純黒の悪夢/前編

 それから降谷零と連絡が取れなくなったという報を松田から聞いたのは、一週間と少しした後であった。なんでも、安室透がポアロに出勤していないらしい。元々降谷零としての彼は連絡が取りづらいため、基本的に皆安室としての彼と接触をするのだが、一般人の設定である安室さえも消えた。電話で突然長期休暇の連絡を受け、従業員も驚いているらしい。
「何かあったのか?」
「さあねえ。でもほら、彼の仕事は色々大変らしいじゃないか。こういうことくらい間々あるだろう」
 ――忠告してやったのにこのザマか。
 苗字は内心、がっかりしていた。
「キミにはキミの仕事があるだろう。そちらに励みたまえよ」
「思いっきりサボってるお前に言われたくねえなオイ」
「心外だねえ。私はこれでも今、とても大事なミッションを進行中だよ?」
 そう言って、苗字はイヤホンをはめ直した。


 同時期、キュラソー、という女が行方知れずになった。何回か顔を合わせたことがあるためどんな人物か知ってはいたが、然程仲良しというわけではなかった。類稀なる身体能力と脳の損傷により高精度の記憶能力を持つ情報収集のスペシャリスト――そう、苗字は記憶している。
 降谷が行方不明になるのは分かるが、何故彼女まで消えるのか。しかも、同時期に。正直言って、キュラソーが公安の追手に捕まるとは考えにくい。あれは性格もかなり粗暴で、一般人を巻き込むことになんの躊躇も覚えない人間だ。どんな手を使ってでも逃走を図るだろう。
「アクシデントかねえ」
 あの夜、キュラソーを追う公安の中にFBIが紛れ込んでいたという情報を掴んでいる。イレギュラーな存在でありFBIの頭脳である赤井秀一がそこにいたら、何かしらのアクシデントがあってもおかしくない。どうやらキュラソーは姿を消して数日が経過しても仲間どころかラムにさえ連絡を寄越していないみたいだし、彼女は現在、孤立無援状態と見るほうが良いだろう。
<何の為にキュラソーにNOCリストを調べさせたと思ってんだ>
 ジンの苛立った声が苗字の鼓膜を叩く。
<あいつは今どこにいるんだ>
<それを探してるんじゃない。もうちょっと待ってくれる?>
 ベルモットが呆れたようにそう述べると、がたがたと音がした。部屋から出て行ったのだろう。「“あの子”がいてくれたらもっと楽だったかもしれないのに…!」そんな小言が聞こえた気がした。
 苗字は元々この件から外されている。公安部の警備の状態、サーバーの穴、監視カメラの配置などお膳立てをしたのは苗字自身だというのに、だ。最初は自分も参加すると声を上げたが、これ以上は不要だとジンから一刀両断された。何気にベルモットが一緒になって不満を露わにしてくれたがそれでも参加は認められなかった。
 ちょっとした、意趣返しだ。脳内にいる意地悪なジンにそう言い放ち、苗字はタブレット端末を起動させた。

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