09

 この仮初の庇護行為は、一体いつまでやれば満了となるのだろう。錦の探検したいという要求に仕方なく付き合っているグリムジョーは、彼女のつむじをぼんやり眺めながらそんなことを考える。
「それにしてもこの建物の天井は高いな」
 木造建築が主流の瀞霊廷では、このような洋風の居住所が珍しいのだろう。錦はいつも落ち着きなく辺りを見回していた。グリムジョーにとっては既に見慣れた光景なため、何がそんなに珍しいのかさっぱりであった。
「おい、あんまり走るな」
 グリムジョーを置いて先へ先へと進む錦を窘めるが、気のない声のためか彼女が言う通りにする素振りはなかった。案の定、錦は曲がり角で誰かとぶつかって尻餅をついた。
「だから言っただろうが」
「いたた…」
「なんだァ?グリムジョーと例の女じゃねェか」
 嫌な奴と出くわしてしまった。
「ノイトラか」
「よォ、お守りはどうだ、楽しいか?」
 どうやらぶつかった相手は第五十刃のノイトラ・ジルガだったらしい。そりゃぶつかったら錦が尻餅をつく筈である。
 ノイトラは嘲りを込めてグリムジョーに問いかけるが、それに答えるほど今は感情的になれなかった。錦を一瞥してみれば、ノイトラの発言など意に介さず呑気に服に付着した埃を払っていた。それを見ただけで、グリムジョーはこの下らない挑発などどうでも良いと思えたのである。
「私は芦屋錦だ。お前は?」
「あァ?てめぇに名乗る名なんてねェよ」
「そこまで自分を謙遜できるなんて凄いな。遠慮せずに名乗ってくれて構わないぞ」
「そういう意味じゃねェ!!てめぇ程度に名乗るつもりはねェって言ってんだ!!」
「…こいつはノイトラだ。覚える必要はねェ」
「グリムジョー!なに勝手に教えてんだ!」
 今にも斬りかからんばかりの勢いだが、藍染の言葉をちゃんと覚えているようで錦を傷つけるような真似はしなかった。錦は肝が据わっているのかただの馬鹿なのか、ここまで怒るノイトラを前にしても決して狼狽えなかった。「それにしてもノイトラの服は凄いな」錦の視線が上がっていく。
「まるでスプーンみたいだ!」
「「ブフォ!?」」
 思わず噴いた。
「なっ……す、スプ…」
「良いと思うぞ。個性的でかっこいいな」
 かっこいいと言われても、褒められているのか微妙なところである。「テスラ!てめぇこいつと一緒になって笑ってんじゃねェ!!」まさか従属官にまで笑われるとはノイトラも思いもしなかっただろう。
「おいグリムジョー!こいつどういう感性してんだ!教育し直せ!!」
「そりゃお前のスプーンをかっこいいって言ってるとこを直せば良いのか?」
「そうじゃねェよ!!」
 本当にどういう神経をしているのか。錦の素っ頓狂な発言は今に始まったことではないが、本当に不思議なものである。
『……急ぐの嫌いなんだ』
『…。お腹空いた』
 そういえばそういうおかしな発言は記憶を失う以前からあることだ。成程、これは彼女の本質の一部らしい。愉快な人格だ。
「じゃあな、ノイトラ。今度一緒にお菓子でも食べよう」
「誰が食うか!!」
 錦はぷりぷり怒る彼を気にすることなく、歩みを進めた。本当に肝が座っている。しかしグリムジョーはこの辺りでもう引き上げたい気分になった。錦を十刃に会わせて面倒事を生み出したくないからだ。
「おい、このまま当てもなくふらつくつもりか?」
「いや、目的地ならある」
 意外な返答だ。どこだ?と問うと錦は楽しそうに振り返った。
「シャルロッテのところだ!」


「あら〜〜いらっしゃい、錦ちゃん!!」
「久しぶりだな!シャルロッテ!」
「そうねェ!ごめんなさいね、仕事が中々終わらなくて!」
 グリムジョーは何故自分がこんなところにいるのか自問したくなったが、寸でのところでその無意味な質問を棄てた。目の前には女の子に人気なのだろう可愛らしいティーカップ。その中には鮮やかな朱色の紅茶が淹れられている。更にお茶請けとしてチョコチップクッキーが出された。錦とシャルロッテの二人分ならまだしもどうして自分の分まで用意されているのか、グリムジョーはさっぱり分からなかった。というかもう帰りたい。
「まあどうしたのグリムジョーちゃん!浮かない顔ね…さては恋かしら!」
「『ちゃん』!?」
「恋する者は性別問わず美しいものよ……その気持ちは大事にしなさい」
 とんでもない発言の連発でグリムジョーは絶句した。ツッコミが追いつかないとはまさにこのことである。「グリムジョーはいつもこんな感じだから気にしないでくれ」「あらそうなの?」二人はグリムジョーの気持ちなど微塵も分かっていないようで、彼を置いてお喋りに興じた。
「…アンタ何でここいんだよ」
 茫然とするグリムジョーを流石に気の毒に思ってか、第二十刃の従属官であるジオ=ヴェガが話しかけてきた。
 彼の問いにがっくりうなだれる。「俺が訊きてえよ…」答えれば、ジオは何とも言えない顔をした。
「あの従属官、いつもあんな感じなのか?」
「ああ。俺が出会った時には既にあんな感じだった」
「バラガンは何であんな奴を従属官にしてんだ?」
「……バラガン様は寛大なお方なんだ」
「今の間は何だ」
 ジオ自身、ちょっと疑問があったらしい。
「まあ戦闘能力があるなら何でも良いんだろうがよ」
「そうだな…ちょっとキャラが濃いだけで普通に強いぞ」
「そうかよ」
 まあそのキャラの濃さで相手をノックアウトにできそうだが。
 シャルロッテが紅茶を淹れ直すために席を立ったのを見計らい、グリムジョーは錦に耳打ちした。
「おい、お前あんなのと関わって大丈夫なのか」
「どういう意味だ?シャルロッテは良い奴だぞ」
「そういうことを言ってんじゃねえよ」
 質問の意図が分かっていない錦はしきりに首をかしげた。
「ねえ錦ちゃん!フォートナム・アンド・メイソン飲む?偶然手に入れちゃったの!」
「そんな高級なもの、私も飲んで良いのか?」
「勿論よ!美味しいものは共有したらもっと美味しくなるわよ!グリムジョーちゃんもどう?」
「いや……俺はいい…」
「あらそう?なら私たちだけで飲んじゃいましょうか。お茶請けも相応しいものにしましょうね」
「私も手伝う!」
「あらありがとう」
 二人で楽しげに準備をする。錦のよく分からない交友関係を不可解に思いながら、グリムジョーは紅茶に口をつけた。
 普通に美味かった。
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