14

 ――――現世?
 そう、錦がグリムジョーの言葉を反芻したのは、ノイトラ襲撃の翌日のことであった。
「現世って、あの現世?」
「そうだ。俺たちは明日の晩、現世に行ってくる。お前は部屋にいろ」
 途端、錦が不安そうに眉をハの字にする。従属官全員を引き連れていくのだ、ザエルアポロに続いてノイトラの襲撃を受けた錦が不安になるのも無理はない。しかしながらグリムジョーは誰か一人をここに置いて行くつもりはなかった(とはいえ最初はディ・ロイくらいは置いておこうかと迷ったが、彼は頑なに現世に行きたいと言い張った)し、現世出撃を延期するつもりもなかった。ここで彼女の為に引けば、以前の己を否定するような気がしたのだ。
「ごめんな錦。帰ってきたら遊びに付き合ってやるからよ、そんな顔すんな!」
 簡単に慰めの言葉を口にするディ・ロイ。あれから二人は更に仲良くなったと思う。
「………私も行っては駄目なのか?」
「駄目だ」
 無断出撃するのだ、彼女を巻き込むわけにはいかない。「………俺たちがどこに行ったのか訊かれても、知らねえって言えよ」どうせ藍染にはすぐに見抜かれるのだろうが。
「錦、これを」
 シャウロンが小さなキューブを四つ渡す。これは結界を張る為の装甲であり、特定者を中心に四方に設置すれば自動的に結界が張られるのである。グリムジョーの霊力を込めたので、並大抵の敵からは護られるつくりになっている筈だ。自分たちがいない間、錦にはこの中に入って外敵に備えてもらう。
 それを手にした瞬間、錦の表情が曇る。するとどういうわけか、ジンと、グリムジョーのこめかみが痛んだ。
「…オイ、ンな辛気くせえ顔してんじゃねえよ。夜明けには戻ってくる」
 ぎゅう、と彼女がキューブを握って俯く。具体的に何をしに行くか告げていないのだが、聡明な彼女はグリムジョーたちが危険なことをしに行くということを察しているらしい。
 負ける気はない。自分たちにとって負けとは即ち、死ぬということだ。

「だから待ってろ――錦」

 名を呼べば、錦は驚いたように顔を上げた。星屑を詰めたみたいな錦の夜空の瞳がグリムジョーを捉える。しかし視線が交錯する内に段々気恥ずかしくなってきて思わずそっぽを向いた。
「なにを照れているんだ兄弟!そこで抱き締めるのが男という奴だろう!」
「黙れ」
 「…お前本当に空気読めないよな」ナキームの溜息混じりの声に空気が緩む。ちょっとだけ救われた気分になってしまったのが悔しい。錦も錦でその空気に当てられて緊張を解くのだから、尚更だ。
「良い子にして待ってんだぞ〜」
「ディ・ロイじゃないんだからちゃんと留守番できる」
「おっ俺だって留守番くらい余裕だし!」
「いや…お前どうしてもついて行きたいって言っただろ。その時点で留守番できてねえじゃねえか」
 エドラドの冷静なツッコミにロイが顔を真っ赤にする。そんな彼らを見て錦が笑う。
 するとどういうわけか、今まで感じたことのない感情がグリムジョーの胸に湧き上がった。少しむず痒くて、それでいて満たされるような不思議な感覚。そういえばこういったものを以前にも感じたことがあった。あれは確かそう、錦に礼を告げられた時だ。
「グリムジョー」
「あ…?」
「待ってる」
 一瞬、呼吸を忘れた。
 ――こいつは何で、こう…。
 その先は言葉にすらできなかった。この理解不能な言葉を平気で口にする錦を、グリムジョーは恐ろしくさえ思った。今まで遭遇したことのない存在だと。彼女の前では破壊さえも無意味になり得そうだと、らしくもない感情を抱いた。
 本当に、分からない。
「…勝手に言ってろ」
 だからそんなことしか返せなかった。
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