もう五年近く前のことになる。夏油と共に赴いた任務先でみた初雪と果たされることのなかった約束、それに曖昧なまま封じられた感情。そういったものたちを私は未だに忘れられないまま、捨てきることが出来ないまま、心の臓、その奥深くで持て余している。
───来年も一緒に見られるといいな。
任務やらなんやらで無理だろうと半分諦めの気持ちを抱きながらも、当時の私はそんなあやふやな言葉に僅かな期待を抱いていた。あの日の時点で既に、私も彼もこの業界から足を洗えるような人間ではなくなっていたから、共に同じような人生を歩いていくのだろうなどと考えていたのだ。隣にはいなくても、顔を合わせれば気軽に話が出来る、そんな関係で居られるだろうと。そんな期待は翌年、見事に粉々になったのだけれど。それも、あんな発言をした本人によって。分かっている。あれは会話の延長線でしかなく、わたしが勝手に約束のように捉えていただけなのだと。夏油にとっては特別ではない言葉だったのだと。理解はしていた。
「なんのつもり?」
あの日と同じような山奥にあの日とは違って一人きり。当時と同じく任務完了後に降り出したそれを見上げて、若さゆえの苦々しい過去を反芻した時だった。誰よりも慣れ親しんだ香りが私の鼻腔を通り抜けた。人恋しさで遂に幻覚まで感じるようになったのかと
「迎えに来たんだ」
「迎えに来るにはまだまだ早いかな。あと90年くらい待ってもらわないと」
お前には死体になっても価値があるのだと、師である祖父に何度も言われていたことを思い出して言う。呪術師業界において指名手配犯となった今、夏油の手元に手札はいくらあっても足りないだろう。私が彼の立場だったのなら、死体となった自分はそれなりに手に入れたいものにあたる。生きていると管理が面倒だけれど、死体ならバラして持ち運べるし。なにより、実際に先祖の死体を運用している身としては、生きている自分を使うより術式の取扱い方がシンプルになってとっても便利だと思うし。流石にそこまで家系について具体的な話をしたことはないから、使い方までは知らないだろうけれど。しかし、少女漫画の中のデート当日かのような、夏油の言葉は仕舞いこんだ筈の気持ちを引っ張り出すには十分だったようで。(これが狙って言ったのなら恐ろしい。しかし、奴なら有り得る話なのだ。)うっかり、私が死んだ後に、私の首を抱える夏油を想像してしまう。大層大切に扱ってもらえることだろう。事実になったら、私は大変に困るのだけど!
「そうかな?これでも遅くなったと思っているよ、私は」
確かに、高専から出奔したばかりの夏油に「私に着いてきて欲しい」と言われていたら、当時の私ならば詳しい話も聞かずに直ぐに頷いていただろう。足元以外が真暗闇なのだとしても、夏油が手を掴んでくれていればそれだけで歩いていけると思い込めただろうから。それほど、私は夏油傑という男を好きだった。愛していたと言うには違う、執着にも近い何かを抱いていた。私たちはとてもよく似ていたから、自分一人では導けない答えを二人いたら見つけられると思っていた。そんな思考を当時から見抜かれていたのだとしたら、遅すぎる、と彼が言うのも分かる気がする。
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当時の私はずっと悩んでいた。心身ともに傷だらけになりながら、見ず知らずの他人を救うこと。知人が他人のために死んでいくこと。そのことに礼の言葉ひとつないことは当然で、悪い時は人が死んでいるのに、住民達から化け物扱いされることもあった。補助監督の運転する車で、逃げ出すようにして任務地から離れる時、悔しくて辛くて泣いたこともある。自ら欲して手に入れた力ではないのに、持てるものは持たざる者を庇護するべき、だなんてノブリスオブリージュを果たすことを求められる。ただ犠牲を払うだけの行いになんの意味があるのだろうか。
祓わなくなった
そのことが酷く恐ろしかった。
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彼と私の道が完全に分かたれたのは彼が高専から居なくなったからではない。彼が失踪して数ヶ月が経っても、私には彼が呪詛師になったとは思えなかったからだ。同種の悩みを持っていた私は、きっと、悟よりも僅かに傑に近い存在でいた筈だ。故に、自分だけは彼の中の答えを否定してはならない、自身もまたおなじく彼が抱いたのであろう疑問といづれは向き合わなければならないのだと思っていた。けれども、それを公言するのは憚られた。家のこと、そして何より二人目にはならないで欲しいという周囲からの視線があったからだ。御三家が人の形してるような悟や、人との距離を常に一定に保っているように見える硝子は上層部の目には危険とは映らなかったらしい。三等分されて然るべき大人の目とやらいうものは、結果として私一人に集中した。任務も学生同士で組ませられることはほとんど無く、基本的には大人の誰かと一緒に組まさせられる。挙句、自由行動の時間ですら、窓達が常にこちらの顔色を伺いながら付き纏ってくる。疑ってなんていないのだけれど、なんて実のない言葉なんか要らなかった。それならなんで二人と共にいさせて貰えない、私だけが、どうして。なんで。
がらんとした敷地内の奥、作り物の池に設置されている東屋の中でしゃがみこむ。わたしをこんなところまで迎えに来る人間はいない。いなくなってしまった。
「何が教育機関だ、ただの牢獄じゃないか」
誰に聞かれていたとしてどうでもよかった。何をしても疑われたままならば、好き勝手言うくらい許されたかった。