08

『あの死神は花壇のところにいる筈だ』
 去り際、ウルキオラに言われた言葉である。彼にしては珍しく気を遣ったのかと疑った。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 ウルキオラの言っていた通りだった。懐かしい背中を見つけた。彼女はしゃがみ込んで、何かをしていた。近づいてくるグリムジョーには気づいていないようだ。さく、と音を立てて砂を踏めば錦は立ち上がり振り返った。
 深い色を湛える瞳が、きゅ、と丸くなる。
 沈黙。
「……」
「…それ、いつの間に作ったんだよ」
 何から言えば良いのか分からなくて、どうでもいいことを呟く。錦はギュッと眉根を寄せて怒っているような、悲しんでいるような、複雑な表情を見せた。今度こそ言葉を失い、ただ静かに彼女の隣に歩み寄る。錦は首をもたげた。視線を合わせるのが苦しそうだ。こんなにも身長差があったのだと、改めて思い知る。
「…おそい」
 薄桃色の花唇が、言葉を紡ぐ。
「遅い!」
「……」
「帰ってくるのが遅い!」
「ああ」
「ずっと待ってたのに!」
「ああ」
「待ってろって…言ってただろ!」
「…、ああ」
 あの時。
 らしくもなく、帰る場所があると認識していた。負けたとしても、存在することが許されるものだと勘違いしていた。それは虚の世界ではあり得ない。現にグリムジョーは十刃から降ろされた。
 それでも錦は待っていた。ただひたすら、ずっと、待っていたのだ。
「悪かった」
 素直に謝罪を口にすれば錦はくしゃりと顔を歪めた。
「やだ」
「…」
「いやだ、ゆるさない…」
「じゃあ何したら許してくれんだよ」
 ぐい、と腹に冷たいものが押しつけられた。鼻の長い、奇妙な顔をした動物。鼻の先端にはいくつもの穴が空いている。
「水やりして」
「……」
 受け取ってみれば僅かな重みを感じた。言われるがまま受け取ると、しゃがみ込んでそれを傾ける。透明な水が穴から漏れ出た。傍から見れば間抜けな絵面に見えるんだろうなとぼんやり考えながら、大人しく水をやり続ける。鮮やかな花弁に水の珠が流れ、美しく輝く。
「一人で作ったのかよ、これ」
「…ウルキオラが手伝ってくれた」
「へえ、あいつが」
「グリムジョーがいなかったから」
「まだ言ってんのかよ」
「事あるごとに言ってやる」
「……、」
「………今度また勝手に消えたら絶対許さない」
「分かってるつーの」




「ああ、元に戻ったんだな」
 帰り際、背後から声をかけられ振り返る。霊圧で予測はしていたが、その通りの人物が無表情でこちらを――正確には錦を――見ていた。
「テスラ…」
「何だその情けない声は」
「あ、いやその…お前にも世話になったと思い…ええと……」
「礼を言うつもりならやめろ。気味が悪い」
「はぁ!?」
 ――こいつら何でこんなに馴れ馴れしいんだ。
 己が離れていた内に関係に変化があったようだ。少し除け者にされた気分に陥りつつ黙ってやり取りを眺めていれば、テスラの背後からノイトラがなんとも言えない顔をしてやって来た。殺気はない。
「オイ、いつまでやってんだテメェら」
「ノイトラ様!」
「ンなことやってる暇があんなら、早く例のアレ持ってこい」
「はい!」
「…例のアレ?」
 思わず反芻すればノイトラがニヤリと笑った。
「悪ィなグリムジョー。お前のお楽しみ、俺も頂いちまったぜ」
「……あ?」
「いやーそれにしてもオメーが甘党だなんて思いもしなかったぜ」
「!? ノイトラ、違うそれは…」
 慌てた錦が何か言おうとしたがノイトラの口は止まらない。何のことかまったく分からないグリムジョーは片眉を釣り上げて彼の言葉を聞く。しかしいつまで経っても無反応なグリムジョーを怪訝に思ったのか、ノイトラは不審な顔をして黙り込んだ。
 奇妙な沈黙が四人を支配する。「……ノイトラ様」しかしここでそれを打ち破ったのはテスラであった。
「もしやグリムジョーは錦の洋菓子を一度も食べていないのでは?」
「……洋菓子?」
「あァ!?マジかよ!あんだけ一緒にいてか!?」
 何の話なのかついて行けていないが、取り敢えずだっせえ!と言って笑うノイトラには青筋が立った。
「おい錦、洋菓子ってのは何のことだ」
「えーっと……私が作ったお菓子のことで…」
「菓子だぁ?」
「多分ノイトラは、グリムジョーだけが私の洋菓子を独占してると思ってたからさっきみたいなことを言ったんだと思う」
 ――いや独占どころか一回も食ったことねえんだけど。
 ノイトラの無駄に得意げな顔を殴りたい衝動を抱きつつ、例のアレというものがどこにあるのか問う。第六の宮(元グリムジョーの宮である)の冷蔵庫に保存していると言うのでノイトラたちを無視してそちらに足を向けた。
「あァ!?テメェおい!今日錦が作ったガトーショコラは俺のモンだぞ!横取りすんじゃねえ!」
「うるせぇ!仕事任されてる俺が食って何が悪ィんだ!」
 咄嗟について来たノイトラを振り切るように響転を使う。
「まったく……馬鹿な大人たちだとは思わないか?」
「今回ばかりは同意する」
 背後で錦とテスラがそんなことを言っていたなど、勿論知らない。
「……テスラ、ルピはどうなったと思う?」
「………」
「いや…やっぱりいい、聞かないほうが良いんだろうな」
「お前がそう思うのならそうなんだろう」
「なんだ、やっぱりお前は案外優しいな」
「お前は気味の悪いことを言うのが好きだな」
 錦が前任を気にする素振りは目についていたものの、グリムジョーは知らないふりをした。ふりをして、そのまま先に自宮へと帰った。
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