偶然の重なり、あるいは別荘を見つけたスティーブの話3


巨大な屋内プールに松岡くんの声が響き渡る。
「今日の練習にも御子柴先輩に参加してもらえることになった。それから、燈鷹大水泳部のマネージャーのみょうじさんだ」
こんなに大勢の部員を前にして、松岡くんは緊張している様子もない。隣で御子柴くんが一歩前に出る。
「今日もめいっぱい泳ぐからな、勝負したいヤツは誰でも大歓迎だ!」
大きな拍手。次は私か。緊張しながら挨拶をする。
「みょうじなまえです。今日は練習を見学させて頂くことになりました。よろしくお願いします」
拍手と共に感じるたくさんの視線、なんだかいたたまれない。松岡部長は言った。
「今日のメニューは、1年は基礎、2年はまず1年と組んで調整してから御子柴先輩との泳ぎに参加。レギュラーは準備が終わり次第、」
「種目はフリーだ、なんでもいいぞ!100本でも200本でも受けて立つ!」
「・・・だそうだ」
なまえさーん!と百太郎くんがやって来る。
「日本海のラッコの異名を持つオレの泳ぎ見ててください!」
「ラッコ?」
すごい異名だな・・・。
「よーし、じゃあ最初は百と泳ぐか!」
「げっ、いきなり!?」
有無を言わせずプールに飛び込む姿を見送り、邪魔にならないよう端っこに寄る。
「みょうじさん」
「松岡部長」
なんだそれ、と声をかけてくれた彼は笑う。
「あの、松岡くんも泳ぐ?」
「もちろん。一通り指示出してから入ります」
やっぱり敬語だ。
「そっか、うん」
なんとなく目をそらしてみるものの、彼の上半身がちらつくため思いきりあさっての方を見てしまった。
「昨日は本当にありがとうございました。家族に言ったらすげー驚いてて・・・あとスイカも、うまかったです」
「よかった。家と寮の往復、大変だったね」
「まあ・・・けど近いので。今度こそちゃんとカギ閉めとくことにしたから」
「そっか、うん、そのほうが安全だよね」
松岡部長、と呼ぶ声がして「おう」と彼は振り向く。
「1年全員準備終わりました」
「分かった、今行く。・・・それじゃ、暑いから水分補給とかしながら見てて下さい」
「うん、そうします。ありがとう」
それと、と松岡くんは言いかけて口を閉じる。
「・・・いや、すいません。じゃ」
行きかけた松岡くんを見て思わず「あの」と咄嗟に引き留めた。振り向いた彼はきょとんとした表情を浮かべている。
「・・・ごめん、やっぱなんでもない、です」
なにやってんだ私・・・自分の行動に呆れていると松岡くんはおかしそうに笑う。
「じゃあ、後で」
今度こそ端で大人しくしゃがんだ。ああ恥ずかしい・・・。
松岡くんとの距離が近付いたと思っていたから、敬語に戻って勝手にショックを受けたんだと思う。きっとそうだ。
「(・・・なんでショックなんだろう)」
友だちでもなんでもない、松岡くんの関係に付ける名前なんかない。向こうに戻ったら連絡先を消さなきゃ、とぼんやり考えた。

***

「松岡」
「先輩、お疲れ様です」
「大丈夫だ。どうだ、1本」
水の中から見上げる相手に「お願いします」と答えると、先輩は豪快に笑う。
「フリーだろ?」
「もちろん」
並んで台に上がると、似鳥がタイマーを持って走ってくるのが見えた。
「昨日はいきなり悪かった」
「え、」
「スティーブにもよろしく言っておいてくれ」
そう言って御子柴先輩はゴーグルをかけた。一瞬、何か答えようか迷ったが、思い直してきつくゴーグルをはめる。
合図が鳴った瞬間、勢いよく水に飛び込んだ。

***

時間になったため、松岡くんに帰ることを告げると門まで見送ってくれた。
「今日は呼んでくれて本当にありがとうございました」
「いや、こっちこそ来てくれてありがとうございます。それから、スティーブのことも。本当に色々とありがとうございました」
「私のほうこそ、スティーブくんと会えて楽しかったです。松岡くんとも」
本心だった。きっともう会えないだろうし、ちゃんと感謝をしたい。
「今までありがとうございました。それじゃあ」
ぺこ、と頭を下げて歩き出す。すると、「あの!」と声がした。
「あの、さっき、」
失態について聞かれると思い言い訳を探そうとすると、
「言おうとしてたやつ・・・また連絡してもいいですか」
「えっ、あ、うん」
予期していなかった問いにびっくりして思わず声が裏返る。
「迷惑だったら、」
「いやっ、全然迷惑なんかじゃ!ない、です」
そっか、と松岡くんは言った。
「なら、良かった」
「敬語」
「え?」
「敬語に戻ってる、気がする」
「・・・なんか、やっぱそっちの方がいいんじゃないかと思って」
でももうやめる、と静かに松岡くんは言った。チャイムが鳴る。夏休み中でも規則正しく動いているらしい。
「・・・帰んの、来週だよな」
「うん」
「そっか。それじゃ、後で連絡する」
思わず「はい」と答えると松岡くんは吹き出して言った。
「敬語。戻ってる」
「えっ、・・・今のはナシだよ!」
「なしって、意味分かんねえ」
突然の展開についていけてない気がする。しどろもどろに「それじゃあ」とかなんとか言ってようやくバス停にたどり着いた。
「・・・・・・」
動揺してものすごく汗をかいた気がする。なんで敬語とか指摘してしまったんだろ・・・。
また連絡してもいいですか、という声がリフレインする。その意味を、もしかしたら私は盛大に勘違いしているのかもしれない。
やっと来たバスに揺られながら、来週から元に戻る日々のことを考えた。

***

「今日はありがとうございました」
「いや、こっちこそ楽しませてもらった。やっぱりあのプールはいいな」
いろいろ思い出が詰まってる、と御子柴先輩は笑った。
「兄ちゃんもう帰んの」
「おう、あんまり長くいても練習にならないからな」
ちぇーとむくれる弟に「なんだ、寂しいのか?」と彼は苦笑する。
「だって前みたいに会えねえし、虫取りだって行けてねえし・・・」
「大会が控えてるだろ。楽しみにしてるぞ」
松岡たちも、そう言われ頷く。
「高校最後の夏だ。思いきり出しきれ」
「はい!」
「俺も集中して挑む。今は、納得がいく結果が欲しい」
まなざしが変わる。そして、
「松岡も頑張れ。応援してるぞ」
と笑顔で言った。
「え、あの」
「またな」
じゃーねー兄ちゃーん!と百が大きく手を振る。一度だけ振り返って軽く返し、御子柴先輩の背中は見えなくなった。
「凛先輩、お昼なに食べるんすか?俺は近所のパン屋のでっかいカツサンド!」
「ああ・・・これから買いに行く」
「じゃあじゃあ、焼きそばパンもおすすめっすよ!」
百の声を背に、歩きながら考える。大会も近い。他のことを考えている余裕なんかないと自分に言い聞かせる。
「(・・・たった一週間なのに)」
スティーブが逃げ出して、保護してくれた彼女は多分、御子柴先輩が好きだった人で。いろんな形の偶然が重なっているのがなんだか不思議な感じだ。
今はただ、夢も、目標も、自分の気持ちも、何ひとつ見失わないでいたいと思う。

***

週末。
週明けから部活が始まるから、明日には向こうに戻らないといけない。
のんびりした生活を名残惜しんでいると、携帯が光った。手を伸ばして確認する。松岡くんだ。ぺこっとおじきをしているスタンプが来ていたから、同じくおじきのスタンプを返す。
「・・・えっ」
”今日の夜、予定ある?”
読んだ瞬間、心臓がうるさくなる。予定はない。ないけど、どういう意味なのかとぐるぐる考えているところへ”花火”と一言続く。暗くなった背景にぱっと広がるモーションを見て気が付いた。
そういえば今日も花火があるんだった。この間のは遠かったけど、今日は開かれるのは割と大きめのイベントだ。行きたい、でも行ったらいけない気もする。
松岡くんと言葉を交わした時に受けた印象が変わったこと、連絡したいと言った理由。確証はないけど、何も感じ取れないほど鈍いわけでもない。考えすぎかもしれない、でも自分の勘が当たっていたら。
高校生だし、知り合ったばっかりだし。けど、そんな建前を取ったらきっと惹かれているんだと思う。それにもし勘が外れていたなら、傷が浅いからきっと忘れることができる。
・・・そんなことまで考えて「ずるいなー」と我ながら呆れてしまった。
傷ついてたっていいと思えるくらいの恋を、最後にしたのはいつだったんだろう。なんて、ちょっとだけセンチメンタルな気持ちが生まれる。
”行きたい”
そう答えて返ってきたのは、
”18時くらいに迎えに行くから”
だった。

***

家の前で待っていると、遠くから歩いてくる松岡くんが見えた。私に気付いて軽く手を振ってくれたのでそれに応える。
「中で待っててもよかったのに」
「迷ったらいけないと思って」
なんだそれ、と彼は苦笑する。
「迷わねーよ・・・多分」
「多分なんだ」
思わず笑うと、松岡くんはなんだか優しい目をして言った。
「行くか」
並んで歩いているうちに気がつく。今日もこの前も、私の歩幅に合わせてくれているんだ。
「松岡くんてさ」
「ん?」
「モテるでしょ」
突然のくだらない質問に彼は目を丸くする。
「別に。うち男子校だし」
「そっか、なんか意外」
会話が止まる。やっぱり変なこと聞いたな・・・こういう話題をしてもいい関係性ではなかったということか、と軽く後悔していると「江が」と松岡くんが口を開く。
「今日ついて来たいって言ってて」
「そうだったんだ」
「ああ。でも我慢してもらった」
その言い方がなんだかお兄ちゃんらしくて、思わず笑みがこぼれる。
「仲がいいんだね」
「多分。悪いほうじゃねーと思う」
「御子柴くんたちもすごい仲良かったよね。百太郎くんはなんかきらきらしてたし」
「アイツは虫取りとか、他にも興味があることには熱くなるタイプだから」
虫取りが好きということにちょっとびっくりする。スティーブくんにも興味津々だったし生き物が好きなのかもしれない。
「スティーブくんどう?」
「しばらく会ってねーけど、いつも通りだと思う」
「そっか、寂しいでしょ」
「普通。帰ったところであの調子だし」
思わず「会いたいなあ」と口にすると、
「うちに来ればいつでも」
と松岡くんはこともなげに言った。意味をはかりかねて言葉に詰まる。
「嬉しいけど、松岡くんち分からないし・・・」
「え?ああ・・・そっか」
どうやら気付いていなかったらしい。
「いつ帰るんだっけ」
「明日のお昼頃かな、月曜から始まるから」
ふうん、と松岡くんは喉の奥で答える。こうして並んで歩いているの、なんだか不思議だ。
スティーブくんがきっかけで、松岡くんと知り合って部活にも行った。そして今は一緒に花火を見に来てる。
人波は思った以上に混雑していた。頑張って見失わないようにしていると、松岡くんは振り返って手を伸ばす。
「こっち」
軽く手首を引かれ、再び隣に並ぶことができた。手のひらはあっという間に離れていく。すげえ混んでんな、と彼は呟いた。
「平気?」
「うん、大丈夫」
そう言いつつ間に人が出たり入ったり、言葉を交わすのもままならない。代わりに会場が近づいてきたことを知った。
「このへん、」
堤防に座った松岡くんにならってごつごつしたコンクリートに腰を下ろした。斜面になっているから視界は広い。すっかり暗くなった空を見上げ今か今かと待つ人たちを眺めていると、冷えたペットボトルが差し出される。
「ありがとう」
ちゃんと自分で持ってくればよかったと思いながらフタを開けると、入口が半分凍っていた。
「来る時に買ったやつだから溶けきってねえかも」
そう言ってがしょがしょとボトルを振る彼に倣ってみる。
その時ドンッ!と大きな音が聞こえた。鮮やかな光がパッと散る。
「おおー・・・」
すげえ、と呟く声が聞こえてそっと隣を見る。
まっすぐに空を見つめる綺麗な横顔に胸を打たれたような気がした。ときめき、切なさ、似ているけどきっと違うこの感情はなんて言うんだろう。
ボトルのフタを開けながら松岡くんが私を見た。
「今のすごかったな」
「うん、大きかった」
多分、開幕の合図だったんだと思う。挨拶のアナウンスが流れ、続くスターマインを撮ろうと携帯を掲げる姿が増えていく。
次から次へと花火が上がり、濃紺の空はカラフルな光の花束へ目まぐるしく姿を変えた。ペットボトル二本分の距離を開けて座っている私たち。来る時はあんなに喋ったのに、今は何も言わない。
「・・・俺、やりたいことがあって」
「うん」
「夢、ってか目標みたいな・・・まだ漠然としてるけど、とにかく前に進みたいって思ってる」
その言葉で、ひとりよがりな緊張が静かに溶けていく。
「・・・すごいね」
そんなつもりはないのに私の声がぽつりとこぼれた。
「やりたいことが決まってるの、すごいと思う」
「みょうじさんはねえの、」
「多分まだ・・・就職とかも全然、もう少し時間あると思ってたから。けど、あっという間なんだろうなあ」
「ごめん、別に急かすつもりとかじゃ」
「ううん。でももう夏も終わっちゃった」
大会、新学期、冬休みが終わればすぐに学年が上がる。本当に時間が経つのは早い。
「いい思い出ができて良かった。松岡くんともスティーブくんとも友だちになれたし、花火だって2回も、」
俺は、と松岡くんの声が遮る。
「まだ終わる気ねえけど」
真剣な瞳に射抜かれ心臓が跳ねた。
「言いたいことちゃんと言えてねえ」
「待って、」
「やだ」
「あの、よく分からないけどなんか準備みたいな、」
「みょうじさんが好きだ」
どくどく、体中を駆け巡る大きな音。ドンッと上がる花火。散り散りに燃え落ちる光に照らされる松岡くんの表情。
「・・・あの、でも・・・歳が」
「・・・年下だから?」
「そうじゃなくて・・・私の方が先に大人になるよ」
松岡くんは高校生、私は大学生。感情だけで答えは出せない。松岡くんの肩の力がすっと抜けるのを感じる。
「なら、待つ」
「えっ」
「・・・けど、答えがあるなら先に聞きたい」
少しだけ拗ねたような視線が向けられる。
「そうやって逃げんのずりい」
「逃げてなんか、」
「逃げんな」
そう言って松岡くんの手がこわばっている私の手にそっと触れる。
「!」
心臓が痛いほどうるさくてクラクラする。
「・・・手、やだ?」
いやじゃない。喉がつかえるから軽く頭を振って答える。すると松岡くんの手が軽く私の指先を包み込んだ。
「同じ、気持ちです」
からからの声でようやくそう答える。
「・・・ホントに」
「うん」
そっか、と呟く声が聞こえた。
「すげえ、嬉しい」
噛みしめるような松岡くんの言葉。
「なあ」
「うん」
「下の名前で呼んでいい?」
頷く。
「呼び捨ては?」
「いいよ」
松岡くんは「なまえ」と口にした。
「なんか変な感じがする」
目が合うと松岡くんは笑う。
「そうだね・・・なんか変」
「ついさっきまでみょうじさんと松岡くんだったのにな」
普段と似ている会話にようやく肩の力が抜ける。
「びっくりした」
「いきなりだったもんな」
「うん」
「俺もまさかこうなるとは思ってなかった」
「こうなるって?」
松岡くんは、
「だから、・・・好きになるって」
と目をそらして呟いた。ぎゅっと握られる手。
「手、ちゃんと繋ぐ?」
私がそう言うと、松岡くんは答えるようにしっかりと繋ぐ。指先を絡めて。
「そういうんじゃなくて、」
「いいだろ、別に」
「・・・まだちゃんと付き合ってはいないからね」
念のために伝えておく。
「あと半年だろ。あっという間だよ」
「分かってるけど」
「俺さ、」
「ん?」
言いかけた松岡くんは「いや」と困ったように笑う。
「やっぱ今のナシ」
「また?」
「ああ。そういやあん時のなまえ可愛かった」
「あの時?」
「呼び止めといてやっぱやめたってやつ」
プールサイドで呼び止め事件を思い出されてしまった。
「めちゃくちゃ焦ってたよな」
「忘れてください・・・」
一際大きな音を立てて花火が打ちあがる。
「うお、すげ」
ぢりぢりという音と共に黄金色の大輪がゆっくり幕を閉じた。
「来年も来たいな」
「そうだね」
できればスティーブくんとも一緒に見たい。すると、
「スティーブは連れて来ねえぞ」
と松岡くんが言った。
「なんで分かったの?」
「なんとなく。多分、アイツ今頃クーラーの効いた部屋で寝てるよ」
大きな体、ふわふわのシッポを揺らしてまどろんでいるスティーブくんの姿が思い浮かんだ。
「あのさ。大会、見に来ないか」
「行ってもいいの?」
「ああ。最後だし来てくれたら嬉しい」
「うん、行く。うちにも鮫塚出身の部員が何人かいるからみんなで行くと思う」
きっと誰よりも大きな声で鮫塚を応援する御子柴くんに私も倣おう。
松岡くんの手と繋ぐ、私の手。なんだか少し不思議だけど、ずっとこうしていたいとも思う。
やっぱり、まだまだ夏は終わらないみたいだ。


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