キープアウトと書かれた黄色のテープが貼られていた。それを横目に、名前は早足にその場から去る。天気は快晴。お出かけ日和。今日は友人と会う約束をしている。こんな気分で会うわけにもいかない。名前は気持ちを切り替えて前を向いた。友人と会うのは久しぶりで、仕事で摩耗した心が回復した気がした。やはり適度な休息は必要である。少しの間だけ、あの謎の写真のことも忘れていたくらいだ。
 お喋りは盛り上がった。最近嬉しかったこと、仕事の不満、誰それがかっこいい、誰が結婚した、テレビに出ているあの有名人が憧れている等々――様々なことを話し合った。
 ランチもデザートも食べ終え、コーヒーカップも底が見えた。もうお開きだろう。名前だけでなく友人もそう思ったのか、ぱちりと目が合った。どちらからともなく身を引いて鞄に手を伸ばす。
 そして財布を取ろうと鞄の中を確認した、その時。名前は信じられないものを見た。
「っそんなわけない!」
「名前?」
 突然の大声に友人は困惑したように名前を見上げた。その視線にハッとして口を噤む。慌てて周囲に目をやれば、周りの客がぱっと顔を背けた。
 完全に変な奴だと思われた。いや、最早そんなことはどうでもいい。
「ねえ名前、どうしたの?」
「……私のカバン、触ったわけ」
「触ってないよ?その写真がどうかしたの?」
 表情から窺う限り、友人は嘘をついていないように見える。そこで名前は一瞬でも友人を疑ったことに自らショックを受けた。だがそれも僅かな時間だけで、既に意識はこの写真に囚われた。
「あ、あのね…この写真、知らないの」
「え?」
「私、こんな写真…カバンに入れてない」
 ええ?と手元を覗き込む友人。
「わ、きれーい!」
「………」
「名前、本当に知らないの?買ったとかじゃなくて?」
「う、うん…」
 小さな赤い実がたくさんついた植物。これの名前すら知らない始末だ。そもそも、名前は花を綺麗と思うことはあれど、わざわざ自分で本物や写真を購入するほど愛でているわけではない。
 花の写真を連日投函(今日は鞄の中だが)する者の目的は、一体何なのか。
「それってストーカーだよね?」
 一連の出来事を話せば、友人は引いた顔つきで呟く。「やっぱりそう思う?」改めて第三者にそう告げられると堪えるものがある。
「ていうかさ、どうやってカバンの中に入れたわけ?キモくない?」
「う、うん…」
「……名前、今日は私が家まで送ってあげるから、早く休みな?全然眠れてないってさっき言ってたじゃん」
「…、そうする」
 友人のありがたい申し出に素直に従う。今日は早く寝よう。そう心に決めて席を立ったその時、ぱしゃりとシャッターの音が聞こえた。(やだな、疲れてる…)ふうと息を吐いて瞬きをすると――まるで空間が色を失ったかのように灰色になっていた。
「え……」
 だがその灰色の中心。まるで貴族のような出で立ちの白髪の美青年が、色を失わぬまま椅子に腰かけてこちらをじっと見つめていた。その表情はどことなく悲しみに彩られている。
 (だれ、)言葉は、出ない。

「名前!」

 唐突に鼓膜を震わせた、友人の声。ハッとして周囲を見回せば、先程のは幻覚だったのか元通りの色を取り戻していた。美青年は、どこにもいない。
「大丈夫?早く帰ろう」
「う、うん」
 あれは一体何だったのか。余程疲れているのか。名前は思考しかけたが今日はなんだか本当に疲れていたので一旦考えるのをやめにした。あの赤い実の写真を鞄の中に戻し、今度こそ会計の為に財布を手に持った。
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