで倒れることはなかった。 数秒後、ふたりはもといたあかりの部屋の床の上にいた。さいわい、母は部屋を訪ねていないようで、ふたりの留守がばれている様子はなかった。 「これ、返すよ」 あかりは腕輪を外して、ルリの前にさしだした。 「正しく使わなかったし、迷惑かけちゃったし。やっぱり、私が持っていていいようなものじゃないと思う」 ルリは、腕輪をみて固まってしまった。ショックを受けているのか、言葉を発そうとしない。それは、とりかえしのつかないものを目のあたりしたかのような、絶望的なまなざしだった。 あかりは驚いて、思わずだした手をひっこめてしまった。まさか、それほどがっかりされるとは予想していなかった。自分はただ、譲りうけたものを返そうとしただけなのに。 「やっぱり、いらない?」 少し間をおいて、ルリが口火をきった。あかりはあわてて、ルリをなだめようとした。こんな彼女をみるのははじめてだった。 「いらないんじゃないよ。ただ、こんな大事なものを私が持ってちゃいけないと思って」 「夢空間へいくのは怖い?」 「えっ」 意表を突いた質問に、あかりはとっさにルリの顔をみた。ルリは何かをこらえるように、唇を噛みしめていた。あかりが話しかけようとすると、ルリはそれを阻止するかのように、ふたたび口をひらいた。 「怖いならいいよ。無理にとはいわないから……でも、あたしと杖は、あかりを選んだ。腕輪もちゃんと発動した。あかりには素質があるんだと思う。腕輪を持ったからって、何も特別なことはないんだよ。ただ、夢空間のことを知っていて、魔女のことを理解していて、あたしと同じものをみてくれさえすれば、実際にあの場所にいく必要もないの」 それから、まっすぐにあかりをみつめ、いった。 「去年の十二月のこと、覚えてる?」