19.あなた一人とほか全人類

「困りましたねー」
 一人そうごちても、状況は変わらなかった。
 突然の爆発と浮遊感に心臓が飛び跳ねたものの、先程からただずっと重力に従っているだけなのでマコトは変に冷静になっている。取り敢えず助かる方法を考えた。
 現在マコトの手持ちはルカリオとミロカロスのみ。他のポケモンたちはポケモンセンターで待機している。
「…ミロカロス。私に身体を巻きつけて、水圧で衝撃を抑えてください」
 ミロカロスをボールから出し、手早く指示する。ミロカロスはマコトの指示通りに先の見えない暗い穴に向かって水を噴射する。手応え的に底はもう少し先のようだ。
「んーどうですかねー」
「…ミロッ!」
 不意にミロカロスは放出している水量を多くする。底が近いということだろうか。そのまま暫く暗闇を降下して行けば、底に小さな灯りが確認できた。人が居るのかもしれない。
 徐々にゆっくりと降りていく。やっと足が地に着いた時、マコトは大きく息を吐いた。それから辺りを見渡してみると、ランプが置かれていた。人影は無い。マコトは周囲を注意深く見て、ランプを手に取った。
「お疲れ様でした、ミロカロス。休んでてください」
 ランプで照らしたミロカロスの顔は、疲れに彩られていた。
 彼女をボールに戻してから、マコトはゆっくりとした歩調で歩きだした。ランプの光は頼りなくマコトの足元しか照らしてくれない。いつもよりも神経を研ぎ澄まして歩く…その刹那であった。
「オイ」
「!」
 背後からの突然の声に肩が上がる。訝し気に振り向くと、見慣れぬ赤っぽい服を着た男が立っていた。顔や彼の持ち物などは暗くてよく分からない。
「お前“マコト”か?」
「…どちら様ですかー」
 不躾な男にマコトの眉根が寄る。男はニヤリと笑ってモンスターボールを投げた。
「行けグラエナ!」
「! ルカリ…」
 突然のバトルにマコトは腰に装着してあるボールを投げようとしたが、腹部に痛みが走った。
「うっ…」
「大人しくしててねー」
 ビリッと何かが音を立てる。ぼやける視界の中、いつの間に背後を取られていたのかもう一人の男の手にはスタンガンが握られていたことを最後に、マコトは意識を落とした。



「マコトさんが落ちた!?」
「ああ、突然爆発音が響いたと思えば床が壊れていた…」
 マコトを捜索しているダイゴとユウキは、宛も無い捜索に疲れが見え始めていた。だがマコトが心配なので歩調は緩まない。
「大丈夫かな、マコトさん」
「マコトならきっと大丈夫。…あ、もうすぐだよ」
「…ちょ、待ってくれダイゴくん!歩くの速いよ!」
 背後からソライシ博士の言葉を難なく無視し、ダイゴはズンズンと進んでいく。その様にマコトのことを心の底から心配しているのが見て取れた。
 「この辺りだ」ダイゴは不意に脚を止める。上を見ると穴が確認できる。マコトがこの辺りに落ちたことは間違いないようだ。しかし当の本人がどこにも居ない。移動したのだろうか。
「マコトさんはどこに…」
 ユウキが不安気に呟いたその時、「ここに居るそ」と男の声が響いた。
「気は失っているがな」
「お、お前は…!?」
 赤い服に、黒いメガネ。更に彼の後ろには意識の無いマコト。怪しい男に一同は気を引き締める。
「…マコトを返せ」
「! ダイゴさ…」
 強気なダイゴにメガネの男は口角をあげた。「お前、マグマ団だな」冷静にダイゴは述べる。ダイゴの言葉にユウキは驚き、そしてソライシを自分の後ろに隠した。
「私はマツブサ。マグマ団のボスだ」
「へえ、あなたが」
「この娘が所持しているパソコンと、隕石を頂きに来た」
 マツブサの発言に皆、身体を固くする。
「マツブサ様!このパソコン、立ち上げることができません!」
「!」
 とここで、空気を割るような声が響く。下っ端の言葉にマツブサは片眉を上げた。
 ダイゴは知っていた。マコトのパソコンを立ち上げるには、彼女の眼球の網膜パターンをスキャンしなければいけないということを。
 網膜パターンは基本的に生まれてから死ぬまで変化しない。不変性と唯一性から、生体認証の対象としては最も正確で信頼できるとされており、網膜スキャンの誤認率は100万分の1とされている。故に誰かが偽ってスキャンさせても殆どの場合、彼女のパソコンを立ち上げることはできない。貴重な情報が入っているからこその厳重なセキュリティだ。
「さあこれで分かっただろう。マコトを返してくれ」
 あくまでマコトだけを要求する。ダイゴにとってパソコンなんかよりもマコトのほうがよっぽど大事だ。それにこういう場合を備えてパソコン内の情報はバックアップが完璧に取れている。
 余裕のダイゴに、マツブサは緩慢な動きで腕を組み「…成程」と呟いた。

「ならば…その娘の眼球を抉り取るか」

「!?」
「なに…っ」
 ユウキが思わず口許に手を添えて絶句する。
 眼球を取り除くということは、神経系まで引きずり出すということだ。脳に傷ができてしまう上最悪の場合出血多量で死んでしまうかもしれない。
 下っ端の一人がハブネークを出す。ハブネークは尾の部分をマコトの目尻に宛がった。「やめろッ!」焦ったダイゴの声。マツブサは彼を満足そうに見やり、口を開く。
「どうだろうか。隕石をこちらに渡してくれるなら、この娘は解放しよう」
「何を馬鹿なことを!」
 ソライシは驚愕する。
「この隕石を貴様らに渡すわけにはいかん!」
「ではこの娘の目玉を取っても良いということか」
「そ、それは…」
 非人道的だとは彼も分かっていた。だがそれでも、ソライシにとって隕石はマコトの命と天秤にかけて悩む程、大事なものなのだろう。
「しかし…貴様らに渡すわけには…」
「ふん、隕石はチャンピオンが持ってるんだろう。私はお前にではなくチャンピオンに問う」
 マツブサはダイゴを見据える。結末を分かっている目に、ダイゴは歯軋りした。ソライシや助手たち、ユウキの視線が自分に突き刺さる。自分の決断で、マコトの身、隕石の行方が決まってしまう。
「……ごめんなさい」
 ポツリと、ダイゴは小さく呟いた。