07
グリムジョーは芦屋錦を捕獲する前から大方の指示を受けていた。そして錦が目覚めたら玉座の間に連れて来て、また一時間後自身のみ、もう一度そこへ訪れるようにとも言われていた。それが今回の任務の最後の命令だった。故にグリムジョーは藍染が錦と何を対話したのか知らない。そこまでは知らされていなかったのだ。だから。
「? 誰だ貴様は」
あまりにも先程と違う空気を纏う錦を見た時、グリムジョーは言い知れぬ不安を覚えた。現世で相対した時に感じた好戦的な雰囲気は微塵もなく、錦は戦いとかけ離れた無垢な瞳を持っていた。
どういうことだと藍染を睨んだものの、彼はいつもと変わらぬ笑みを湛えていた。
「グリムジョー、君には伝えていた通り、彼女の
「………」
「彼女は芦屋家の御息女だ。くれぐれも失礼のないように」
訳を話す気はないらしい。舌打ちを一つして、彼女に向き直る。「行くぞ」乱暴に言えば錦は戸惑いながらもついて来た。
「貴様の名は?」
「あ?」
「名を知らねばお前を呼べないだろう」
一体どういう術を施したのか知る由もないが、どうやら先程の戦闘はおろか自分が死神である事実すら忘れてしまっているらしい。藍染の意図がまったく掴めず、グリムジョーは不快感に眉を顰めたがそれを錦にぶつけはしなかった。
「第六十刃、グリムジョー・ジャガージャックだ」
「
とんでもないところで切ってきた。
「……グリムジョー・ジャガージャック」
「………」
「………、」
「じゃあ、グリムジョーで」
何が嬉しいのか笑顔で名を呼ぶ錦。これから暫くはこんなのに付き合わされるはめになるのかと想像し、グリムジョーは溜息をつく。「私は芦屋錦だ」「知ってる」「でも名乗らせてくれ。グリムジョーが名乗ったんだから、私も名乗るのが筋だろう」「……」「おい返事をしろ。聞こえないのか?」「…聞こえてるっつーの」本当に勘弁してくれ。
「おい」
しかし、ふと疑問を覚えた。
「お前、
記憶がないとするならば、自分が何故こんなところにいるのか不思議に思うだろう。
「ああ、先程藍染殿に色々教えていただいた。なんでも今、瀞霊廷では貴族同士の覇権争いで血腥いことになっているらしいな」
「……、」
「私はその争いに巻き込まれ、ずっと意識が失くなっていたらしい。そこを藍染殿が保護してくださったそうだ」
何だその茶番劇は。グリムジョーは口の端が上がりそうになったが、寸でのところで止めた。今ここで笑えば絶対に不審がられる。そういう素振りはしないようにと前もって言いつけられていた。(成程な…最初はわけ分からなかったが…)よく分からない幾つかの命令を、今ここで漸く理解した。
内容は“とにかく錦に話を合わせること”と、“不審に思われるような行動をしないこと”。そして“いかなる敵戦力から錦を庇護すること”だ。この不審に思われるような行動は“錦自身に自分が死神だったのではないか”や“貴族間の戦争なんてないのではないか”といった自分の状況を疑うことに繋がるおそれがある。それにより記憶を刺激し、本当の記憶が蘇ることを藍染は危惧したのだろう。確かこの二つは他の破面たちも指示されていた筈だ。そうまでしても記憶を蘇らせたくないなんて、一体彼女の記憶に何があるのだろう。
「グリムジョー、これからどこへ行くんだ?」
「お前の部屋だ」
「貴様の私室はどこなんだ?」
「そんなもんてめぇに話して何になる」
「遊びに行きたい」
何を言っているんだこの女は。
「絶対教えねえ」
「何故だ。もし何かあった時、お前の部屋の場所を知らなかったら困るだろう!」
それは確かに一理ある。まあ不測の事態なんて起こり得るわけがないし、グリムジョーの霊圧知覚なら多少離れていても錦の異変にすぐ気づける。が、不測の事態とは予測できないから“不測の事態”というのだ。(仕方ねえな…)ルートを変更。彼女の部屋の案内は後回しにして、先に自室を見せることにした。
「うお、グリムジョー、そいつが例の?」
自室付近まで行けば従属官であるディ・ロイが真っ先に出迎えた。初めて死神を見た彼は興味津々なようで、錦から目を離さない。
「芦屋錦だ。貴様の名は?」
「俺はディ・ロイ・リンカー。グリムジョーの従属官なんだぜ」
「ふら…?とは何だ?」
「フラシオンはな〜…」
何でたった二言三言であんなに仲良くなれているのだろう。ディ・ロイの意外なコミュニケーション能力にグリムジョーは少なからず驚いた。
そんな中、背後に見知った霊圧を感じた。「グリムジョー」「シャウロンか」辮髪の破面…シャウロン・クーファンは錦を一瞥し「あれが例の死神か」と小声で言った。
「中々の霊圧だ。本人は無自覚のようだが。…記憶を失っているということは、力の使い方も忘れているということか?」
「力を封じているということまでは聞いてねえ」
もしかしたら無意識の内に攻撃されるかもしれない。その場合、通常のグリムジョーなら迷わず反撃するが、藍染からは“いかなることがあろうとも記憶を失っている錦に攻撃してはいけない”と釘を刺されている。つまり、記憶を取り戻している状態で攻撃されたら反撃の余地があるが、“この状態”の錦にグリムジョーは反撃することができない。
「むしろ、逆に庇護しろだなんてな……」
護る行為なんてしたことがない。虚圏でそれがどれだけ無意味な行為なのかよく知っている彼らからすれば、藍染の命令は実に不愉快極まりないものだった。
「奴はきっと我々が想像もしないような“実験”をしているのだろう。あまり深く考えすぎないほうが良い」
「…それもそうだな」
シャウロンの一言により、グリムジョーも漸く割り切ることにした。そんな彼らの苦悩など露知らず、錦はいまだディ・ロイと楽しげに話していた。