幕間
某日、尸魂界。十一番隊第四席の綾瀬川弓親は何も考えずに書類整理をしていた。ぼんやりした視界の中、不意に飛び込んできたのは最近姿を見なくなった友人の名前。瞬間、弓親の思考はどろりとした沼に嵌りだした。「辛気くせえ顔してんなァ」
そこに一石を投じたのは同隊三席の斑目一角だ。
弓親はムッとして一角を睨みつけた。
「……そんな顔もしたくなるよ」
「ま、分からなくねえけどよ、お前がそんなツラしたって仕方ねえだろ」
とは言うものの、一角自身も芳しくない表情をしている。できるだけ表に出さないようにしているみたいだが、やはり彼も彼で心配しているのだろう。無理もない。それまで妹分だと思っていた者に反逆の疑いが掛けられているのだ、心配しないほうがおかしい。
弓親たちと旧知の仲である芦屋錦が、突然失踪した。彼女は短期駐在任務の為に空座町に赴いていた。あと少しで満期だという時に、霊圧が消失。行方不明になった。
錦の霊圧が消える直前、虚に似た第三者の霊圧を
「本当にあいつらって美しくないよね」
錦を侮辱するのも大概してほしい。
「まぁ、四十六室からすれば錦ちゃんは怖い存在なんだろうねェ」
「「!!」」
穏やかな声に背筋が伸びる。「京楽隊長!」錦の直属の上官がゆらりとした動きで執務室に入ってきた。
「錦ちゃんがかつてした行いからすれば、いつ自分たちに牙を向くか恐ろしくて仕方がないんだと思うよ?だから裏切った体にして錦ちゃんを処分したいんじゃないかな」
錦が“それ”をした原因も四十六室にあるというのに、勝手な話だ。
弓親が初めて錦と出会った時、まだ彼女は上級貴族の一員だった。小生意気な娘だと思ったが、今の錦と比べたらはるかに明るく社交的だった。無論、根本は変わっていないがそれでも今の錦が時折見せる昏い表情に、弓親はいつも胸を痛めていた。
「錦はどうなるのでしょう……」
想像以上に情けない声だったが、それをからかう者はいなかった。
「二人は彼女が生きてると思う?」
「思います」
「当然です」
一角に続き、弓親もしっかりした声で同意する。
錦は強い。敵う相手か否かきちんと判別がつく死神だ。少なくともこんなかたちで命を落とすまねなどしない。ましてや裏切るなど以ての外だ。
「君たちがそう信じてるなら、錦ちゃんは帰ってくるよ。きっとね」
京楽の言葉には、不思議と確信があった。
綾瀬川弓親や班目一角と同じように、心配と疑問を抱いている死神がここにも一人、いた。
六番隊副隊長・阿散井恋次である。
「恋次、ぼんやりしていないで手を動かせ」
「す、すいません!!」
あまりにも気になっていたので隊長の朽木白哉に窘められた。
「気になるか」
主語がない問いに、恋次は書類から顔を上げる。白哉は筆ですらすらと報告書をしたためている。
錦が行方不明になった原因解明のため調査部隊が結成されたのだが、その担当となったのは六番隊だった。八番隊は、もし錦が反旗を翻したと判明した場合、内通者がいるやもしれないという危険性によりこの件から外されたのだ。
「おっ俺は………錦は裏切ってなんかないと思います」
霊術院の頃から浮いた存在であった錦だったが、そんな非道な行いをするとは思えない。弓親や一角は特に気の置けない仲間だったようで、悔しいが錦は自分と話す時と彼らとの会話では明らかに態度が違うのだ。たとえ何らかの理由で死神を憎んでいたとしても錦が彼らを裏切るなど考えられない。
「確かにあいつはよく分からねえ奴だし、知らねえことのほうが多い…だけど、それでも、藍染みたいに俺らを裏切るような真似…」
霊術院の頃、まことしやかに流れた噂――芦屋錦は一族郎党追放になった芦屋家唯一の生き残り。確証のない噂を信じ、皆が錦を恐れた。それでも彼女は涼しい顔を貫き通した。どれだけ陰口を叩かれようと決して相手にしなかった。そんな気概の彼女が、恋次はどこか羨ましくあった。こんな風に人の悪意を躱せる存在になりたいと思った。
「俺はあいつを信じます」
恋次の固い決意を聞いて白哉が筆を置く。背筋を正し、こちらに向き直った彼の瞳にはどこか迷いがあった。珍しいことだと、恋次は内心驚く。
「私は、錦の過去を軽くだが知っている」
「!」
「あやつが死神になるに至った経緯も知っている」
初耳である。そもそも、白哉が彼女のことを名前で呼んでいることにも驚きを禁じ得ない。
「それを踏まえ、私は一瞬、錦は我々を裏切ったのではないかと…思ってしまった」
「それは……」
裏を返せば、思わず死神を裏切ってしまうような出来事を錦は経験したということになる。(あいつ…何を隠してんだよ)恋次は何も知らない自分に苛立ちを覚えた。「恋次、お前が自分を責める謂われはない」しかし、それを悟ったように白哉が続ける。
「“芦屋家”に関係する全てに、箝口令が敷かれている」
「なっ…!?」
「お前が錦のことについて知らないのは当然のことだ。むしろ知っていては困る」
「だからそう思い詰めるな」と続けると、白哉は恋次に書類を渡した。「持っていけ、八番隊だ」言われるがままに受け取る。びっくりしすぎて頭がまだぼんやりしていた。
「恋次」
最後に白哉は言った。
「私も、あやつを信じてみようと思う」
それだけ聞ければ充分だった。恋次は安堵の笑みを浮かべた。