郁弥と妹


「・・・なまえ、帰り遅くない?」
遅くなるって言ってたぞ、とテレビを見ていた兄貴は振り返って言った。
「なんで、」
「カラオケだって」
ふーん、と相槌をうって時計を見上げる。21時半。
「冬休みだし、たまにはいいんじゃねーか?」
「まあ・・・そうかもしれないけど」
そう言いつつ、”まだ?”とだけメッセージを送った。うざがられるかもしれないけど、やっぱり心配になる時間帯なんじゃないかと思う。
返事はすぐに来た。

”帰りたいけど帰れる空気じゃない”

なんだそれ。さっさと出てくればいいのにと呆れながら返事を打つ。

”どういう意味?”
”盛り上がってるし、めんどくさいのに絡まれてる”

困り顔のスタンプ。
「ちょっと走ってくる」
おー、と兄貴は手を振る。
「駅前だろ」
「え」
「なまえの迎えよろしく」
全部お見通しなんだろう。本当は自分だって気にかけてるくせに。
行ってくる、と声を掛けて外に出た。吐く息が白い。
「(さむ・・・)」
今日の分のワークアウトは明るいうちに終わらせていた。
「まったく・・・」

***

「(帰りたい・・・)」
さっきからずっと絡まれている。
「ねー連絡先教えてよ」
「いや、そういうのはちょっと・・・」
隣に座る他校の男子は「なんでー?」と食い下がる。
「あ、カレシいる?」
「いや、いないけど」
「じゃあしよ」
無理ですと言ったのが聞こえたのか、「おまえフラれてんじゃん」と笑う声が響いた。
「うるせーフラれてねえし」
「桐嶋さんもさ、コイツうざいけどいいヤツだよ?なんでもおごってくれるし」
「うわーうぜーそういうのマジでいいから。でも桐嶋さんには全然いいけど」
うわーうぜーはこっちのセリフだよとげんなりしていると、郁弥くんからの短いメッセージに気が付いた。
お助けくださいと思いながら返した内容に既読がついて、それから返事が来なくなる。これ以上絡まれる前にと思っていると、友だちが「なまえートイレ行こ」と促した。
「行く、」
えーオレはー?とふざける相手に「テキトーに歌ってなよ」と答えながらさりげなく私の荷物まで持って連れ出してくれた。
「ありがとう・・・!」
「いーよいーよ、ごめんね無理やり誘って」
あんなうざいのが来るとは思わなかった、と彼女は憤慨している。
「抜ける?」
「うん、そうしようかな。一緒に帰る?」
「私はもうちょっといるかも、一応みんなに声かけたわけだし。なまえのことはうまく言っとく」
その時、携帯が鳴る。郁弥くんからの着信だ。
「ごめん、ちょっと」
もしもしと言うと「カラオケって駅前?」と唐突に聞かれた。
「あ、うん。これから帰るよ」
”良かった。外にいるから早く出てきて”
「え、えっ?外?郁弥くんいるの?」
”いるよ。寒いからなるべく早めに”
「あ、分かった、それじゃ」
友だちは「良かったじゃん、お兄さん」と笑う。
「うん。じゃあ私行くね」
するとそこへ、
「ねーまだー?」
とさっきの男子が顔を出した。
「ずっと待ってんだけどお」
「はいはい、君は中に戻ろうね」
「え、もしかして桐嶋さん帰んの!?」
「あ、うん」
えーなんでー!と盛大にブーイングをする相手に友だちは、
「なまえには超かっこいいカレシがいて、今迎えに来てるから無理」
とにべもなく言った。
「え!?だってさっきいねえって言ったじゃん」
「いるの、マジでやばいよ、超かっこいいし年上だし」
「えー聞いてねーんだけど」
じゃーね、と手を振る友だちに心の中で「ごめん」と言いながら階段を降りる。
ざわつく待合のフロアに所在なさげに立っている姿に気づいて「郁弥くん!」と声をかけた。
「なまえ」
よかった、と郁弥くんはほっとしたような笑顔を浮かべる。
「ごめん、わざわざ」
「いいよ。帰ろ」
外に出ると、冷たくて新鮮な空気が濁った肺に染み渡るような気がした。
「うーさっむい」
「まあ、冬だし」
郁弥くんはジャージを着ている。それだけ。
「寒くないの?」
「寒いよ。最初は走ってきたけど、今は歩きだし」
「ごめんね・・・!」
「いいって。それより、今度からはもう少し早く帰ってきなよ」
「そうします・・・ね、コンビニ寄らない?」
「コンビニ?いいけど・・・夕飯ちゃんと食べた?」
「うん、でも郁弥くんと肉まん食べたくなっちゃった」
「俺とじゃなくても食べるくせに」
「まあ、うん・・・」
郁弥くんはピザまん、私は肉まん。申し訳ないのでもちろん私がおごった。
「半分こしない?」
「いいけど」
ぱかっと肉まんを割ると白い湯気が上った。
「はい」
「ありがとう。うわーおいしそう」
「なまえさ」
「ん?」
「大学どうするの」
郁弥くんの問いに肉まんを飲み込んでから「一応、願書は出してる」と答える。
「どこ?」
「・・・霜狼学院」
ちら、と見上げれば郁弥くんは驚いたような顔をしている。
「本当に?」
「迷ったけどね」
「そうなんだ、・・・よかった」
「なんで?」
「なんとなく。なまえが近くに来るから」
「どういう意味それー」
遠くに行っちゃうような気がして、と兄は答えた。
「・・・私がいたら邪魔じゃない?」
「そんなわけないだろ」
「でもさ、彼女とか」
「いないし、別に」
「できるかもしれないでしょ」
「関係ない」
前を向いたまま郁弥くんは答える。
「なまえは付き合ってるやつとかいないの」
「いないいない。どうせ卒業だしね」
今さら連絡先なんて聞かれても困るって話だ。
「なまえが大学生か・・・大きくなったね」
「郁弥くんもね。受かったらアパート借りないとなー」
「受かってないのに気が早くない?」
「絶対受かる!そしたら郁弥くんちに住んじゃおうかな」
なんて、と口にすると、
「いいけど、狭いからは布団ね」
と返ってきた。
「うそ、冗談だからね」
「分かってるよ。だけどいつでも来ていいいから」
郁弥くんは私に甘い。私はそんな兄が大好きなのだ。


- 31 -