06

 芦屋家。四大貴族に次ぐ位に存在した上級貴族。武力ではなく融資で名を支える家柄であり、金印貴族会議等、貴族の名目で何かしらの催物が開催される際には出資にも協力していた。
 それが、八十年程前の話。
「君も知ってると思うけど今は全然、没落貴族や」
 市丸ギンは楽しげにそう述べる。こんなことを訊きに来たグリムジョーが、おかしな奴だと言わんばかりに。グリムジョーだって死神共の貴族制度などに興味はない。だがアシドの一件により今までにない胸騒ぎを抱いた。故に柄ではないが彼女の過去を市丸にわざわざ訊ねたのだ。
「ほんで没落に至った経緯やけど、まあ有体に言えば蹴落としや」
「あ?」
「君らには無縁やろうけどなぁ、貴族ゆうんは体裁を気にする生きもんなんや。他のモンを蹴落として自分らが確たる地位を築きたいゆうんは、死神やろうが人間やろうがどこの時代でも同じなんやね」
「つまり…」
 芦屋家は嵌められたということか。
「あの家は地位も名誉もあったし、金回りも上手いことやってたから信頼もあったんよ。せやからそれを妬んだ中堅貴族共が自分らの失態を芦屋家に擦り付けて追放・・したんや」
「ハッ、とんだ屑共じゃねえか」
 貴族とは名ばかりの薄汚い連中の集まりらしい。グリムジョーはそういう気位の高い者たちと縁がなかったが、想像通りの底意地の悪さに辟易した。錦のようなタイプは珍しいのだろう。
「にしても追放の割にあいつは死神になってんじゃねえか。他の親族共だけが追いやられたのか?」
「せやねえ…ま、ある意味追いやられたとも言うんかな」
「……?」
 妙な物言いに眉をひそめるが、市丸がそれを深く掘り下げることはなかった。
「グリムジョー、一つええこと教えたるわ」
 紅茶を飲み干した市丸はもう用は済んだとばかりに立ち上がる。これが最後の一言だというのはすぐに分かった。
「君、藍染様が錦ちゃんに説明しはった“貴族の覇権争い”…茶番やと思ったやろ?あれ、ほんまにあった話や。きっかけはさっき言うた通り」
「…!」
「そこで錦ちゃんが血腥い争いに巻き込まれたのも全部ほんま。嘘は何一つとしてないで」
 まあ、あの子全部忘れてしもて覚えてへんけどな。
 歌うようにそう言って、市丸はその場から去った。取り残されたグリムジョーの耳元で、藍染が囁く。『彼女の護衛を頼むよ』――何からだ。藍染は一体、何から彼女を護れと言っているのだ。
「…なにグダグダ考えてんだか」
 らしくもなく思考していることに気づき、頭を振る。だが気分は晴れない。

 錦が鬼道を使った事実は、思いの外グリムジョーを追い込んでいたのだ。

 もし全てを思い出した時、彼女はどういう行動に出るのだろう。怒り狂うのか、泣き叫ぶのか、呆然とするのか。悪戯に過去の続きをなぞるように仕向けた藍染に、刃を向けるのだろうか。
 その時自分はどちら側に立っているのだろう。
 ――クソ。
 ――うざってぇ。
 ――何で俺がこんなこと考えなきゃなんねえんだよ。
 死神を護るだなんて冗談じゃない。それなのにいつしか慣れてしまって、彼女と過ごすのが当たり前になった。離れ離れになって、胸の辺りに不快感が芽生えた。戻ることができて安堵した。目の前で敵に連れ去られたことに憔悴した。己の不甲斐なさを、実感した。過去が気になった。藍染に良いように利用されていることに、改めて吐き気がした。
 頬の傷痕を気にする彼女を、なんだがいじらしく感じた。
「……、戻るか」
 このままここにいても無意味であると思い直し、自宮へと踵を返す。そこで待っている彼女にどんな顔で会おうか。彼女はまだ、笑いかけてくれるだろうか。





 市丸に芦屋家のことを聞いて数日後、突然彼が紙製の長方形の箱を持ってきた。開けてみれば甘い匂いが鼻腔を擽った。中にあるのは、茶色やピンクといった色とりどりの円形の食べ物だ。
「あァ?何だこりゃ」
「知っているぞ!ドーナツというやつだ」
「お、流石錦ちゃん。博識やね」
「いただいても良いか?」
「勿論や」
「…何でこんなもん持って来やがった」
 ドーナツに夢中になっている錦を一瞥し、グリムジョーは声を落として問いかける。市丸は嫌やなァと心外そうに呟いた。
「僕がなんか企んで持ってきたとか思ったん?」
「当たり前だろ」
 間髪容れずに同意すれば彼はにやりと笑った。想像通りの不愉快な笑みだ。彼はその微笑みを保ったまま手を振った。
「むしろ詫びみたいなもんや」
「あ?」
「グリムジョー、錦ちゃんの為に色々してくれてるやん?ひきかえ僕はあの子とおんなし存在やのになんもしたらへんから」
 おかしな言い方だと思った。それではまるで、藍染の実験とやらに市丸が納得していないように聞こえる。「僕なあ、錦ちゃんのこと嫌いちゃうよ」更に声を小さくして、彼は続ける。
「可哀想やなとも思う。でも僕、錦ちゃんよりも優先せなあかんことあんねん。やから見捨てんねん」
「……」
「グリムジョーは僕とはちゃいそうやから、せめてもと思ってドーナツ持ってきたんや。……錦ちゃんどない?美味しい?」
「美味であるぞ。市丸殿は食べないのか?」
「僕はええわ。二人の為に買ってきたんやし。ほなそろそろおいとまするわ」
 まるで言い逃げだ。白い背中に悪態でもつきたかったが、錦が不思議そうに彼を見つめていたため口を閉ざす。「何をコソコソ話していたんだ?」ドアが閉まったのと同時に、不満そうな顔をして彼女が問う。
「私だけ除け者にした」
「別にしてねえよ」
 打ち明ける気はないので箱の中に視線を寄越す。ドーナツというものはまだ食べたことがないので、無難そうな薄茶色のものを手に取った。輪っか状の菓子を見るのは初めてだ。空洞を覗き込めば錦がピンク色のドーナツを食べている姿が映った。
「おい、何でこれ穴開いてんだ」
「知らぬ。ドーナツとはそういうものなのだろう」
「はあ?お前知らねえで食ってんのかよ」
 一口食べてみればしっとりした甘さが口内に広がった。
 ふと見れば、かじってしまったので当然穴がなくなってしまっていた。今ではただの半円だ。
「穴があるからドーナツなんじゃねえのか。消えちまったぞ」
「私に言うな。この球体状のドーナツに対し失礼だろう」
 錦がそう言って見せてきたのは楊枝に刺さったボールドーナツ。
「これをそこに嵌めたら丁度埋まるのではないか?」
 グリムジョーが持っていた新しいドーナツの穴に、それがぴったり嵌まる。瞬間、己の体の奥底で何かが疼いた。そのドーナツの様子が、なんだかとても――――。
「あー!私の球体まで食べるな!」
「嵌めたのはてめぇだろうが」
「食べて良いなどと言ってない!」
 馬鹿馬鹿しいと内心笑う。食べてしまえば同じことだ。そう言い聞かせ、残りの半円を口に入れた。
:
top/back