大音量の音楽と、心臓に響く低音、それとお酒、と、すれちがいざまに投げられる無遠慮な自分への視線。
特別美人じゃなくたって、特別スタイルがよくなくても、暗い箱の中なら隠せてしまう。
品定めをする目は、音楽とお酒と薄暗さで緩和されるのだろう。
道端ですれちがうひとと、ここにいるひと。違いは何だろう。
簡単に距離が詰められるからこそ、それはとても薄っぺらい。
0時はとっくに回った。終電はバイバイ。
タクシーで帰るにも、一緒に来た彼女を置いていくのが忍びない。
お手洗いの鏡にうつる私の顔は、普段よりも塗りたくられて、いつもよりもずっと疲れている。
足の爪先が少し痺れて感覚がない。
人波にのまれてしまうと何も身動きができなくなる。
慣れない場所、慣れない空間。
心臓に響く重低音。
やむことのない音楽、会話、笑い声。
いつもよりも薄暗くって目がちかちかするライト。
アルコールの匂い。
友達に強引に連れられてきたこの空間はとっても非日常だ。
まわるアルコールに、たくさんの人、大音量の音楽。
フロアに飛び込んでしまえば知らない人との距離がグンと近づく。
気分のまま音楽に揺れていれば大丈夫だよ、とか。
お酒たくさんのんじゃおう、とか。
イケメンいるかな、だとか。みんな話をするけれど。
知らない誰かと、パーソナルスペースを優に飛び越えた距離感が、どちらかというと苦手だ。
「あれ・・・」
長蛇の列だったお手洗いからようやくフロアに戻ってみると、一緒に来た友人たちの姿はどこへやら。
耳慣れた曲に多くなる人の波。どっちを向いても人人人。
すっかりはぐれてしまって、隙間を縫って行くのも難しい。
手元のケータイの表示は[圏外]。通話をするには一度外に出る必要がありそうだけど。
この人混みをどうやって抜けようか。
「ねえねえ」
かけられた声に気が付かない振り。
面倒だと踵を返すと右腕を強く掴まれて、振り払おうとした腕だけではなく肩ごと引かれて振り返る。
振り向いた先には予想通り、近すぎる位置に知らない男の人。
立てた髪、細い眉、唇にピアス。肩を掴む指にはタトゥー。
きっとここじゃなかったら、近づくことさえなかっただろう。
「なんで無視すんの?」
「急いでるの」
「え?なんて?」
寄せた耳に大声で「友達探してるの!」と投げる。
いい加減に痛い、と肩に乗る手を振り払った。
「さっきフロアにいたっしょ?」
「いたけど」
「やっぱ?可愛いって思ってたんだよなあ。友達とはぐれた感じ?」
行く手を阻むように回り込まれて立往生。
珍しいことじゃない、ここにおいては特に。
「邪魔」と言っても「じゃあ俺とのもうよ」なんて意味不明な返答。
奥の席を指差すその人。VIPで騒ぐ一つの集団が手招きしている。
「VIPとってんだ。シャンパン入れるからさ、おいでよ」
「友達探すから」
右腕は再度掴まれて強く引かれる。
履きなれない高いヒール。足も限界だ。
「友達も来たらよべばいーよ」
「ちょっと、まって」
無理矢理押しこまれたソファはやわらかくて腰が沈んだ。
これ見よがしに呼ばれたボーイが運んできたショットグラス。
話が違う、と思っても両隣にいつの間にか座られてしまうと身動きが取れない。
「ほい、かんぱーい!」
舌がしびれる度数に鼻に抜ける独特の匂い。
のどが熱くなる。
距離が近い。
さっきよりもぐんと近い。
太ももと膝がぴったりそのひととくっついている。
腕が肩に回る。
「酒飲めんじゃん!シャンパン後で来るからさ」
「いい。いらない。もう飲めないから、フロアに戻る」
少しだけ離れた距離を簡単に詰められる。
またぴったり足と腰がくっついた。
「じゃあさ、友達探しに、外行こうよ。この辺色々休むところあるっしょ?」
耳に寄せられた顔が気持ち悪い。
立ち上がろうとした腰に腕が回る。
脚をなぞる指を払いのけても、アルコール臭い唇が寄せられる。
「ちょっと!離、」
「お待たせしました」
顔を払いのけようとした瞬間、横から声がかかった。
見上げるとさっきとは違うボーイさん。
私にだけ差し出されたグラス一杯の黄色。
「おい、こんなの頼んで無いんだけど?」
「こちらのお客様に」
言われるまま差し出されたグラスを手に取る。冷たい。
柑橘系の香りのそれは熱い頬を冷やすのに丁度いい。
「お友達が探されていましたよ?」
「え?」
「こちらです」
掴まれた手首は上に引っ張られて腰が浮いた。
右手のグラスが揺れる。
「おい、お前!」
掴まれそうになった腕ごと、前を歩くボーイさんに絡めた。
そのままフロアに出てしまえば人・人・人!
人混みの中追ってくるのは難しい。
すいすいと間を縫っていくその人についていけば、いつのまにか追ってくる姿はなくなって。
右手のグラスが抜き取られて、腕は絡めたまま。
足取りがおぼつかないままフロアをつっきって、外へ出た。
夜風が気持ちいい。
喧騒から離れた空間はやっといつもの静かな夜。
裏の階段の前でようやく手首が離された。
「これ」
差し出されたのは先程の黄色いグラス。
水滴がついているけれど、まだ冷たい。
「なに?」
「グレープフルーツジュース」
一口含むと酸っぱい味。よろめく足でようやく階段に腰掛けた。
目の前のボーイも隣に座った。
グラスが空になるまでどれくらい時間が経っただろう。
ゆっくり、私がそれを飲み干すまで、お互い何も話さなかった。
「ありがとうございます」
空になったグラスが手元を離れた。
まだ少しふわふわする思考は、さっきに比べると格段に落ち着いていた。
どうやらやっぱり少し酔っていたみたいだった。
「どういたしまして」
いつから見ていて助け舟を出してくれたんだろう。
あそこにずっといたら今頃どうなっていたか、想像したくもない。
今日のVIPは特に評判悪い客でね、とその人は続ける。
ストライプのシャツと黒のパンツにベスト、髪と瞳と相まって、とてもこんなクラブのボーイには見えない。
「そうだったんだ」
「友達がいるってのは嘘。もう下に戻らないほうがいいから、ここで迎えに来てもらったほうがいい」
ぽん、と左手に乗せられたのは見慣れた携帯電話。
ポケットを探ってみるとあるはずだったそれがない。
「落としてた」
「ごめんなさい、本当にありがとうございます」
ぱちん、とひとつウィンクをして彼は背中を向けてしまう。
慌ててその背中に声をかけた。
「待って!」
急に立ち上がったせいか少しだけ眩暈がした。
呼びとめたくせに、何を言えばいいかわからない。
振り向いたその人は少し首を傾けた。
「名前、名前教えてください!」
「ジン」
それだけ言って背を向けてしまった。
ひらひら、振られる手のひらに、反射的に「待って」と告げる。
「またここに来たら会える?」
何を聞いてるんだろう。口が勝手に言葉を並べるのはアルコールのせいにして。
振り向いたジンが、少し逡巡するように眉を寄せた。
貸してと言われて差し出した携帯に並んだ11桁。
「次は、ここじゃないとこで」
さて、どうやって次をその次につなげてみせようか。