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芦屋錦がこちら側にやって来て半月程。尸魂界は彼女の行方を解明しようと調査部隊を現世に派遣したらしいが、結局死神たちは錦奪還に至っていない。彼女が隊長格であったり今でも存在している上級貴族の娘であれば面子の関係で死神たちも何か策を講じるだろうが、錦はただの平隊士。見捨てられるのは必然だった。つまり、今彼女を護るものは人も立場も含め、グリムジョー以外何もなかったのである。そんなことも露知らず、錦は今日も今日とて呑気に散策に励んでいた。ちょこまかよく動くなぁと半ば感心する思いで後に続く。
「そういえばウルキオラとヤミー?という奴が空を割ってどこかへ行くのを見た。あれはどこへ行ったんだ?」
「現世だ」
「あの空を割るのはどうやるんだ?私もできるか?」
「できねえよ」
「現世に何をしに行ったのかな」
オレンジの髪に黒い卍解を持つ死神を探しに行ったらしい。今回はウルキオラだけでなく戦闘好きのヤミーがいる。多分、その死神は殺されるだろう。
「私も現世に行きたいと言ったら、藍染殿は許してくれるだろうか」
「さあな」
十中八九、空座町は駄目だろう。「頼めば何とかしてくれるんじゃねえか」いい加減に言ってみるが錦は真に受けて「じゃあ頼んでみる」と答えた。しまった、これでは自分の仕事を無駄に増やしかねない。
「いや、今の状況じゃどれだけ頼み込んでも無理だろ。やっぱり諦めて…………」
前方を確認し、グリムジョーは止まる。
錦がどこにもいなかった。
静かに怒っているグリムジョーなど知らず、錦は藍染がいる玉座の間に向かっていた。途中で何人かの破面と出会ったが、皆一様に興味深げな視線を投げかけてきたものの錦に近付こうとした者は一人もいなかった。それがグリムジョーの力の威光であることを錦はまったく知らなかったため、そんな彼らの行動を不思議に思った。
「おや、こんなところを一人でほっつき歩いて大丈夫なのかい」
しかし、一人だけ話しかけてきた者がいた。
桃色の髪に、眼鏡の縁のような仮面。知的そうな目はじっとりと錦に注がれていた。その視線になんとなく嫌悪感を抱いたものの、錦は律儀に立ち止まった。
「? お前は…」
「第八十刃、ザエルアポロ・グランツだよ」
「グランツ?」
「ああ、イールフォルト・グランツは僕の兄だよ」
だから同じ苗字なのか。言われてみたら目元が似ている。
「それで、最初の質問に戻ろうか」
“こんなところを一人でほっつき歩いて大丈夫なのかい”先程とまったく同じ口調で繰り返すザエルアポロ。
「君の犬はどうしたんだ?」
「…犬?」
「勿論、グリムジョーのことさ」
不快。この時錦は明確な敵対心を抱いた。
「貴様には関係ない」
失礼すると一言述べて、ザエルアポロの傍を通り過ぎる。
「ルミーナ、ベローナ」
唐突に呼ばれた知らない名前に、つい足を止める。振り向いてみればいつの間にそこにいたのか、ザエルアポロよりも背の低い、ボールのような体型をした破面が二人いた。びよん、と蛙のように大きく跳ねながら「ザエルアポロ様!ザエルアポロ様!」と彼の名を連呼している。
「無知な“客人”は虚圏がご不満のようだ。丁重にもてなして差し上げろ」
「っ!!!」
びよぉん!二つの丸い体が飛びかかってきた。
「チッ」丸い体を遮るように視界に入ったのは、空色。「面倒くせえことになってんじゃねえか」
ずしゃあっ。まるで噴水のように噴き出した血。一拍置いて倒れる二人。それを囲うように血溜まりがじんわり広がっていく。
「………駄犬のお出ましか」
「……こいつに手ェ出すのは禁じられてるだろ。どういうつもりだ」
グリムジョーは刀を構え、不敵に笑うザエルアポロを見据える。
「なに、君がブレーキ役なら、僕はアクセル役なだけさ」
「あ?わけ分かんねえこと言いやがって……てめぇは藍染の魂胆が見えてんのか」
グリムジョーが問えば、ザエルアポロは額を押さえて首を横に振った。その顔には悲嘆が見え隠れした。
「少し考えれば分かることだろう…これだから野蛮人は」
「あ?!ンだとてめ…」
「お前!私だけを愚弄するならまだしもグリムジョーを馬鹿にするな!」
我慢ならなかった。突然大声を上げた錦にグリムジョーは驚いたようだったが、錦は気にしなかった。
「こいつが駄犬で、野蛮人だと!?謝れ!」
「……興醒めだな」
表情を消したザエルアポロは、大きな溜息をつくと踵を返した。「またね、客人。精々虚圏を楽しんでくれたまえ」愉快そうにそう言って、ザエルアポロは姿を消した。
「何なのだ彼奴は!お前の仲間なのか!?」
いまだに怒りが治まらないらしい錦が、ぐっと奥歯を噛み締めてザエルアポロがいなくなった廊下の奥を睨みつけている。
―――正直、錦の傍にザエルアポロの霊圧を感じ取って慌ててやって来たグリムジョーからすれば、現在に至るまでの状況をまだ理解しきれずにいた。藍染の魂胆、ザエルアポロが錦を攻撃した理由、錦が怒っている理由………全てが分からなかった。
「お前何でそんなに怒ってんだ」
「何でだと!?グリムジョーが馬鹿にされて怒らないわけないだろう!」
「は?」
どうしてだ。「…別に俺が何言われようが、お前には関係ないだろ」少し冷たい言い方か、なんて頭の片隅で考えながら思ったことを口にする。
「関係ある!」
「どの辺りが」
「私はグリムジョーのことを知ってる。だから謂れのないことに“違う”と言うのは当然のことだ」
――駄目だ、やはりよく分からない。「おかしな奴だな、お前は」取り敢えずその一言で解決させた。
とにかく、これ以上ここにいるのは危険だ。今日はもう自室に戻るべきだろう。そう錦を促し自宮へと足を進めれば、あっと錦が声を上げた。
「それから」
「?」
「ありがとう。助けてくれて」
瞬間、グリムジョーの胸が軋んだ。
「…………別に…命令だからな」
平然を装い、そう言ってみせる。錦はグリムジョーの僅かな動揺を気にしなかったようで、嬉しそうに笑った。
「グリムジョーは照れ屋だな」
「何言ってんだお前殺すぞ」
「照れなくていいぞ」
「……もう何も言わねえからな……」
やっぱりおかしな死神だ。