Would you like a refill?

前編

 紅葉に紛れて貴方がこちらに二つの宝玉を向ける。手毬を抱えた私をじっと見つめて、やがてきゅっと結んだ口元を優しく綻ばせた。
 幼く、何もない私にとってはあの笑顔が、貴方が全てだった。

 彼はとてもえらい人の家の子で、私なんかと話しているなんて大人の人に見つかったら叱られてしまうだろう。だから、口は利かなかった。毎日大人に隠れてここら辺で一番大きな紅葉の木の下で言葉を交わすことなく遊んでいる。彼は私が手毬で遊ぶのを木の根っこに腰掛け大人しく眺めるだけだけれど、それだけでも私は幸せだった。

「ツバメだ」

 紅葉も少しずつ葉を落としてきた晴れた日、初めて彼の声を聞いた。木の葉同士が擦れたみたいな、あるいは朝露が水面に波紋を作るときのような、小さく澄んでいる声。
 彼の口から発せられた音と一瞬でも気づかなかった私はただ顔を上げ、大空へと飛び立とうとするツバメを見守るだけしかできなかった。彼はいつの間にか私の横に立っていて、濃紺の翼を広げたツバメを隣で眺めていた。

「南へ行くんだ」

 私はやっと彼が私に向かって話しかけてくれていることに気が付き、咄嗟にえっ、と声を漏らしてしまった。
 彼は何も言わず、ツバメが姿を消した空を望んでいる。
 私は何か言わなきゃ、と口を開くが言葉は半開きになった口の中で乾いて消えた。
 あぁ、どうしよう。このままじゃ嫌われてしまう。上手に話すこともできない私をつまらない、頭の悪いやつだと思ってしまう。事実だとしても、彼にだけはそう思われるのは苦痛だった。必死に回らない頭を回転させ、彼の気を引けるようなことを考える。
 しかし、ふと思考が途切れる。手のひらの冷たく柔らかい感触に気を取られたからだ。
 感触の正体は、彼の手だった。指を絡めて、私の手のひらと彼の手のひらがぴたりとくっつけている。手を、繋いでいる。意図が読めずに私は思わず顔を上げる。
 彼は私の目を見て微笑んだ。

「大丈夫だよ」

 ひんやりと冷えた手とは裏腹に、彼の声は陽だまりみたいに暖かく私を解かす。
 混ざり合った体温が心地よかった。

「帰ろう」

 手は離さずに。
 少し前を歩く彼の背の小ささと、紅葉よりもさらに赤く色づいた髪を目に焼き付けた。

 これが、最初で最後の彼との会話だった。
 あのツバメが飛び立った日から冬の足音が近づき、私は外遊びをやめ、彼は君主様を支えるべく御家に籠りっきりになってしまった。
 冬を越えて、春が来た。彼が外へ出てくることも、私が外へ出ることもなかった。
 風に吹かれた桜の花びらが窓から入って私の手元にはらりと身を寄せる度、彼はどうしているだろうと考える。
 会いに行こうかと考え、すぐにやめた。言いつけ通りに御家のことをしていればいい、と口を酸っぱくして言われるからだ。今までと何も変わっていない、ただ季節が移ろいだだけなのにどうして今更言いつけだなんだと言ってくるのだろう。尤も、私が知っている世界では立場が上の者が正しく、私のような子供は黙って大人の言うことを聞いていれば幸せになれると誰もが言うので声には出さない。

――退屈だ。

 彼がいない毎日を重ね、やがて春が眠り、夏が終わり、彼がいない秋を迎え、冬を過ごした。

 つまらない日々を何年も繰り返したある日、行方を晦ました君主様を追いかけ、彼が遠くの都会へと行ったことを知った。
 片時も忘れたことがなかった彼のことを、私は最後まで見送れなかった。