偶然の重なり、あるいは別荘を見つけたスティーブの話1


「スティーブがいなくなった!?」
そうなの、と母さんは途方にくれたように言った。
「いつ、」
「今朝はいたんだけど、お昼からずっと姿が見えないの」
江は「それってごはん食べてないってこと?」と尋ねる。
「そうよ、どうしよう・・・」
もう日も落ちかけている。
「探してくる」
「私も!」
俺に続いて江も玄関に向かう。
「アイツのことだから腹が減ったら帰ってくるかもしれねえ。江は近所を探してくれ、俺はもう少し遠くを見てくる」
分かった、と江は力強く頷く。
「ふたりとも気をつけてね」
「ああ」
「はーい!」

***

「わーでっかい猫ちゃん」
雨がふりそうだから窓を閉めようとしたところ、縁の下に大きな猫がいた。
こんな場所で雨宿りをさせるのもなあ、でも病気とか持ってるのかなあと観察してみたところ、首輪が付いている。おいで、と手を差し出すと、居心地が悪かったのか素直にやってきた。
「あ、待って待ってタオル」
あわてて取り込んでおいた洗濯物の山からタオルを引っ張り出して敷く。でっかい猫ちゃんはその上に移動するとぶるぶると体を震わせた。
「どうしよ・・・」
人んちの飼い猫に餌付けするのはなあと思うものの、ごはん抜きというのもしのびない。ちょっと待っててね、と声をかけて交番に向かった。
迷子の猫を保護したことを伝えると、預かることを渋られる。飼い主が見つからない場合は保健所行きになりかねないと聞き、それはいけないと思い一時的に預かることにした。
猫ちゃんの好みは分からないけど、とりあえずごはんは買わないと。
なんだか気持ちが重くなる帰り道、空もだんだん暗くなってきている。スーパーでどれがいいのかと悩んでいると、
「あれ、もしかしてなまえさん?」
「え?あ、」
一つ後輩の御子柴くんが立っていた。
「偶然。なまえさんも買い物ですか?」
実は、と私は今しがたの顛末を語る。
彼と知り合ったのは2年前、私がコンビニでバイトをしていた頃だった。本格的に受験勉強をする前にお小遣い稼ぎのつもりでレジに立っていた時、今よりも少し幼い顔立ちの御子柴くんが礼儀正しく挨拶をしてくれたのだ。それから顔を合わせるたび、レジ越しに会話をするようになったある日のこと。
御子柴くんの「好きです」という言葉に、私は頭を下げて断った。
そしてコンビニを辞め、無事に進学して水泳部のマネージャーになってから一年後。門を叩いて入部してきた彼と再会したのだった。
「迷い猫・・・大変ですねえ」
「飼い主が見つからなかったら、頼み込んでうちで飼ってもらうしかないかも」
まさかこんな猫拾いましたってビラを撒くわけにもいかないし、と御子柴くんは思案する。
「写真とかあります?」
「ううん、ない」
「特徴とかは?」
「でっかい」
そう答えると彼はふき出す。
「それはさすがに・・・あ、首輪してたんですよね。なら連絡先とかが書いてあるかも」
なるほど、それは思いつかなかった。
「帰って確かめてみるね」
それがいいかも、と御子柴くんは頷く。カリカリタイプと柔らかいものをそれぞれ選んでレジに向かう。
「あ、」
外に出た瞬間、しまったと思った。そういえば傘がない。しっかり交番に忘れてきてしまった。
「私ちょっと傘買ってくるね」
「よければ送っていきましょうか」
そう言って御子柴くんは傘を開く。
「でも悪いし・・・」
「いえいえ。そんなに広くはないですけど」
頑なに断るのもなんだか変な気がして、お言葉に甘えさせてもらうことにした。
「夏休みどう?」
「長いですね。そのぶん競泳に集中できるからありがたいですが」
御子柴くんの水泳への情熱は高校生の時から変わらない。
「そういえばなまえさん、泳ぎのほうはどうですか?」
「あはは、あいかわらずです」
プールの中で選手がすいすい、時には獰猛なほどの勢いで泳いでいるのを見るといまだに目を見張ってしまう。せめてのんびり満喫できるくらいにはなってみたいとは思う。
「コツさえ掴めばすぐに上達しますよ」
「そうかなあ・・・」
「水への恐怖心とかはないんでしょう?」
「そういうのはないと思う」
ただ上手く浮かないのだ。私がどんなに泳いでいると言い張っても、回りにはばちゃばちゃともがいているようにしか見えないらしい。
「御子柴くんはやっぱりオリンピックとか出たい?」
「いいですねえオリンピック。そうなったら俄然燃えます」
世界の舞台で戦う御子柴くんを見てみたい。けれど、
「世界の壁はもちろん、日本の競泳選手の壁もまだまだ厚いですからね。練習を積まないと」
彼はまっすぐ前を向いて語る。
「そっか、頑張らなきゃね」
「はい。・・・あの、なまえさんは、」
「ん?」
いや、と御子柴くんは困ったように笑うと、
「やっぱなんでもないです」
と言った。
しっかり家の前まで送ってくれた彼に頭を下げる。
「本当にありがとう、助かりました」
「これくらいいつでも。飼い主が早く見つかるといいですね」
「ほんとにねー」
今日は我が家でごはんを食べてゆっくりくつろいでもらおう。
「それじゃ、また」
「うん、どうもありがとう」
御子柴くんの後ろ姿を見送ってから家に入る。すると猫ちゃんが出てきて「なあ」と出迎えてくれた。

***

彼女を家まで送った後の帰り道。あの時、口をついて出そうになった言葉を思い出す。
“なまえさんは、今付き合っている人はいるんですか”
「なに言おうとしてんだ俺は・・・」

***

猫ちゃんはスティーブという名前らしい。他にも探してみたけど、首元には他に情報はなかった。
交番に伝えに行った帰り、公園を通って近道をしようとした時、
「ん?」
植え込みからがさがさと音がしたかと思うと、大きなため息が聞こえる。
「スティーブ・・・どこ行ったんだよ」
もしや。
「あのー・・・」
そっと声をかけると、振り返った相手と目が合った。
「もしかして探してるのって猫ですか?」
彼は驚いたように「え、はい」と答える。
「体の大きな?」
「そうです・・・もしかして」
この子ですか、と昨日撮影していた画像を見せると立ち上がった彼は「よかった・・・」と安心したように呟く。
「うちの縁の下にいまして」
「すいません・・・すぐ引き取りに行きます」
すぐに飼い主が見つかってよかった。
「すみません、昨日ごはんをあげてしまいました。ひょっとしてアレルギーとかありましたか?」
「いや、大丈夫です。本当にすいません、お礼はあらためて」
いいんですいいんです、と私は答える。
「首元に名前が書いてあってよかったです」
「あいつ普段は家の中にいるから、特に住所とか書いてなくて。ちゃんとネームタグつけとかねーと」
松岡と名乗った彼とそんな会話をしながら家に案内する。
「どうぞ」
「すいません」
スティーブくんは座布団の上でのんびり昼寝をしていた。
「スティーブ、おまえ・・・」
なんで逃げてんだよ、と松岡さんはずっしりした体を抱き上げる。
「っとにすいません、こいつがご迷惑かけて」
「いえいえ、大丈夫です」
寂しくなるねー、と私はスティーブくんに話しかけた。ちょい、と前足に触れてみる。
「いい人に助けてもらえてよかったな・・・てかおまえ重っ」
松岡さんはスティーブくんを抱え直す。
「お礼、さっきはいいって言ってくれましたけどすげー感謝してるんで・・・もしよければ連絡先を聞いてもいいですか」
「そんな、ほんとにいいのに」
そういうわけには、と答える松岡さんの腕がつらそうで、このまま押し問答をするのを躊躇う。結局、私は携帯を取り出し彼と番号を交換した。
「本当にありがとうございました」
「いいえ、私も楽しかったです」
スティーブくんに「またね」と言うと、なあと小さく鳴いた。
松岡さんの姿が見えなくなってはたと気付く。またねってことはまた逃げ出してこいよって意味に聞こえたかもしれない。・・・まあいいか。

***

「スティーブ・・・!」
よかったあ、と江は抱きしめる。
「ありがとう凛。でも、どこにいたの?」
「人んちの縁の下にいたのを保護してもらってた」
そうなの、と母さんは頷く。
「お礼しないとね」
「連絡先交換してきた」
「よかった。明日菓子折り買ってこなくちゃ」
どこのお家?と江が尋ねる。
「わりと近かったと思うけど」
「そうなんだ」
もう逃げちゃだめだよ、と江が喉を撫でてやれば、スティーブは心地よさそうに鳴らす。
優しい人で良かった。多分そんなに歳は変わらないと思う。気さくで話しやすかったから、連絡を取るのも億劫にはならないだろう。 

***

「兄ちゃーん!」
元気だったか、と先輩が駆け寄ってきた百の頭をわしわしと撫でる。
「ちょっ、ぐちゃぐちゃにすんなって!」
「ちょっとガタイが良くなったんじゃないか?鍛えてる証拠だな」
マジ、と百は目を輝かせる。
「松岡」
いい感じだな、と彼は笑った。
「よーし、勝負するか!」
久しぶりに熱くなった練習が終わり、俺は先輩に尋ねる。
「大学はどうですか」
「はは、毎日しごかれてるよ。マネージャーの先輩がいるんだが、よくサポートしてくれてる」
「選手じゃないんですね」
「カナヅチらしいんだ。オリンピックなんかで競泳を見て好きになったと言っていたな」
「へえ・・・俺なら見てるだけなんて絶対できないですけど」
松岡、と先輩は笑う。
「勘違いしているかもしれないが、マネージャーは女子だ」
「ああ、」
なるほど、と苦笑する。
「気さくでいい人だよ」
「!・・・もしかして彼女ですか?」
すると、
「いや、・・・ずっと俺の片想いなんだ」
「そう、なんですか」
なんとなく想像がつかないような気がして、踏み込んだ質問をしてみる。
「その、告白とかって、」
したよ、と御子柴先輩は言った。
「振られてるんだ。 諦める努力をしているんだが、難しいな」
なんて返そうか迷っていると、遠くの方から「御子柴せんぱーい!」と呼ぶ声がして振り向く。
「おう、今行く。またな、松岡」
「あ、はい。今日はありがとうございました」
意外というか、なんというか・・・ただ、御子柴先輩を見たことがないような表情にさせる相手がどんな人なのか、少しだけ気にはなった。
ポケットの中の携帯が震える。
”菓子折り買ってきたんだけど、持って行ってもらってもいいかしら?”という内容に”分かった”と返信をして、彼女にメッセージを送る。するとすぐに、
”明日か明後日なら大丈夫です”
と返ってきた。
ちょうどいい、部活に行く前に持って行くか。

***

・・・・・・おかしい。
「ぜってーこのへんのはずなんだけど・・・」
照りつける太陽が熱い。そういえば今日は真夏日だとテレビが言っていた。最悪すぎる。
仕方なく電話を掛けることにした。
”もしもし”
「すいません松岡です。実は迷ってしまって・・・なにか目印とかありますか」
彼女は「ああ」と納得する。
”似たような家ばっかりだから。出ますね”
電柱とかありますか?と聞かれ、不思議に思いながら「はい」と答える。
”番地、どのへんですか?”
そういうことか。書いてある住所を読む。
”あ、隣のブロックだ。今そっちに行きますね”
申し訳なさが募り、深いため息をついた。しばらくしてやって来た彼女に俺は頭を下げる。
「すいません、」 
みょうじさんは「いえいえ」と人の良い笑顔で答えてくれる。
「これ、よかったら」
「本当にすみませんわざわざ・・・ありがとうございます」
「全然。中身、ゼリーなんで大丈夫だと思います」
ゼリー、と彼女は嬉しそうな声を上げた。
「こんなに暑いのに来ていただいて、」
「ちょうど出かける予定だったんで」
「そうなんですか、あ」
彼女の携帯が鳴る。
「すみません」
「いえ。じゃあ俺はこれで」
ぺこ、と頭を下げた彼女に「それじゃあ」と言って別れた。
部活が終わり、帰宅後。
「お」
珍しくスティーブが玄関先まで来て出迎えてくれる。手のひらで毛並みを撫でてやると、のんびりとした足取りでリビングへ戻っていった。
もうあの人と会うこともないのか。連絡先消さねーと、と頭の中にメモを残す。

***

久しぶりにかつてお世話になったコンビニを覗く。
誰か知っている顔はいるかな、と考えたものの、あいにく新しい店員さんばかりだった。そりゃそうかと思いアイスを眺めていると、
「・・・ん?」
松岡さんだ。ここは声をかけるべきなんだろうか・・・ていうかもしやご近所さん?迷っていると、顔を上げた彼と目が合った。
「こ、こんばんは」
「こんばんは・・・驚いた」
「松岡さんちってこの辺だったんですね」
「いや、今日はたまたま。ワークアウトの帰りで」
「ワークアウト?」
「俺、水泳やってて。それで走り込みを、あ」
彼は急に距離を取る。
「すいません、今けっこう汗くさいと思うんで」
「そんなことは。店内クーラー効いてますし」
とはいえ彼が気にしているので距離は詰めない。
「あ、じゃあ私これ買ってきます」
レジで支払いを済ませると、松岡さんから「あの」とふたたび声をかけられた。
「よかったら送ります」
「いやいや、悪いですよそんな」
危なくないですか、と心配そうな声で尋ねられ時計を見上げる。21時半。不審者注意のチラシ。
「すみません、よろしくお願いします・・・」
外に出ると夜とはいえまだまだ蒸し暑い。松岡さんの隣を歩きながら私は言った。
「ほんとはもう少し話してみたかったんです」
「えっ」
不思議そうな顔をする松岡さんに、
「さっき水泳やってるって言ってたから。私も水泳部なんです」
と答える。
「へえ・・・なにが得意なんですか?」
「いやー実はカナヅチで・・・」
「カナヅチって」
「テレビで競泳見てかっこいいなって思って。マネージャーなんです」
ミーハーですよねと言い訳してから、
「けど目の前で泳ぐのを見てたら、やっぱり本当にすごいんだなって」
トレーニングや食事管理、つきつけられるタイム。選手たちは想像していたよりもずっと努力している。
「真剣に競技と向き合うのって、かっこいいと思います」
すると松岡さんは、
「みょうじさんていいマネージャーなんですね」
と言った。
「え!いやいやもう全然。大学デビューだから教えてもらってばかりで」
「そうなんですか」
「一応2年なんでちゃんとしたいとは思ってるんですけど・・・あ、松岡さんは大会とか出るんですか?」
「はい」
「そっか、すごいなあ」
なんか夏って特別だな、と思う。そんなこと今まで意識したこともなかった。
「そういえばどこの大学なんですか?」
「高校です、鮫塚」
えっ。時が止まる。
「えー!すみませんてっきり大学生だと・・・!」
「あー、だからか」
松岡さんは笑って「敬語いらないんで」と言ってくれる。
「みょうじさんはどこの学校ですか?」
「燈鷹です」
「燈鷹、って・・・じゃあ、もしかして御子柴さんとか」
「御子柴くん、後輩ですよ」
表情を和らげた松岡さんは、
「俺あの人にめちゃくちゃ世話になってて」
と言った。
「元気ですよね御子柴くん」
「はは、そうそう。こないだ顔出してくれて。泳ぎもすげー仕上がってて、いい感じっつか・・・」
はっとした彼は「すいません」と口にする。
「俺ばっか盛り上がって」
「松岡さんの言うとおりだと思います、御子柴くん今かなり調子いいみたいだから」
「そっか。てか敬語、」
「え?あ、すいませんつい」
慣れなくて、と言い訳をすると松岡さんはおかしそうに笑う。
「俺のが後輩なのに」
「だって全然そんなふうに見えないから」
松岡さん、普通に大人っぽいと思う。
「そういえばスティーブくん元気?夏バテとか」
「ないない。帰るたびに重くなってます」
「へー・・・帰るたび?」
普段は寮なんです、と松岡さんは言った。
「実家には休みの間だけ」
「そうなんだ。1人部屋?」
「相部屋です」
「あーそれ緊張するなあ・・・イビキかいちゃいそう」
ふは、と松岡さんは笑う。
「イビキなんてかくんですか?」
「いや!でも分かんないし、寝言とかは」
「あー言いそう」
そんな気やすい会話をしているうちに家についた。
「暑いのにありがとうございました」
「全然、気にしないでください。それじゃ」
おやすみなさいと答えて後ろ姿を見送る。すると「あの」と松岡さんは振り返った。
「はい」
「・・・いや、なんでも。おやすみなさい」

***

歩きながらため息をつく。
変な感じだ。あんなに会話が弾んでしまうとは。つーか燈鷹って、
「(・・・まさか)」
水泳部のマネージャー、先輩、カナヅチ。御子柴先輩の言っていた人物と重なる。
俺はスマホを取り出し、連絡先を画面に映した。そのまま躊躇いなくフリックして消去する。
これでいい。この感情に名前がつく前に全部忘れてしまえ。

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