偶然の重なり、あるいは別荘を見つけたスティーブの話2
次の日。
夏休みだしちょっとくらい、と思い、友だちとの約束の前に久しぶりに母校を訪れた。
連絡をくれた部活の後輩に感謝だ。彼女たちに冷えた差し入れをした後、図書室に立ち寄る。懐かしい匂い、返却棚に並んだ背表紙を眺めていると中の良かった司書さんが奥からひょいと顔をのぞかせた。
「あらーみょうじさん久しぶりじゃない」
「お久しぶりです」
ずいぶん大人っぽくなっちゃって、と笑顔で言うのでなんだか照れくさい。
「私服だからですよきっと」
「そう?制服を着ていないとこんなに雰囲気変わるのね。学校どう?」
「夏休みが長くて最高です」
「あーそうよね、私もそうだったわ」
しみじみと振り返った彼女は「サークルとかバイトは?」と尋ねる。
「水泳部でマネージャーしてます。バイトはお休み中」
「去年からうちも水泳部ができたのよ」
「水泳部?」
「立ち上げる時にみんなでプール掃除したんだって」
そうそう、あの死んでいたプールが生まれ変わっていることに驚いたのだった。私がいた頃は雨水が溜まって枯れ葉が浮かんで、とにかく汚かった気がする。
「いいなあ・・・」
「ちょっと覗いてきたら?」
「いやいや、知り合いもいないし不審者になっちゃうので」
「大丈夫、顧問の先生いい方だから」
休みでもお構いなしのチャイムをきっかけに挨拶をして、図書室を後にした。
「あの、」
ふいに声をかけられ振り返る。
「俺、水泳部なんです」
「えっ」
よかったら見学にきませんか、と背の高い彼は言った。
「でも、部外者だし」
「全然。みんな気にしないと思います」
穏やかに笑う後輩に誘われ、それならぜひ、と甘えることにした。
「橘真琴っていいます」
「橘くん。ありがとう、まさかお邪魔させてもらえるとは思わなくて」
せめて差し入れのひとつでもあればと思い「ごめん、ちょっと自販機寄ってもいい?」と確認する。
「はい」
「部員みんなで何人かな?」
「あ、えっと5人です」
寄り道をした私たちの手にはスポドリのボトル。
「こんなにたくさんすみません・・・」
「私の方こそ急に、すみません」
「そんなに気を遣ってもらわなくても」
「いえいえそういうわけには」
ぺこぺこ、遠慮の応酬の後、穏やかな笑顔を浮かべて「ありがとうございます」と彼は言った。
伸び伸びと泳いでいる部員の姿を邪魔にならない場所で見学させてもらっていると、優雅に日傘をさすサングラスの女性。・・・えっ、もしかして顧問の先生?
「みょうじ先輩」
「橘くん」
彼女がマネージャーの、と彼が言いかけたところで「松岡江です!」とどこかで見たような女の子が勢いよく頭を下げた。
「えっ、あ、松岡さん?」
松岡、ん?・・・松岡?頭に浮かんだもう一人の松岡さんと姿が重なる。
「先輩なんですね!水泳に興味があるんですか、それとももしかして、筋肉に興味が・・・!?」
「筋肉・・・?」
「いったん落ち着こう、ね?」
きらきらしたまなざしの彼女に「スティーブくん元気ですか?」と尋ねてみる。すると、
「えっ、なんでスティーブのことを・・・?あっ」
もしかして、と彼女は口元を押さえる。
「保護してくれた方ですか!?」
「保護というか、遊びに来てくれただけだよきっと」
不思議そうな顔をした橘くんに、
「実はこの間うちの猫が逃げちゃって・・・」
と彼女は苦笑いをした。
「元気に帰ってきてくれたからホントに安心しました。ありがとうございます」
再びぺこっと頭を下げた彼女に「いえ、本当にたまたま来てただけなんです」とあわてて声をかける。
「ゼリーまで頂いてしまって、かえってすみません」
「いえ、そんなもう!気持ちなので!むしろスティーブのごはんまで頂いちゃって」
お昼のチャイムが鳴る。待ち合わせを思い出し、
「見学させてくれてありがとうございました」
と橘くんに声をかけた。
「あ、いえいえ。またぜひ」
江ちゃんは「えー、もう行っちゃうんですか・・・」と残念そうな顔をしてくれる。可愛いな。
「松岡さんにも、先日はわざわざ来て下さってありがとうございましたってよろしく伝えてください」
江ちゃんは笑顔で「はい!」と元気よく頷いた。
***
「うそ・・・」
またもやスティーブくんが遊びに来ていた。日陰になった縁側で気持ちよさそうにくつろいでいる。
「来てくれるのはいいんだけどねえ・・・暑くなかった?」
なんて言ったところで伝わるはずもなく、彼はちらりとこちらを見ただけで再び目を閉じてしまう。しょうがないので松岡さんに連絡を入れた。
”お久しぶりです。実はスティーブくんが遊びに来ていました”
お昼寝中の写真も添えて送った。
するとしばらく経ってから、”また!?”というメッセージがぴょんと上がる。
”すみません、電話したんですけどみんな外出しているみたいなので、部活が終わったら俺が行きます”
それまでお預かりしてます、と返して携帯をしまう。
暑くないのかなと思いそっと背中を撫でる。うーん・・・熱射病になってもいけないので、そばに大きめの保冷剤を置いてクーラー代わりにしておいた。
日が落ちた頃、インターホンが鳴る音がした。
「はーい、あ」
気まずそうな顔の松岡さんは「何度もすいません・・・!」と頭を下げた。
「そんな、大丈夫ですから」
「ほんっと信じらんねえ・・・ご迷惑おかけしました」
「スティーブくん可愛いから、来てもらえるのは全然。ただ、事故とかに遭わないか心配で」
「次からはきちんと見張っておきます・・・あ」
トコトコとやって来た相手に松岡さんは「スティーブ・・・」と呆れたような声を出す。
「おーまーえーはー・・・!」
抱き上げられたスティーブくんは不満そうな声で「なん」と鳴いた。
「ちゃんと分かってんのかお前」
もう来ちゃダメなんだぞ、そう言い聞かせるのを見てなんだか寂しくなる。そっか、もう会えないのか。
私も部活も始まる。2年目だし、スタートから顔を出しておきたい。
「そういや、こないだ妹と部活で会ったって」
「あ、そうなんです。似てますね」
彼は「よく言われます」と笑う。
「私がいた時は水泳部がなかったから羨ましくて。部長さんがいい人で見学させてくれました」
「ああ、真琴か。幼馴染なんです」
そうなんですか、と答えながら軽く手を伸ばしてくるスティーブくんの相手をする。
「プールの水がすごくきれいでした。綺麗にするの絶対大変だっただろうなあ・・・」
「アイツら、自分たちで部活立ち上げたから」
ホントすげえ、と松岡さんは呟く。その時、ドオン!と遠くで音が響いた。
「あ、もしかして花火?」
玄関を開けるがここからは見えない。
「公園あたりに行けば見えると思いますよ」
「そっか公園。そうだ、じゃあ今日は私が松岡さんを送って行きます」
「えっ」
「実はご近所さんからスイカいただいて。食べきれないのでよかったら」
「いいんですか?」
もちろん、と答えて用意していた小玉スイカの袋を掲げて見せる。
「スティーブくん抱っこしてるし、スイカは私が持ちます」
「すいません、迷惑ばっかかけてんのに」
「全然、迷惑なんかじゃないですよ」
行ってくるねと部屋に声をかけてサンダルを履く。再び花火が弾ける音が聞こえた。
「部活始まるし、来週あたり戻ろうと思っていて。だからスティーブくんにまた会えて良かったです」
「・・・戻るんですか」
「2年だし、やることもたくさんあるし。去年は楽させてもらったので、今年からはちゃんとしていこうと思って」
「みょうじさんはもう十分ちゃんとしてると思うけど」
「なかなか・・・むしろ高校から水泳やっていた子たちに教えてもらってます」
もう少ししたら公園に着く。松岡さんは「敬語」と言った。
「敬語、いらないって言ったの忘れてる」
「え?・・・あっ」
そうだった。忘れてました、と答えてそれも敬語だと気が付く。
「慣れないなあ・・・」
「松岡さんて呼び方も、なんかむずむずする」
え、えー・・・そうだったのか。
「じゃあ、松岡くん」
するとなぜかスティーブくんが「なん」と鳴いた。
「いや、なんでおまえが答えるんだよ」
松岡スティーブくんということか。
「じゃあ松岡くんも敬語なしにしよう」
彼は「えっ」と驚いた顔をする。
「けど、後輩だから」
「私の後輩じゃないし。それにそっちのが話しやすいから」
ちょっと難しい顔をした松岡くんだったが、「じゃあ、遠慮なく」と言った。
「うん。あっ」
公園の手前に差しかかった時、空が光るのが見えた。
「うお、すげえ」
「大きいね」
スティーブくんを見るとびっくりしたような顔で天を仰いでいる。芝生に並んで座り、次の花火が上がるのを待った。
「・・・あの」
「ん?」
また、そう彼が言いかけた瞬間「あー!」という声がした。
「凛先輩!」
「モモ!?」
松岡くんがぎょっとしたように口にする。
「なんでここに、」
「もしかしてデートすか!?」
「ちが、」
突然現れた子は「兄ちゃーん!」と叫ぶ。
「あれっ、御子柴くん?」
目が合った瞬間、驚いた顔をして「なまえさん」と彼は私を呼んだ。
「?兄ちゃん知ってんの、」
「ああ。俺の大学の先輩だよ」
「じゃあ兄ちゃんのセンパイと凛先輩が付き合ってるってこと!?」
急展開を見せる御子柴くんの弟の推理に「落ち着けモモ」と松岡くんは声をかける。
「うちの猫を引き取った帰りだよ」
「さっきから気になってたんすけど、そのでっかいネコ凛先輩んちのだったんすね!お手!」
「犬じゃねーんだから・・・」
呆れたように答えるやり取りを眺めていると御子柴くんは言った。
「保護したの、松岡のところの猫だったんですね」
「そうそう。御子柴くんたちも花火?」
「はい、音がしたんで」
「私たちも同じ。今日だったんだね、全然知らなかった」
弟くんは「うわーふわふわ!」と言いながらスティーブくんを覗き込んでいる。どーん!と花火が上がったのを見て松岡くんに尋ねた。
「スティーブくんびっくりしてないかな」
「俺がいるし、たぶん大丈夫だと思う」
スティーブっていうんすね!と御子柴くんの弟は振り返って言った。
「あ、俺モモタロウっていいます。百に太郎って書いて百太郎!」
「百太郎くん、よろしくね。私はみょうじなまえっていいます」
「兄ちゃんの先輩なんですよね!?」
「そう、部活のね。学部は別だけど」
「へー・・・選手っすか、マネージャー?」
マネージャーだよ、と答える。
「でも私泳げないの」
御子柴くんは「死んでもプールには入らないって言ってましたよね」と笑って言った。
「えっなんで!?」
「なんか溺れてると勘違いさせるみたいで」
「おっ溺れてる・・・!?」
松岡くんが「どんな泳ぎだよ」と呆れたように呟く。自分でも知りたい。
「真面目にやってるつもりなんだけどね・・・」
「控えめに言ってもがいてましたよ」
「も・・・そんなに?」
「水泳経験者としては不安になる姿でした」
百太郎くんが首を傾げる。
「死んでもプールには入らないのに、なんで兄ちゃんは知ってんの?」
「目の前で落ちたことがあるんだ」
「その節はお世話になりました・・・」
あの時はすぐさま飛び込んで助けてくれた御子柴くんに救出してもらってことなきを得た。
「石拾いなら得意なんだけどなあ」
「いっ、石・・・!」
ぶっと百太郎くんは吹き出す。
「おい百・・・すいません」
私は「いいよ、本当のことだから」と苦笑した。
「俺たちも隣に座っていいですか?」
「もちろん」
松岡、と御子柴くんに声をかけられ彼は「はい」と驚いたように顔を上げる。
「いいか?」
「あ、もちろん」
百太郎くんは花火そっちのけでスティーブくんに構いっぱなしだ。
「なまえさん、いつあっちに戻るんですか」
「来週かなあ。御子柴くんは?」
「俺もです。最後に見られて良かった」
だねー、と答えて空を見る。また上がった。ぱらぱら火花が散る。
「あのあの!なまえさんてカレシいるんすか!?」
「えっ、いないよ」
突然の質問にびっくりして反射で答える。
「えー、すっげー可愛いのに」
御子柴くんの手前なんとなくこの手の話題はしにくいので、スティーブくんを逃げ道にした。
「暑くないかな」
「どうだろ・・・コイツいつも涼しい場所にいるし、そろっと戻ります」
「あ、じゃあ私も」
スイカを持って立ち上がろうとすると「持って行きます」と松岡くんは言った。
「え、でも」
「せっかくの花火だし観ててください」
いつの間にか口調が戻っている。
「・・・そっか」
「はい」
すると、
「ねえねえ、なまえさん明日うちの部活来れば?」
兄ちゃんも来るし!と百太郎くんは気軽に提案する。
「御子柴くん行くの?」
「二度目ですけど、午前中だけ顔出しに」
明日は特に予定は入れていない。
「私は大丈夫だけど・・・いきなりお邪魔したら部長さんに怒られない?」
「いいっすよね、凛先輩!」
「えっ」
思わず見上げると驚いている松岡くんと目が合った。
「ああ」
「え、えっ?部長ってもしかして、」
俺です、と松岡くんは答える。し、知らなかった・・・。
「ほんとにご迷惑だったら、」
「全然。ただ、男子校だから注目されると思うけどそれで良ければ」
「大丈夫です、あの、お邪魔します」
岩鳶に続いて鮫塚学園まで見学させてもらえるとは思わなかった。
「じゃあ、また」
「おう。明日はよろしく」
「はい」
「凛先輩、スティーブもまた明日!」
明日はスティーブくんいないのでは、と心の中でつっこむ。松岡くんの背中とゆらゆら揺れるしっぽを見送ってから、
「私もそろそろ帰ろうかな。虫除けスプレーとかしてないし」
「だったら送ります」
そう言ってくれた御子柴くんに「いやー悪いよ、二回目だもん」と言うと、
「全然」
と返ってくる。
「夜道は危ないし、何かあったらいけないので」
百太郎くんまで立ち上がったのを見て「ごめんね」と言うと、
「花火なら歩きながらでも観れるし!」
と彼は笑った。
時々ぱっと明るくなる中、車通りがない道を並んで歩く。
「なまえさん、兄ちゃんの泳ぎすごいでしょ」
「豪快だよね、俺についてこいって感じ」
しかもめちゃくちゃ速いんすよ!と言う相手に「タイムもいつもすごいよ」と答えた。
御子柴くんは、
「恥ずかしいから・・・」
となんとなく口元を押さえる。
「私、息継ぎもできないもん。いいなあ」
「こうやるんすよ、ハッ!って顔上げて」
目の前で百太郎くんが実演してくれる。
「口に水入らない?」
「そしたらもうちょい後ろ向く感じでプアッ!って!」
「うーん、なるほど・・・?」
すると「キックが弱いんだと思いますよ」と御子柴くんが言った。
「キック?」
「キック力が弱いと腰が沈んで顔が上がらなくなるんです」
「じゃあ体力強化からかあ・・・」
そうなりますね、と御子柴くんは頷く。道のりは険しい
「兄ちゃん」
「ん?」
オレちょっとコンビニ寄って帰る、と百太郎くんは言った。
「そういうことだからっ、じゃーなまえさんまた明日!」
ぽかん、手を振る間もなく行ってしまった。アイツ、と隣で御子柴くんが呟く。
「行っちゃったねえ・・・」
「すいません・・・」
行きますか、と促され歩き出す。訪れた沈黙。何かないかと頑張って話題を探していると、
「なまえさん」
「はいっ」
思わず意気込んでしまった返事に、御子柴くんはふっと吹き出す。
「緊張してるでしょ」
「・・・分かっちゃう?」
「なんとなく。普段どおりでいいですから」
かなわないなあ、と思う。
「うん・・・部活、始まるね」
「ですね。休み、何してました?」
「そうだなー・・・友だちと会ったり、あとは朝寝坊したり」
「いいですね、寝坊」
「御子柴くんは早起きだよね、ワークアウトしてるし」
「だいたいは。気温が上がるとランニングがきつくなりますから」
「ランニングかー、えらいなあ」
「やらないとかえって変な感じで」
見習います、と言うと彼は明るく笑って言った。
「タイム、更新したいですから。目標もあるし」
「そっか、そうだね」
目指すべき舞台はたくさんある。私もマネージャーとして精進せねば。
「なまえさん」
「ん?」
いいとこ見せますから、と彼は言った。
「見ていて下さい」
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