斉藤と他愛ない日


 映画ですか、と心の中で反芻する。目の前にいる燕はそれを聞き取ったのかそうなんですよと言うように頷いて緑茶に口をつけた。
 いつものように仕事の合間を縫って意中の人に会いに来た斉藤は映画の話を振られたのである。映画は観ますかという趣味に対する常套句を問いかけたあと、彼女は「あっしァあんまり観ませんけどねェ」と呟いた。
「嫌いとかそういうのじゃないんですけど、機会がなくて…」
「………」
 そういえば斉藤も何やかんやで映画に触れ合う機会なんてない。休日は溜まった仕事の片付けか寝るの二択だ。映画を観に行こうという選択肢など浮かんだことがない。
「なんかわざわざ行くの面倒くさくないですかィ。どうせ地上波で流すくせに…って思っちゃいます」
"有名なやつはみんなそうですよね"
「まあホラーとかならテレビで流れませんが…」
"今はネットで観れる時代ですから"
「そうなんですよねェ」
 ―――もしここで映画を観に行こうと誘ったら、燕さんは頷いてくれるだろうか。
 天啓の如く斉藤の頭に浮かんだ疑問。デートにベタな映画の話題が出るとは、これは見えざる者が誘えと言っているようなものではないのか。
 勝手に想像して勝手にプレッシャーに追い立てられている斉藤など露知らず、燕は斉藤に何か動画サイトに登録でもしているのかと問うてきた。緊張のあまりペンが握れないので取り敢えず首を横に振る。「実はあっしもなんでさァ」燕はそもそもテレビ自体にも興味がなさそうなので動画サイトに登録していなくても別におかしくなかった。と、ここでおもむろに彼女の視線が下がる。何かおかしなことを言っちゃったかな、ネットでさえ映画観ないとかつまらない奴って思われたかな、ここまで話したんだから映画誘えよって呆れてるのかな――お得意のネガティブを発揮して内心で勝手に焦る斉藤。
「あのー…斉藤さん、このあといつ屯所に戻られるんで?」
"今日の仕事は終えてきましたのでいつでも"
 燕の元へ行くという予定を立てていれば、どんな嫌な仕事でもきちんと手早くこなせる。
「そうなんですねェ。でしたらその、ちょっと映画観て行きませんか?」
 ―――な……何ぃいいいい!?
 まさかの先手を取られた。
「実は先日巨大スクリーンを造りましてね、どのくらい映像が綺麗か確かめたかったんでさァ」
 ―――ああ、そういう…。
 若干落ち込みつつも折角の誘いなので二つ返事で了承した。燕は嬉しそうにネットで某動画サービスに登録を始める。映画館ではなくネットを介して観るのも彼女らしいところだ。
 隣の彼女の体温が気になって話の内容が全然入ってこなかったのは容易く予想できたことだった。
prev | top | next
back