「もしもし?」
掛けてきたのはあちらからなのに繋がってからも続く無言に痺れを切らして声を出すと、やっと小さく戸惑いの声が聞こえてくる。
「泉くん……?」
「俺以外に誰が出るって言うの?用ないなら切るよ?」
――もちろん、嘘。遠距離恋愛中の彼女からの突然の着信には驚いたが、同じくらい、或いはそれ以上に嬉しく思っているのだ。彼女も俺の扱いには(悔しいけど)手馴れたもので、動揺なんてしないし、むしろ安心したように笑っている。
「ごめんごめん。こんな時間だし、出てくれると思ってなくて」
こちらは現時刻二十二時半。確かに遅いと言えば遅いが、今日は珍しく寝付けなかったのでちょうどいい。
「本当に、掛けてくるならもうちょっと早い時間にしてよねぇ。……っていうか、そっち今何時なの?」
ふと気になって聞いてみると、彼女はいきなり黙り込む。……怪しい。
「ねぇ?」
「……怒らない?」
「怒られるようなことなわけ?」
「うーーーん……」
「……怒らないから」
「……五時半」
「…………はぁ?」
フィレンツェ……イタリアと日本の時差は七時間。そして今から七時間後は……五時半。確かに彼女の言う通りだ。つまり彼女はとても健康的に早起きしたのか……今の今まで起きていたことになる。そして俺は彼女の生態的に有り得るのは後者だということをよーく知っている。
「寝てないの?」
「いやぁ、楽しくなっちゃってつい……」
思わずスマホを落とすところだった。昔からの彼女の長所であり、短所。……好きなことに一直線すぎる。
「大学の勉強してたの?」
心做しか弾んだ彼女の声音から察すると、そうなのだと思っている。一度夢中になると時間を忘れる彼女の習性的にも。
電話口からも恐らく肯定の意である「えへへ」と笑う声が聞こえた。
「えへへじゃないよ……好きな分野の勉強できて楽しいのはわかるけどさ、あんたいつか倒れちゃったりしないでよぉ?ただでさえ今は傍にいてあげられないんだから」
「ふふふっ……うん、ごめんなさい」
……全く、反省してるのかしてないのか。だが幸せそうな彼女には、どうしたって愛おしさしか混み上がってこないのだから、我ながら彼女に甘い。
「で、そんな朝五時半にどうしちゃったわけ?」
小言にも区切りを付けて、いい加減に本題に入る。別に急かすつもりはないが、このままでは彼女が寝る時間が更に遅くなってしまう。……ここで切る、なんて選択肢が出ないのも可笑しいけれど。
「んー、どうしたってわけでもないんだけどね、課題やってて外見たら明るくて……外出たら東から日昇ってるんだけど、西側にはまだ月が残っててね、すごく綺麗でさ」
そしたら、泉くんに教えたくなった。
……なんだ、それは。今にも情けない声が出てきそうな口を手で覆い隠す。必死に押し殺した代わりに出てきたのは、盛大なため息。呆れてるわけではない。ただ、ただ、溢れてきて止まない。
締め切ったカーテンを開けると、白銀の月が遥か遠く笑う。
「ひかり」
よく聞いててよ、聞こえなかったとかなしだからねぇ?
「月が綺麗だね」
近いうち、日本に一時帰国する予定でも立てようか。真っ赤に染まった顔も、どうせなら間近で見たいし。