30.影が手を伸ばす

 闇のような黒い身体。蒼い瞳。彼はじっと彼女が来るのを待っていた。大人しく、無言で、微動だにせず。やがて日差しの方向が変わり、光は彼の黒い身体を照らした。
 彼は暖かいものが苦手だ。
「良かったですねー、ダークライ。あと少しでマコト来るってー」
 彼・ダークライのトレーナーであるネジキが言う。するとダークライは僅かに身を捩った。無表情だが雰囲気が先程よりも柔らかくなる。
 マコトと会うのはいつぶりだろうか。ダークライは彼女が大好きだ。本当はマコトの手持ちに加わりたかったが、事情により彼はネジキの手持ちに加わった。しかしダークライはそれでマコトを恨んだりネジキを蔑ろにしたりはしていない。むしろ自分に良くしてくれるネジキに、感謝している。マコトもシンオウに帰ってくる度に必ず自分に会いに来てくれるので、ダークライはその度に心を躍らせているのだ。
〈ネジキさん、マコトさんという方が訪ねて来ましたが…〉
「通してあげて」
 受付嬢からの電話。ダークライはネジキに近づく。受付嬢が言った“マコト”という名前に、ダークライは眼を細めた。
 それから五分も経たない内にコンコン、とドアがノックされる音がした。ネジキはドアを開けて訪問者を迎い入れる。
「あ、ダークライ」
 マコトはすぐに彼に駆け寄った。無視されたネジキは少しむくれた顔をしていた。
「お久しぶりですー」
《…ああ、久しぶりだ》
「マコト、何か飲みますか」
「じゃあ紅茶で」
「りょーかい」
 隣の部屋に行ったネジキを見送り、マコトはソファに座ってダークライと向き直る。ダークライはじっとマコトを見つめる。
《…、何かあったのか》
「、何で?」
《そんな気がした》
 お互いそれからは見つめ合うだけだ。どちらも口を開こうとはしない。マコトの腰につけていたモンスターボールが、僅かに震える。それをダークライは一瞥するが、とまる気配は一向に無かった。
 マコトは口角を少しだけあげる。不恰好な笑みだがそれが彼女の微笑みだ。ダークライはよく知っている。
「マコトー、アールグレイで良かったよねー?」
「あ、ハイ。ありがとーございます」
 よく覚えてましたね、とマコトは余計な一言を述べる。
「ま、君は単純な味が好きだしねー」
「単純で済みませんねー、無駄にかっこつけるよりもよっぽど良いと思いますけどー」
「それ僕のこと言ってんの?」
 因みに彼が好きな紅茶はシルバーニードルズである。マコトは彼の視線を無視して紅茶を飲む。この二人はいつも口喧嘩が絶えない。喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものだ。
《いつまでシンオウに居るつもりなんだ》
「多分、ずっとですよ」
《ずっと?何故だ?》
「仕事辞めてきました。今はナギサでジムトレーナーとして働いてますー」
《…そうなのか》
 彼女の答えが腑に落ちないのか、ダークライはじっとマコトを見据えた。美しい彼の蒼瞳の中に、マコトが映り込む。
 マコトはいつだって核心を言わない人間だった。それは自分が信用されていない故なのかと考えたが、彼女は誰にも何も言わないのだ。ネジキやゲン、デンジにさえも。
 何故なのだろうか。ダークライはしんげつじまで彼女と出会った時から考えていた謎だった。言わなくても良いと思っているのだろうか。それは自分には理解できない。ずっと孤独だった彼にとって、他者を必要としないようなマコトの振る舞いは、無意識の中で彼の心にナイフを突き立てていたのだ。
《マコト》
 今日、初めて名前を呼ぶ。
 マコトはカップから口を離して、何ですかと目で訊ねてきた。
《…何かあれば、私はいつでもお前の力になる》
 何度も使い古されてきたような、陳腐な言葉。しかしダークライの頭の中の引き出しでは、マコトに対する忠誠の意思を伝えるにはその言葉で精一杯だった。マコトは一瞬呆けたような顔をしたが、すぐさま「ありがとうございます」と言った。隣のネジキが、少し微笑んだ気がした。