想う心は夜も日も越えて 千夜一夜の天獣星



褐色の指先がハープを優しく撫でる。
物悲しくも心に沁みる旋律を奏でるファラオの胸に、切ない想い出が蘇る。
あの日、特使として遣わされたのは聖域だった。旧敵の居であり、いつまたそうなるかも分からない。緊張と義務感のためにきっと近寄りがたい雰囲気を纏っていたであろう自分に対し、にこやかに言葉をかけてくれたのが彼女だった。
「ご面会ですか?」
「・・・ああ。この書状をアテナに」
「そうでしたか。ご案内しますね」
笑顔を崩さないあたたかな対応は彼に衝撃を与えた。
己の暮らす冷たい世界。それに比べ彼女は、なんて生き生きと陽の下で輝いているのだろう。
何気ない優しさがファラオには嬉しかった。
「ああ、なまえさん・・・」
次に会えたらまずあの時のお礼をする、と心に決めていた。そしてさりげなく、かつスマートに食事に誘う。エスコートをし、その後はすこし散歩でもして良い雰囲気になったら・・・。
「(ああ、そんな・・・ッ!)」
ベロロンッ、と弦が弾ける。離れた場所でうたた寝をしかけていたミーノスは突如途切れたメロディーでハッと目を覚ました。
「おい、寝るな」
「ああすいませんラダマンティス・・・にしてもあの音、なんとかなりませんかね」
一理ある、と彼は声には出さずに同意する。そして己の手の中にある書状の存在を思い出すと、ファラオに託すことにした。
一方のファラオは、切れた弦を指先で弄びながらぼんやりと、
「ああ、なまえさん・・・会いたい」
と呟いていた。
「おいファラオ」
「え?あ、は、はいラダマンティス様!」
「もう少し楽器は大切に扱うように。・・・ところで」
「これは大変な失礼を。なんなりと」
「この書状を聖域に持って行くように」
「!聖域に、でございますか・・・?」
「そうだ。不満か?」
ファラオの頬がさっと朱に染まる。
「い、いえっ!滅相もない」
「?そうか。では頼む」
震える手でそれを受け取る。ラダマンティスの背中が見えなくなった瞬間、彼は思わずガッツポーズをした。
これでまた会える。彼女は自分を覚えていてくれるだろうか。

***

長い階段を登っていたファラオははっと顔を上げる。
「(いた・・・)」
あの日と同様、いやあの時よりもますます美しくなっている気さえするのは惚れてしまった弱みだろうか。
ぼんやりと立ち尽くしている彼に気づいたなまえは「あ!」と声を上げる。
「こんにちは、お久しぶりです」
「え、ああ・・・そうですね」
動揺するファラオに彼女は、
「今日はどなたへのご用ですか?」
と尋ねた。
本当なら冷静な態度で「本日はラダマンティス様からの書状をアテナの元へお届けするよう命を賜った」と言いたい。しかし口から出たのは、
「アテナに、これを」
というぶっきらぼうな言葉だった。
「(なぜ言えない・・・!)」
不器用な自分にいや気がさす。
けれど相手は「分かりました。ご案内しますね」とあの時と同じ笑顔を向けてくれた。
「あ、あのっ・・・!」
彼が勇気を出そうとしたその時、
「なまえ、そんなところで何をしている?」
「あ、ミロ。あの・・・」
ちょっと、となまえはミロを物陰へ引っ張る。
「ん?」
「あの方なんてお名前だったっけ・・・」
「ああ・・・あー・・・分かる、いや分かってはいるんだが出てこない」
「そうなの、どうしよう思い出せなくって」
ふたりのやり取りを見守りながら「ファラオです」と心の中で答える。
「クレオパトラさん・・・?」
「おお、そんな響きだったかもしれん。いや、たしかにそうだ。間違いない」
「(お前のその自信はどこから来るのだ・・・)」
こちらにやって来たなまえは、
「お待たせしてすみません。ご案内しますクレオパトラさん」
と言った。
「ありがとうございます。それと・・・大変言いづらいのですが、ファラオと申します・・・」
「え!」
彼女は顔を青ざめさせて、
 「どうしよう、ごめんなさい」
と謝る。
「いえ、良いのです」
「だってお名前を間違えるなんて、私とても失礼なことを・・・」
お気になさらず、とファラオは微笑む。慣れていた。すると彼女は思いついたように「この後お時間いただけますか?」と尋ねた。
「お詫び、おいしいカフェがあるんです。ファラオさんはコーヒーお好きですか?」
「ッ・・・!」
棚からぼた餅、こんな幸運が訪れるとは。
「ファラオさん?」
「あ、す、好きです・・・!」
「良かった!楽しみにしていますね」
そう言ってなまえは人懐っこい笑顔を浮かべた。
全然スマートじゃない。けれどあの時よりも少しだけ距離が近づけたのなら、結果オーライなのかもしれなかった。


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