01

――春が来た。
桜の蕾がほころびはじめた、ある昼下がり。
このところエラフィタ村は暖かい日が続いており、春の訪れを喜ぶかのごとく、時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。
窓から差し込む光は柔らかく、春の陽気が外だけでなく部屋の中にまで漂ってくるようだ。
開けた窓から軽やかなそよ風が吹き込み、茶色の髪がふわりと揺れる。クセのある長い茶髪が視界を遮り、目で追っていたはずの文字を見失う。
部屋で本を読んでいた青年――タクトは風の吹く方へ顔を向けた。
春の陽気は心地よいが、本を読むのには不向きだと思う。暑くも寒くもない、丁度良い暖かな日差しは、いとも簡単に眠気を誘う。文字を追う瞳とは裏腹に重くなっていくまぶた。ひとまず休憩をしようと、伸びをして窓の外を眺める。
ずっと手元を注視して小さな文字に目を凝らしていたせいか、少しだけ視界がかすんで見えた。遙か遠くの景色を眺めると目の奥がほぐれるようで爽快な気分になる。
牧歌的な村の風景は平和そのもので、村を脅かす脅威など何一つ無いし訪れる気配もない――そう、思っていた。


「た、助けてくれえぇっ!!」


突如、男の悲鳴が聞こえてくるまでは。
何事かと窓に乗りだし視線を巡らせれば、村の入り口に腰を抜かした老婆と、村へ逃げてきたらしい木こりの男、そして、木こりの目の前には黒い甲冑を全身に纏い、これもまた黒い馬に乗った騎士の姿があった。春の風景に全く溶け込まない黒色は異様さが際立ち、誰の目から見ても不気味に映る。


「木こりよ、なぜ逃げる……? 私は話を聞きたかっただけだ。お前には何もしない。安心しろ……」


どうやら、木こりを襲う気はなさそうだが、このままでは騒ぎが大きくなるばかりだ。護身用にと一応短剣を持ち出し、木こりと黒騎士の元へと急いだ。


「これは一体何の騒ぎだ?」


腰の抜けていた木こりは、タクトが登場すると、こちらに向かって這いつくばうように逃げてきた。
黒い騎士は「安心しろ」と言うが、そんなナリじゃ安心なんて出来るわけがないだろう、とタクトは心の中で呆れた。全身黒色で、背には大剣まで背負っている。油断は出来ない、とタクトは身構えつつ黒騎士と対峙した。
木こりはタクトの後ろへ隠れることで多少の余裕を取り戻したのか、へっぴり腰になりながらも黒い騎士に言い返した。


「う……ウソこくでねぇっ! オラ森の中でアンタのこと探してる女の魔物に出会っただ! 真っ赤な目を光らせながら『我が下僕の黒い騎士を見なかったか』……ってよ! あんた……あの魔物の下僕なんだろッ!?」


「この私が魔物の下僕だと……?! 何を馬鹿なことを……!」


憤慨した黒騎士に、木こりが震え上がる。傍らの老婆もどうすれば良いか分からないのと怖いのとで完全に固まっていた。




これはどうしたものか、と途方に暮れかけた時、後ろから足音と共に、


「レオコォォォーーン!!」


という少女の大きい声が聞こえてきた。
振り向くと、紫色の髪の少女が走ってくるところだった。こちらへ駆け寄ってきた少女はぜいぜいと背中で息をしていたが、当の黒騎士はというと驚きの声を上げる。


「そなたは……! 確か、ユランと申したか。なぜこのような場所に?」


しかも、少女は黒騎士の知り合いだった。ということは、さっき少女が呼んでいたのは黒騎士の名前か。そして、ユランというのが少女の名前らしい。
ユランと呼ばれた少女は息を整えながら黒騎士を見上げた。赤い双眸がキッと黒騎士を睨みつける様子はどこか恨めしげでもある。


「なぜ……って……あ、アンタが、人間追って……村の中に入っていくの見かけちゃったからにっ、決まってるでしょうがーーっ!!」


「だいたい馬乗ってるなんてズルいじゃない!」


そういう問題なのだろうか。


「さぁここで会ったが百年目よ、レオコーン! アンタの為にわざわざルディアノの手がかり探しにきてあげたんだから、感謝しなさいよね!」


「ルディアノだと?」


思わず口をついた言葉に、黒騎士とユランだとかいう少女が振り返った。


「ルディアノのことを知ってるの?!」


「知ってるも何も、俺はルディアノの遠縁で……」


そう言った途端、今度は自分に黒騎士が詰め寄ってきた。タクトの後ろに隠れていた木こりが「ひぃぃぃっ!!」と悲鳴を上げて、後じさる。


「教えてくれ、ルディアノはどこにある?!」


「ルディアノなら……道なりに北へ向かったところに」


城跡が……と言いかけないうちに、黒騎士はさっと馬を方向転換させ、出発しようとしていた。


「そうか、礼を言うぞ少年。では私は北へ向かうとしよう!」


高らかに宣言すると、黒騎士は馬を走らせ颯爽と去って行ってしまった。


「何だったんだ一体……」


黒騎士の姿が見えなくなるまで見送ると、一気に脱力した。ここまで気疲れしたのは久しぶりだ。
それにしてもルディアノを知っている人がいるとは。あの黒騎士のことが少し気になったが……かぶりを振って家に引き返す。今更だ。ルディアノはとうに滅びた。
少女の声に呼び止められたのは、その時だった。振り向くと、先程の少女が駆け寄ってきた。


「ねぇ、何でルディアノのこと知ってるの」


この少女もルディアノのことを知っていた。黒騎士と話していたから知っていたのか、それとも、もしかすると……


「本当にあったかも分からないのに。わらべ歌くらいしか手がかりないし、王様もそんな国聞いたことないって言ってたし、私も知らない」


「…………」


……考えすぎだったか。もしかしたら彼女はルディアノの末裔なのでは、なんて。
まさかとは思ったが、溜め息をついてしまう。そこまで期待していなかったため落胆は大きくなかった。けれど自分はまだ期待しているらしい。少々苦い思いをしてしまった。
しかし、目の前で少女は別の意味で溜め息をつかれたと思ったらしい。不機嫌そうにタクトを睨んできた。


「ちょっと、今のどういう意味」


「いや、何でもない」


「何でもなかったら相手の顔見て溜め息なんかこぼさないでしょ。バカにしてるの? いや、むしろバカにしてるでしょ……!!」


「別にバカにしてるとかじゃ……」
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