二.二度目の鍛刀をしたあの春の日は、よく晴れていたと思う。
三日月宗近がこの本丸に於いて、後ろから数えて二番目に顕現した刀剣男士であるならば、一期一振は初期刀の山姥切国広、初鍛刀の秋田藤四郎に次いで三番目に顕現した刀剣男士だった。これは非常に幸運なことだと、わたしのパートナーであるこんのすけは言った。レアと呼ばれる希少な刀がこれほどまでに早く来てくれることは稀なのだと。
審神者という職に就いて、まだ三日と経たない頃だった。出陣、手入、刀装作り、内番、まだ何もかも慣れておらず四苦八苦していて、遠征と演練に至っては未知の領域だった。出陣も、最初のそれで中傷になって帰ってきた国広を半分べそをかきながら手入部屋に突っ込んで以来、一度もしたことがなかった。とりあえずこんのすけに言われるがまま初めての鍛刀をして、来てくれた秋田に最高に癒されながら、しばらくは国広と秋田と三人で刀装作りと内番と家事をこなし、何をするにもひとまず人数を揃えようと思い立った。鍛刀は運だが、ある程度は資材に左右されることは知っていたので、すべての資材を上限まで突っ込んで二度目の鍛刀をした。近侍の国広の呆れ返った視線が今やデフォルトになってしまったのは、たぶんこれがきっかけだと思う。
──そうして、彼が、やって来た。
『私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。藤四郎は私の弟達ですな』
春が、春を連れてきたのだと、そう思った。
ぱっと目をひく明るい浅葱色の髪は涼しげで、柔らかな琥珀の瞳や、きっちりと隙間なく着込まれた濃紺の軍服などと合わせると、全体的に春を思わせる出で立ちだった。彼に限った話ではないが桜が舞っていたから、余計にそう思ったのかもしれない。声もあたたかく穏やかで、高くも低くもなく耳にすんなりと馴染んだ。流れるような、洗練された所作。やさしげな笑みの下に見え隠れする凛とした矜持。顕現した当初は誰しもまだヒトとしての営みを経験していないから、神様としての貌を見せていることが多い。彼も、そうだったと思う。
すごい、いち兄だ、と秋田が呟いたことを覚えている。数の多い粟田口の中でいちばん最初に顕現した秋田藤四郎は、まさか自分の次に長兄が現れるとは予想だにしていなかったのだろう。
はしゃぐ秋田と、ぶっきらぼうに自己紹介をする国広に促され、一期一振は改めてわたしを見据えた。かたちの良い唇が、あなたが私の主、と言葉を紡ぎ、こんな見映えのしない人間が主では不満だろうかというわたしの不安をよそに、彼は口上を述べたときと同じように白手袋に覆われた大きな手を胸に当て、こうべを垂れた。どこまでもうつくしく、洗練された所作で。
『誠心誠意、お仕え致します。どうぞよろしくお願い申し上げる』
初めての太刀、それも能力値の高い希少な刀。わたしが彼を頼ってしまうのは、ごく自然な流れだった。
ほかの者より刀装を多く装備できるのは、それだけで戦場では強みだった。出陣には少しずつ慣れ、もちろん国広も秋田も、のちに顕現した者たちも戦いに出したが、一期一振が部隊にいるだけで圧倒的に安定感が出ることは確かだった。いつもは柔らかな琥珀の瞳を眇めて鋭く敵を見据え、優雅に華麗に、それでいて手段を問わない奔放さも併せ持つ彼の戦い方には、溜息が出るほど引き込まれた。これは主という欲目を差し引いても有り余るものだったと思う。現に演練に顔を出すようになると、よその審神者はみんな一期一振を見た。演練で当たる部隊は八割が己と同等の審神者レベルを持つ。胸を貸してもらうという名目で当たる残り二割の高レベル部隊を除けば、一期一振がいる部隊はうちだけだった。ある程度の審神者レベルに達するまではずっとそうだったから、羨望の視線を一手に受けて、少し、いい気になっていた部分もあった。もちろんそれだけではなくやっかみの対象となることもしばしばで、実際に絡まれることもあったけれど、そんなときは当の一期一振が実にスマートに、誰の手を汚すこともなく、禍根も残さずその場を収めてくれて、わたしの中で彼の株が上がるばかりだった。国広に気を引き締めろと窘められて、慌てる羽目になったけれど。
強さは十二分。理知的な性格と、丁寧な立ち居振る舞い。なんでも器用にこなすのかと思えば少し不器用なところもあって、何日も箸の持ち方を秋田に教わっては、お恥ずかしいとはにかむ姿は微笑ましく、とても好感が持てた。あのかたちの良い唇が、あるじとたった三音を紡ぐ、それだけでぽかぽかとした春の陽だまりの中に佇んでいるような心地がしたし、もしわたしにも刀剣男士たちと同じように誉桜があったなら、きっと彼に微笑みかけられるたびに大量の花びらを舞わせていたと思う。
出陣も鍛刀も少しずつ数をこなして、次第に仲間は増えていったけれど、一期一振に抱くものと同じ気持ちをほかの誰かに抱くことはなかった。強い刀はほかにもたくさんいて、彼ばかりを頼ることはなくなっていったが、わたしの中で彼はいつでも特別だった。審神者として公正に、贔屓はしてはならないと自身を戒めるほどには。
たぶん、恋では、なかった。いちばん近い言葉で表現するなら『崇拝』がもっともふさわしいだろう。わたしは彼に盛大に夢を見ていたのだ。現世における女の子がテレビや雑誌の中のアイドルに夢中になるのと変わらない。恋と呼ぶには綺麗すぎ、愛と呼ぶにはあまりにも鈍かった。わたしは愚かで、考えなしで、幼稚で鈍感で無知だった。
彼に抱く気持ちが恋だったなら、今こんなに関係が拗れることはなかっただろうか。わからない。ひとつだけ確かなのは、それが考えても詮無いことだという事実のみ。
一期一振は、梅雨入りしてすぐのあの雨の日からわたしを避け続けている。彼はもう笑いかけてはくれない。かたちの良い唇から穏やかな声で主と呼びかけてくれることもない。触れるなんて、もってのほかで、視線すら合わさらない。今彼から与えられるのは、軽い会釈と冷たく事務的な会話だけだ。それがあるだけ、きっとましなんだろう。彼は、やさしいから。
あの日から、すべてがおかしくなってしまった。わたしが原因で。わたしの、せいで。
一期は、一期一振は、弾みでわたしを抱いてしまったことを、ひどく後悔しているんだろう。
わたしを厭って、わたしを嫌悪して、でも主であるがゆえに完全に無下にすることもできず、もがき苦しんでいるのだろう。
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