もう一度死ねるのならば
次はあなたのために死にたい


 綺麗だね。お人形さんみたいだね。こんなに綺麗なんて、名前は人間じゃないみたい。ホログラムでつくられた理想の女性って感じ。色相だって作り物のデータみたいにとっても澄んだ綺麗な色をしているのね。理想の人間像そのもので羨ましいわ。天は二物を与えず、なんて嘘っぱちね。
 物心ついた頃から言われ続けてきた忌まわしい言葉たち。ここに編入してからも何度聞かされたことだろう。私立桜霜学園。ここは良妻賢母となることを定められた良家の子女が集まっている学園であると聞いた。造られた箱庭の中にはきっと、私と同様に世間一般よりも美しい姿かたち、濁りのないサイコパス色相を持つ女生徒がいっぱいいて、そうすれば私もただの平凡な一人の人間として扱われると思ったのだ。だから両親に無理を言って編入をお願いしたのに、私は中学の三年間、いいえ高等部に上がった後もずっと、周囲の人間から綺麗だね、綺麗だねと言われ続けた。他人でしかない彼女らが好き勝手に私を褒めそやす言葉は徐々に呪いとなって私の脳裏にこびりついた。色相で全てを判断される社会で私のような存在は貴重品と同義とはいえ、私の価値は顔と色相だけだと言われているかのような言葉を浴び続ければ気分は悪くなる。それでも私の色相は主人である私のそんな思いとは裏腹に、澄み切った色を保ち続けていた。そして、その事はやがて私の心の奥にどろりとしたなにか言語化しがたい感情を産みつけていったのだった。だって、「わたし自身の感情」なんて色相の前では無いものとされてしまうのだから。

 家の力を使って学園へわがままを通して手に入れた土日の外出許可。親は子供を孕めない私がどうなろうが興味が無いらしく、珍しく顔を合わせた父親に少しねだっただけで直ぐに許可が降りた。家の名前を汚すような真似だけはしてくれるな、と念を押されたが制服さえ着ていなければ私が何処の誰かなんてこと、偉い人がそこら中にあるカメラのデータを追わない限りわからない。それに私は何をしても濁らない色相、つまりどんなことをしていてもシビュラの目にはとまらないという特権を持っている。となればお年頃の乙女の好奇心を満たすには、あとはちょっとのスリルがあればいい。ということで、私は外出許可を活用して自宅へ戻るフリをして様々な廃棄区画を徘徊するようになった。そこはそれまで生きてきた世界とは全く違う、素敵な場所だった。ほんのちょっとの危険となによりもあの空間には他人の色相を気にする人間がいない。それに、みんなどこか後暗いものを抱えているから私みたいな若い女が昼間から遊んでいてもお上に通報なんてしない。だから、一番楽しい遊び場だった。なんでヴァーチャル空間でのおイタをしないでリアルでやるのかって?そんなの決まってる。「わたし自身」が生きている実感が欲しかったからだ。





 彼と出会ったのはそんな夜遊びを初めて数ヶ月経った頃のこと。廃棄区画のひとつ、向島のとある橋を1人でワルツでも踊るかのように渡っていた時だった。脳内のBGMは変イ長調作品34-1。軽やかに華やかに、ホログラムで作ったドレスでくるくる踊る。誰も私を見てはいないし、見かけたとしても誰もそれを気にとめない。ついでに、いらない情報だけれども先週は高雅で感傷的な円舞曲を脳内BGMにして踊っていた。気づけば人があまり近寄らない場所で踊るのが習慣になっていた。その日、橋を渡り始めた時はそれまでと変わらずに誰も居なかった筈なのに、橋を渡り終えたところで乾いた拍手の音が夜闇を割いて響いてきた。今までこんなこと無かったのに、と一人の舞踏会への乱入者へ少し苛立ちを覚えながらも私はこの深夜の邂逅にわくわくしていた。若しかしたらこのまま殺されてしまうかも。それとも誘拐かしら?、なぁんてフィクションでしか無いようなことを考えながら、音に導かれるようにステップを踏む。イレギュラーにより生まれた月光色のちょっとした期待は、そうして辿り着いた先に待っていた相手の言葉に拠ってバラバラに崩された後に、その人自身の存在と続けられた会話によって宝石の煌めきへと変化した。
「君みたいな年頃のお嬢さんがこんなところを一人で歩くだなんて、危ないな」
「今までは何もなかったわ。これからは。そうね、あなた次第じゃないかしら」
 少し拗ねたような口調で答えながら、その人を見上げる。近付いている途中でも思ったが、その人は私なんかが比べることすら烏滸がましいほどに美しい存在だった。
 男であることが惜しい───いや、男であるからこそ際立つキメの細かい肌に載せられた美貌。それを縁取るのはホワイトスモークの髪。長く伸ばしたそれは野暮ったさよりも高貴さをプラスしていた。それは恐らく彼の持つ独特な雰囲気によるものだろう。アンティックゴールドの瞳は全てを見透すかのような静謐を湛えて私のことを見ている。思わず取り出した簡易色相チェッカーで確認した色は私と揃いのスノーホワイト。
「スノーホワイト。僕よりもずっと君に似合いの色だ」
「そんなこと、」
 ない、と言いかけて口を噤む。男の本題はそういう世辞のやりとりではないと気づいたからだ。この人はたまたま、偶然に今日、私に出会ったのではない。ずっと前から、もしかしたら数ヶ月前、初めて外に出るようになった時から私の色を見ていたのだ。だから「この色は私の色だ」と断言した。そして、そんな手間がかかることをわざわざ行う人が、この造られた楽園に生きる仔羊の一人でしかないなんてこと、あるはずがない。私の手の中には一枚の手札しか残っていないのだと気づき、さっきまでの浮かれ具合はどこかへと飛んで行った。今の私は、目の前の美しい存在に支配されている。天敵に睨まれた動物であるかのように、急速に血の気が引いていく。この人は、「無干渉」を保つ廃棄区画の住人なんかじゃない。無事で居られる保証が全くないというのはこんなにも不安になることなのか。体は本能に従って反応を示しているのに、今すぐにここから逃げ出して二度とこんな遊びはしないようにと警鐘を鳴らしているのに、私は今まで生きてきた中で最も楽しい、いいえ。嬉しいと感じているのだ。やっと、同じ世界を視ている人と出会えたのだ。きっと私の「精神」は今、一番美しい色をしているに違いない。
「君は、この世界をどう捉える?」
「正義によって美しく整えられた世界なんて、『童話』としか言いようがないわ」
 男の言葉はあまりにも直球だった。聞きようによっては反社会グループの言葉だとしか思えない。まともな社会の一員ならここで通報でもするのだろうか。けれどもこの時の私は既に「まともな社会の一員」から外れていたのだと思う。少しの間を空けて、男の問いに答える。それを耳にした男の唇が上向きに持ち上がるのを見て、私は彼に望まれた答えを出せたことを理解した。
「僕は君の望みを叶える事が出来る。気が向いたら来るといい」
 ───そして。そんな言葉と共に伝えられた地名は彼には不似合いな、廃棄区画のうちの一つだった。





 鏡に写した自分の顔をどうせ最後だからと見つめてみる。あの人と向き合っていた時以外は疎ましく思うことの方が多かったこの顔は、様々な人に作り物のようだと言われただけはあって、贔屓目を抜きにしても美しい。けれども今は、目元は酷く腫れて頬は少し痩けているし、肌もどこか土気色を帯びていて、人形と言ってもまるで蝋人形みたい。現物を見たことは無いけれど、資料で見たあれは今の私にそっくりだった。生気のない、どこか虚ろな人の写身。そんな中で瞳だけが黒々と輝いていた。
「…気持ちわるい」
 小さく呟き、いっそのこと剃刀か何かで顔が分からないくらいにめちゃくちゃにして仕舞おうかとも考えたが、痛そうなのでやめた。最後くらいは楽に迎えたい。私に残された時間はあと何分なのだろう。徐々に浅くなり始めた呼吸と白い靄がかかり狭くなってゆく視界に感覚を支配されていくことが気持ち悪い。自身で選択した終わりなのに、他人に支配されているような感覚がして、それに酷く苛立った。
 鏡に縋りつくようにして床に跪く。落ちた視線のすぐ近くに落ちているのは、先程掌から零れ落ちた一枚の写真。そっと盗撮したそれにきっと彼は気づいていたと思う。あんなにも頭の切れる人が、小娘の行いに気付かない筈がない。けれど、こうやってまだ私の残っているのだからそれは冥土の土産として持っていくことを許されたということなのだろう。カタカタと震えが大きくなってきた指先でその紙切れを引き寄せる。喉元にせりあげ、こみ上がってくる嘔吐感を我慢しながら、紙面に描き出された男の姿を、そっと指でなぞった。





「私、退屈に殺されたくはないの」
 初めてから二年、百を越える逢瀬、万を超える言葉の応酬の後、私がその言葉を口にした時、彼の瞳は一度輝いた後、色を変えたように見えた。
「約束通り、望むのならば君が永遠を手にする手伝いをしよう。それとも、その手でこの童話の作者を殺してみせてくれるのかな」
「───自殺と殺人、どちらを選ぶかなんて、紅茶を飲みながら話すことじゃないと思うけど」
 注いだミルクがカップの中の薄茶に描き出した渦をわざとスプーンで崩してから、口に運ぶ。紅茶は気持ちが昂っている時にそれを穏やかにしてくれるとは誰の言葉だったか。結論を出すのに早すぎることはないとは言え、少しくらい待ってからでも遅くはないと思う。
「それは、紅茶を飲み終えたら直ぐに帰る人間が言う言葉ではないと思うけどね」
 目の前のティーカップの中の紅茶を口にすると、彼は溜息を吐いた。私にはそれが終わりの合図に見えていたのだけれど、どうやらそうではなかったらしい。私と彼の関係は、私が結論を出した日まで、続いていたのだから。





 酷く目蓋が重い。自死を望んだ私に彼が与えたのは今では入手困難とされる旧い睡眠薬とアルコール、そして、綺麗なホログラムで彩られた部屋だった。与えられた白い錠剤は昔の作家が自殺した時に使ったとされる薬と同成分の塊だそうだ。薬ってすごい効力があるのね、なんて意識を摘み取られそうになりながら私はぼんやりと考える。今まで私が惰性で無駄に生きてきた十数年間もの時間を、たった数十分で簡単に奪っていくのだから。選択を問われたあの時にこの道を選べば、彼の二年間が無駄にならなくて良かったのかもしれない。それは彼以外にはわからない。けれども、あの書斎で読んだ数々の本は、作り物の木漏れ日を浴びながら投げ交わした言葉の数々は本物で。紅茶を飲みながら過ごした、四年間の内、半年くらいにしか満たない時間は、人生の中でどんな時間よりも楽しかったから。あの時選択を引き伸ばした事は。あの夜に彼の元を訪れたことは。あの時間は全て、私にとっては無駄じゃなかったから。
「おやすみ、白雪のお嬢さん」
 永遠を捧げよう、そんな囁きと共にそっと頬へと触れた掌の温度と彼の声がいつまでも消えない。こんなにも未練がましく残るのなら人殺しの道を選んだ方が良かったのかもしれない。あの人のそばにいられれば、社会的保証を失うとしても絶対に退屈なんてないと分かっていたのに、私は勇気が足りなかった。いいえ、あの人に会えば会うほど自分の価値が分からなくなっていたのだから、勇気があったところで選べていたのかは分からない。だって、私が持っているものは自身の思考以外、全て代替えの効くものでしかない。思考だって、彼からしたらそう面白いものではなかっただろう。私は彼の望みを何一つとして満たせそうもないのに、彼は私との約束を守ろうとしてくれている。そこまでしてもらえる理由が分からなかった。『楽園』の作者に逆らう事よりも、彼に、今までの楽しい時間の対価として何を求められるのかが恐ろしかった。考えても何も思い浮かばなくて、それが怖かったのだ。
 怖かったから、なんて理由で消去法で選んだ終わり方。結局、私は自らの意思で決断することが出来なかった。死者の国を目前とした今、今更になってそれが未練になっている。選び直せるのなら、2年前のあの時に戻ってやり直したい。考えても無駄なことを並びたてる脳裏にかかるのは、変イ長調作品34-1。死に間際の曲としては華やかに過ぎる。黴臭い華やかさ。あの人に心酔していても変わることのなかった自分自身に苦笑を漏らして、私は目を閉じる。

 閉じた目蓋に浮かんだのは、決して見る日の来ない未来だった。