少女が一人、守護天使の像の前に立っていた。像と向かい合う、その後ろ姿は小さく華奢で、身に付けている衣装はあまり見かけない不思議な――はっきりと言ってしまえば奇妙な形をしたものだ。ポンチョにも似た上着は旅人らしいと言えば旅人らしいが、茶色を基調とした独特な模様が目を引く。その上、肩の下辺りで切り揃えられた髪は太陽の光の元で銀色に輝いていた。
つまるところ、あまりにも目立ちすぎて周囲から浮いている。周りを森に囲まれたような田舎では、特に。
(全然、わたしに似てないよね……)
少女は憂鬱そうに石造りの像を見つめる。初めて石造りの像を見た時も、同じ感想を抱いたものだった。
対する石像はというと、穏やかな顔で台座に鎮座していて、少女などお構いなしにただひたすら村全体を見渡すばかりだ。
それもそのはず。この像は守護天使の姿をかたどったものだ。
世界にはたくさんの街や村が各地に存在するが、どこにでも必ず一つは見かける像がある。それが守護天使像だ。街や村には一人以上の守護天使がいて、その場所を守ってくれている――というのが、この世界の古くからの言い伝えである。単なる言い伝えでしかないので、どれ程の人間が信じているのかは定かではないが、こと田舎に関して言えば、守護天使信仰が根強く残っている傾向がある。
少女が今いる村――ウォルロ村も、そんな場所の一つだ。
この石像も、結局は人間の想像で作られたものである。本物が目の前に立っていたって、それがウォルロ村の守護天使だとは誰も思わない。
例え、その者の名前が像に刻まれた名前と同一だったとしても。
浮かない顔で石像を眺めていると、「おい」と誰かに声をかけられた。
この声の主は知っている。確か、村長のドラ息子だとか言われている――。
「お前だよな。大地震のとき、どさくさに紛れてきたヤツって」
振り向きざま、無遠慮に投げかけられた言葉は疑念がたっぷりと含まれたものだった。それも仕方ないと言えなくもないが、こうもあからさまに態度に出されるのは初めてだ。
少女が青年に顔を向けた。深みのある紫の双眸が印象的な、人目を引く容貌が明らかになる。
「なにか、ご用ですか……?」
珍しい紫色の瞳を不安そうに揺らしながら、少女は青年に問う。あまりにも現実離れした色彩に、青年は少々たじろいだようだったが、すぐに気を取り直したように威勢を取り繕い、続けて口を開いた。
「守護天使と同じ名前なんだって? 実のところ、どうなのかは分かったもんじゃないけどなぁ」
青年はお供を引き連れていた。どちらも年頃は同じくらいの青年のようだが、おそらく少女ともそう歳が変わらない――ように見えるだろう。
「本当に変なヤツですよね。着てる服も変なら、どこから来たのかも言わないし」
目の前で威張り散らす青年に、お供の青年は敬語を使っていた。どうやら二人は親分と子分的関係らしい。
「だいたい、旅芸人ってのも本当なのかよ?」
少女が黙っているのを良いことに、青年達は言いたい放題言ってくれる。しかし、少女は口を閉ざしたままだった。
少女がいきなりこの村にやってきて、村の守護天使像と同じ名前を名乗ったことは事実である。旅芸人、というのだけはその場をしのぐための嘘なのだが、それ以外のことは全て真実だった。
本当のことを言ったって誰も信じてくれるとは思えない。人々にとって天使とは信仰的な存在であって、実在するものではないのだ。
それに、大地震で混乱している村でこれ以上の騒ぎを起こしたくはない。――咄嗟に「旅芸人だ」と言えたのは少女にしては上出来だった。世間ではかなり物珍しく見られる衣装がここで役に立った。
彼女にとってもこの事態は想定外だったのだ。現状は解決手段すらなく、ただただ無意味に時間が過ぎていく。
(わたしはこの村の守護天使だから……しっかりしないと、)
そう、少女の正体は人間ではない。そして、天使像と同じ名前であるのは偶然ではない。像自体が少女そのものと言っても良い。
少女の名前はリタ。そして、この天使像に刻まれた名前も、リタ。
少女はただの行き倒れではない、自身が落ちたこの村を護る、守護天使だった。
――大地震と共にやってきた風変わりな旅芸人さん。
ウォルロ村の人々はリタのことをそう認識したようだった。
村の少年に芸をせがまれた時はさすがにどうしようかと思ったが、それ以外で特に困っていることはない。――正確に言うと、先程までは「困っていない」と思っていた。目の前の二人組に話しかけられるまでは。
(怪しいのは……本当のことだし、)
素性の知れない旅芸人なんて、胡散臭いにも程がある。この青年達のように警戒されたって仕方がない身の上であることは充分リタも承知している。
しかも、村へやってきたキッカケというか理由は村の滝から落っこちたから、である。「どうしてそんなところに」という問いには「ごめんなさい」の一言で押し通した。嘘を重ねるとどこでボロが出るか分かったものではない。
幸いにも、それ以上事情を追及されることはなかったが、そんなやり取りもあってか、どこか胡散臭さが拭いきれないまま現在に至る。
「いいか、この村で少しでもおかしなことしてみろよ、このニード様が黙っちゃいないからな!」
――そう、青年はニードという名前であった。
図らずも自己紹介する形となった村長の一人息子ニードは、リタを威嚇するかのように上体を反らし、自らを親指で差した。
そのセリフに、リタは「あれ、」と目を瞬かせる。
何やらガラは悪いものの、ニードはニードなりに村の心配をしている――のだろうか。
出会ったばかりということもあって、ニードの人となりをイマイチ把握出来ていないリタは内心首をかしげるばかりである。が、そんなリタの心の内を察したかのようにニードの真意を教えてくれたのは、先程からニードに追従している子分の青年だった。
「ニードさんはな……最近リッカがアンタにベッタリだから、つまらなく思っていらっしゃるんだぞ!」
「え?」
きょとんとした顔でニードの方を見る。大きくぱっちりと開かれた瞳をことさらに丸くする。そんなリタの視線を受けて、ニードは慌てたように子分を振り向いた。
「おいっ、バカなこと言うな!!」
リタにつっかかる理由を暴露されたニードは、顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。しかし、後ろの青年を黙らせたところで、リタの耳に入ってしまった以上その事実が消えるわけでも無かったことになるわけでもない。
子分の青年の言うリッカとは、この村で宿屋を営む少女のことだ。元は父と二人で宿を経営していたそうだが、すでに両親とも他界してしまったらしく、現在は祖父と二人暮らしをしている。
実は、滝から――正確には上空から滝壺へと落ちたリタを保護してくれたのがリッカだった。リッカの手厚い看護のおかげで、滝壺へ落下した際に負ったケガもすっかりと良くなった。見知らぬ旅人にも親切な、面倒見の良い少女である。
そんなリタの恩人であるリッカだが、どうやらニードはリッカがリタを気にかけることがお気に召さないらしい。そのことにようやく気が付いたリタはすんなりと得心した。
ニードがリッカに好意を持っているのは一目瞭然であった。しかも、恋愛に疎いリタですら気付く程であるから相当分かりやすい。とはいえ、リタがそのことを知ったのは、天使としてウォルロ村の見回りをしていた頃のことだ。道行く子分が独り言をぼやいていた時に、たまたまその内容が聞こえてしまっただけである。曰く、「ニードさんってばまたリッカを怒らせて……恋をすると損するタイプだよなぁ」と。
別に盗み聞きしたわけでない。聞きたくて聞いたわけでもない。人間には天使の姿が見えないため、どうしても聞こえてくるものが多くなってしまうのだ。
ニードの恋心は、おそらく、村のほとんどの人が知っているのではないだろうか――ただ、当の本人・リッカだけを除いて。行く先は暗そうだ、とは子分が以前こぼしていた独り言の中の評価である。
(リッカのことを好きになる気持ちはすごく分かるんだけど……)
リタが同調したところで、ニードは喜ばないだろう。むしろ、火に油を注ぐ結果になりかねない。下手なことを言ってニードを怒らせるのはリタとしても本意ではないのだ。
そして、噂をすれば何とやら。リタをこの場から救ってくれる救世主の姿があった。
「ちょっと二人とも、うちのリタに何か用なの?」
「げっ……リッカ!」
オレンジ色のバンダナを被ったエプロン姿の少女は、ニードの想い人その人である。リッカの怒った顔を見て、ニードはあからさまに動揺し、一歩後ずさる。
「よ、よぉリッカ。別に……こいつにこの村のルールを教えてただけだ。おい、行くぞっ」
リッカの登場に狼狽えたニードは、子分とともに負け犬よろしく逃げ去ってしまった。
そんな後ろ姿を見送りながら、リッカがぽつりと呟いた。
「昔はもうちょっと素直だったんだけど……ニードったらどうしちゃったのかしら」
不思議そうに首を傾げるリッカがニードの好意に気付く気配は全くない。これっぽっちもない。このままでは子分の言う通り、行く先は暗そうである。果たしてニードの想いが報われる日は来るのだろうか。
「さぁリタ、そろそろ家に入りましょう? 傷に障ったらいけないわ、安静にしていなきゃ」
リッカの言う通り、天使界からウォルロ村に落ちてきたリタはケガを負っていた。しかし、天使の治癒力は人間のそれを遙かに上回る。リッカの介抱のおかげもあって、今では元気に走り回れるほどに癒えてしまっている。
「リッカ……わたし、ケガはもう大丈夫だよ!」
「ダメよ、傷は塞がったみたいだけど、動いたせいでまた開くかもしれないじゃない。今日は大事を取って休まなくちゃダメ!!」
「リッカ〜〜」
リッカは、強引にリタを自分の家へと強制連行した。
(本当に大丈夫なんだけどなぁ……)
リッカは基本的に優しいが、病人や怪我人に対してはかなり手厳しかった。過保護とも言えるかもしれない。
リッカの家で療養して早一週間。リタは、まだ一度もこのウォルロ村から出ることが出来ずにいた。
素性の知れないリタを拾ってケガの手当てをしてくれたのは感謝してもしきれないくらいだけれど、リタは一刻も早く、村の外の様子を知りたかった。
(みんなは大丈夫かな……)
目覚めてから、ずっと心配していたこと。自分の故郷、天使界はあの後どうなったのだろうか。
天使の念願――女神の果実が宿ったと言うのに、自身は地上に落とされ、果実も地上へとバラバラに散らばってしまった。
気が付いた時には、ベッドの上。しかも光輪や羽根は失われており、天使を見ることが出来ないはずの人間にその姿を見せてしまっている始末。
(長老様、イザヤールお師匠……)
落ちる間際に見た二人の天使――長老・オムイと師匠であるイザヤールの顔を思い浮かべる。
そうすると胸の奥が締め付けられるように苦しくなったが、そんな寂しさにも似た感情を慌てて振り払う。
とにかく今は何をすべきか考えなければ、と甘ったれた気持ちを戒めるように、リタはきゅっと唇を引き結ぶ。
(ウォルロ村の守護天使なんだから、しっかりしなくっちゃ)
師匠であるイザヤールから引き継いだウォルロ村の守護天使という役目。師匠がいなくても、一人でその役目を果たせるようにならなければ、いつまで経っても守護天使として未熟なままだ。それでは、ダメなのだ。
強くなると、約束した。だから――
(こんなところでくじけちゃダメだ)
誰に言うでもなく、リタは自分に言い聞かせた。
顔を上に向ければ、清々しい程の青空が広がっている。まずは、この空の遙か彼方に浮かぶ天使界へと帰らなければ。“あんなこと”があって、天使界が今どうなっているのか気が気ではない。
「リタ、どうかしたの?」
空を見上げたままのリタにリッカが声をかける。
「ううん、何でもないよ」
リタは空から視線を降ろし、リッカに手を引かれている格好だったことを思い出す。
リッカの隣を歩くように足並みを揃え、彼女の様子を窺うように首を傾げて口を開いた。
「リッカ、お夕飯の支度を手伝うくらいならしても良いよね……?」
「それは助かるけど……あんまり無理はしないでね」
どうやら家事のお手伝いはしても良いらしい。
何にしても、しっかりとケガを治して――実際にはもうすっかり良くなっているのだが――リッカを安心させなければどこにも行かせてくれない気がして、リタは元気な姿を見せるように振る舞った。
一人、天使界から地上へと放り出された身は、どうしようもなく不安を覚えるけれど。
(お師匠……わたし、必ず天使界に戻る方法を見つけます!)
紫の瞳に強い意志を秘めた光が宿る。
それが長い長い物語の始まりだったなんて、この時には知る由もなく。
(幕開けの時)
01(終)
2017.12.27
2017.12.27