16.やじるしの向き

 気づいた頃には、時刻は正午を過ぎていた。今日も挑戦者は来ること無く一日が終わりそうだ。
 オーバは伸びをして立ち上がった。赤くてフワフワした自分の髪を掻き乱して部屋を出る。今日はナギサシティまで赴いて、デンジと一緒にお昼を食べようと思いついた。
 リーグ施設を出て空を見上げると、見事な晴天だった。こんな日でもあいつはきっと、ジムにこもって機械弄りでもしてるんだろうな。そう予想して階段を降りて行く。デンジの機械弄りに付き合ってくれる人物など、生憎ジムトレーナーの中には誰も居ない。彼の趣味に付き合ってくれる人物は、無表情でバカみたいに敬語を使っているあの変わり者の女の子しか居ない。
 ナギサシティに到着しても、オーバの頭の中にはあの変わり者の女の子の姿が焼き付いていた。ジムに向かう道中に、かつて彼女と一緒に買って食べたクレープ屋があった。
「おーいデンジー」
 ジムに入るとすぐに機械弄りをしている背中を見つけた。ギィィン!という耳障りな音のおかげでデンジはオーバの呼びかけに気づいていないようだ。
 「デンジ!」近づいてもう一度呼ぶ。すると漸く彼は振り返った。
「…なんだアフロか」
「誰がアフロだァ!」
「んで、何だよ」
「昼メシ食いに行こうぜ!」
 オーバの言葉にデンジは壁にかけてある時計に目をやる。そこで彼は今が正午だということに気がついた。そうだな、とデンジは同意する。デンジはインパクトレンチをそっと置いてから、ゆっくりと立ち上がった。
 昼食は二人がいつも行っている喫茶店で摂ることになった。
「ここまで来る時にさァ、あいつのこと思い出したんだ」
 コーヒーを飲むデンジの動作が、一瞬止まった。
「元気にしてっかなァ」
「…、たまには顔見せてくれても良いのにな」
 不貞腐れたように言うデンジに、オーバは面食らった。
「何だよ、お前今日は随分素直なんだな」
「うっせーな。心配してるに決まってんだろ」
「あいつ内気だからなー。俺もあいつと打ち解けるのには苦労したぜ」
 デンジの後ろに隠れて、自分を見つめる幼い女の子。昔の情景が浮かんだ。
 あれから彼女は成長し、一人前のトレーナーになった。バッジを全て集め、ブリーダーとしての勉強をし、更にはその頭脳を認められ遺跡の研究チームに加わった。その成長速度を喜びながら、どこか遠くに行ってしまったと寂しく思う時もあった。
「さっさと食えよ。挑戦者来るかもしんねーだろ」
「ねーよそんな奴。最近のトレーナーはどれも骨が無い奴ばっかだ」
 オーバの至極残念そうな声に、デンジは「…あいつがリーグ挑戦したら、どうなんだろうな」と言った。するとオーバは先程の声音とは一変、目を輝かせてデンジに詰め寄った。
「ぜってー面白いバトルになるだろうな!あいつ強いし!」
 マコトは一度もリーグに挑戦したことはない。何故だと一度だけ訊いたことがある。すると彼女はリーグに挑戦する為に旅をしてきたわけじゃないと答えた。
「わっかんねェ奴だ」
 デンジの独り言に、喫茶店のマスターは無音で笑った。そして彼はデンジとオーバのカップを取って、新しいコーヒーを入れる。淹れたてのコーヒーは湯気を立てていた。「?」と二人はマスターを見やる。すると彼はこう言った。
「不憫なお二方にサービスです」