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箱根に行こうと思う。いわゆる聖地巡りだ。インハイが終わった今だからこそ意味がある。
廊下ですれちがった小野田くんに「聖地っていいよね」と言えば、
「最高ですよねー!」
と食いついてくれた。
「どこに行かれるんですか?」
「箱根だよー」
箱根?と彼は首を傾げた。
「なんの聖地ですか?」
「え、えっと・・・」
弱ペダ1年目のインハイだよ、なんて言えない。
「なんていうか、この夏を振り返りたくて」
「インハイ、いろいろありましたもんね」
「そうそう、そうなの」
「箱根は観光地なのに自転車だけで終わっちゃいましたし、あ、分かった!」
ひょっとして駅伝ですか!?と言われ「あ、まあ・・・」と答える。
「なるほどー!それはたしかに聖地ですね!」
結局、彼の中で私は駅伝オタクということになってしまった。なんでだ。
バッグに簡単な荷物を詰めて支度をする。
本当は東堂庵にも行ってみたいけど、さすがにドン引かれてしまうだろうな。せめてお金を貯めてお客さんとして行こう。そういえば本当ならボーナスの時期なんだよね・・・。
「はあー・・・ん?」
携帯が着信を知らせている。東堂さんだ。
「もしもし」
“もしもし、なまえちゃんか?”
そうですよーと答える。
“先日はレースを観に来てくれてありがとう。あらためてお礼を言いたくて”
東堂さん、律儀だなあ。
「こちらこそ、ありがとうございます」
“それで、あの日言えなかったことがあるのだが、どうしても直接言いたい。近いうちにまたそっちへ行ってもいいだろうか”
「あ、だったら私が箱根へ行きます」
箱根に?と東堂さんはくり返す。
“こちらへ用事があるのか?”
用事っていうか、と私は口ごもる。
“遠いし、わざわざ来てもらうのは悪い気がするのだが・・・”
「あ、行くのは決まっているんです。そのー、実はインハイで通った道をなぞりに」
我ながらなに言ってんだと思う。
東堂さんもそう思ったのか「来年の開催地は別の場所だぞ?」と怪訝そうな声で言った。
「でも、私にとって箱根は特別な場所なので」
胸を熱くした最初のレース。本で読み、アニメを観て、そして生で感動と興奮を味わえた。不安もたくさんあった。ストーリーがめちゃくちゃになったらどうしようって何度も思った。
だから終わった今はほっとしているし、あらためてあの道のりを辿りたいと思うのだ。
特別な場所か、と東堂さんは呟く。
「箱根も、今年の夏も、私には全部が特別なんです。ロードバイクに関わることができて本当によかった」
“そうか。オレも、なまえちゃんが総北のマネージャーになってくれてよかったと思う”
東堂さんの言葉に胸の奥がじーんとする。
“いつこちらへ?”
「明日のつもりです。東堂さん、お忙しいですか?」
“いや、かまわんよ。部活も落ち着いてるしな。それにわざわざなまえちゃんが来てくれるんだ。時間は作るよ”
なんて嬉しいことを言ってくれるんだろう。
「それなら、13時頃はどうでしょう?」
“大丈夫だ。場所はどこでもいいから、落ち着いたら連絡をしてほしい”
「分かりました」
それから少しだけ話して、電話は終わった。
あれ、そういえば今日は巻ちゃんの話をしなかったな。いいのかな・・・まあネタをくれと言われてもすぐには出てこないんだけど・・・。
「(明日が楽しみだな)」
箱根に行くし東堂さんにも会える。幸せすぎて今夜死ぬかもしれない。
***
早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
インターハイ1日目、本番開始地点の歩道橋の上から下を見下ろす。
聖地巡りがこんなにわくわくするものだとは思わなかった。
バスに乗ってコースを辿っていると、そこであった競り合いのハイライトを思い出す。
走馬灯か。いやもういいやなんだって・・・涙が出そう。
「(すごい、来てよかった・・・)」
ボーナスを棒に振るだけの価値はあった。ありすぎて黒字だ。
ごはんや休憩を挟みつつ、何度も途中下車をしてはシャッターを切る。ありがとう江の島、ありがとう箱根。
「あ、」
夢中になりすぎて肝心なことを忘れていた。東堂さんに連絡をしなくては。
約束の時間まであと30分ほど、電話をかければ彼はすぐに出てくれた。
”もしもし、なまえちゃん?”
「東堂さん、お疲れさまです」
疲れてなどいないぞ、と明るい声が返ってくる。
よかった、この間のレースのことは引きずっていないみたいだ。
”楽しんでいるか?”
「はい!もう最高です」
”それは良かった。なんならこのまま箱根学園に転入してきてもよいのだぞ?オレはいつでも大歓迎だ”
体がふたつあればすぐにでもそうする。そう答えれば「冗談だ」と彼は笑った。
”それで、どこで待ち合わせようか?オレはいつでも行けるのだが”
「すみません、あの・・・実は今、」
箱根の最高地点にいます、と私は気まずさと共に口にした。
一拍置いて、
”な・・・はァッ!?”
と叫ぶ声が響く。
”最高地点って、まさか山岳リザルトラインかよ!?”
「夢中になってしまって気づいたらこんな時間に・・・すみません、すぐに東堂さんがいる場所に向かいます」
いや、と東堂さんは遮る。
”すこし時間はかかるがオレがそっちへ行く。だから待っていてくれないか”
「!でも・・・いいんですか?」
”ああ。箱根の山はオレのホームグラウンドだからな。それじゃ、また後で”
そう言うなりぷつりと電話は切れた。思わず深いため息をつく。
「(やってしまった・・・)」
会ったらまず最初に謝らなければ。
***
ベンチに腰を下ろして待っていると、やがて遠くから自転車の姿が見えた。
「いた!」
あっという間に目の前まで来たリドレーから降りると、東堂さんはヘルメットを脱ぐ。
「ふう・・・まさかここが集合場所になるとは思わなかった」
「すみません、ご迷惑をかけて」
申し訳なくて頭を下げると、
「別に怒っているのではないぞ」
いきなり下から覗き込まれたことにびっくりして「うわ!」と声を上げてしまった。
「はは、元気だなーなまえちゃんは」
「はい、元気です」
いやばか私。なぜオウムになった。
「にしても、こんな何もない所でよく待っていられたな」
「少し離れた場所にベンチがあったので」
「ベンチ?ああ・・・なんというか、キミの熱意はメガネくんと通じるものがあるな」
我々は仲間だよ小野田くん・・・。
「しっかしずいぶん・・・そうだな」
しばらく考え込んだ後、東堂さんは言った。
「この先にうまい甘酒を出す店があるんだ。もちろん他のメニューもあるんだが、そこへ行くというのはどうだ?」
「ぜひ!」
「よかった。オレはこのままロードバイクで行くから、なまえちゃんはバスに乗って向かってくれ。バス停は店の目の前にある」
東堂さんが隣に腰を下ろしたため不思議に思って尋ねる。
「先に行かないんですか?」
「バスが来るまではここにいるよ。でないと、またキミを待たせることになってしまうからな。そもそも、」
こんな山の中に1人でいるものではないぞ、と東堂さんは眉を釣り上げた。
「誰かに襲われたらどうする。キミはすこし危機意識が足らんのではないか!?」
「お、おっしゃる通りです」
盲点だった。正論がグサグサ突き刺さる。すみません、と何度目か分からない言葉を口にする。
「頼むから・・・心配させないでくれ」
困ったように笑う彼に私は、
「ありがとうございます」
と顔を上げて言った。すると、ぐ、と東堂さんは言葉に詰まる。
「・・・まったく。敵わんよ、キミには」
「どういう意味ですか?」
「なまえちゃん、ニブいって言われないか」
東堂さんは小首を傾げる。吹き抜ける風がさらりと彼の髪を揺らした。
「特には」
「ホントかー?」
「ホントですよ」
話題を変えるため、私はバッグからデジカメを取り出す。
「たくさん写真を撮ったんですよ」
「ほう。見てもかまわんか?」
「もちろん」
再生の準備をしていると、東堂さんの体が少しだけ近づくのが分かった。かすかな緊張を覚えながら画面を見せる。
「ここがパレードランが終わった場所で、これが最初のスプリント対決のコースです」
「よく撮ったなー」
感心したように東堂さんは言った。
「バスの中からだろう?綺麗に撮れているではないか」
はい、と答える。なんだか、今までよりもずっと緊張している気がした。もしかしたら最初にふたりで会った時よりも。
それからしばらく指先で写真を送っていると、東堂さんは「うーん」と唸った。
「なんというか、箱根に入るとイマイチ実感が沸かんな」
いつもの練習コースだからなあ、と呟いている。そりゃそうだ。
「なんなら今だって走ってきたしな」
「そうでしたね」
「だが・・・終わったのだなと思うよ」
今年の夏はもう二度と来ない。だけど、立場は違っても私たちはたしかに同じ熱を共有していたのだ。
「この写真、オレにももらえないか」
「はい。もちろん」
ありがとう、と東堂さんは綺麗に笑った。
「キミが総北のマネージャーで良かった。なまえちゃんに会えて、ホントに良かったと思う」
彼がくれる優しい言葉になんて答えていいのか分からなくて、黙ってしまう。
しばらくして、私は気になっていたことを口にした。
「あの」
「ん?」
「今日は、巻ちゃんの話はしないんですね」
「そうだな」
どうしてだと思う?と東堂さんは尋ねた。
「どうして・・・忘れていたとか?」
「ライバルであり親友である彼のことを忘れたことはないな」
それもどうなんだと思いつつ、じゃあなんでですか?と聞き返す。
「なまえちゃんは、オレがキミと話すのは巻ちゃんのことを知りたいからだと思っているだろ?」
「ちがうんですか?」
ちがう、と彼ははっきり言った。
「そりゃもちろん近況が聞けたら嬉しいが。そうじゃない」
ほんの少しだけ、私と東堂さんの距離が近づく。
「オレは、なまえちゃんが好きだ」
頭が真っ白になる。理解が追いつかなくて、3秒フリーズした。
「・・・え」
「インハイが終わってもキミのことがずっと頭から離れなかった。だから、巻ちゃんから連絡先を聞いた」
それって、それって。
「だって、巻ちゃんは・・・」
「オレがうるさいから相手をしてやってくれ、とか言ったんだろ?まったく、たまに失礼なのだよ彼は」
東堂さんが、私を好きだって言った。その時ようやく、推しという言葉を思い出す。
変だ私、あんなに推しだ推しだとはしゃいでいたのに。今、胸の中で大きく刻まれている心臓の音は多分それが理由じゃない。
「返事はいつでもいい」
「えっ」
「だって驚いただろ?無理もない、キミはずっとオレと会う理由が巻ちゃんだと思っていたのだからな」
それは、正直否めない。毎回なにか巻ちゃんの話をしなければと思っていた。だけど、巻ちゃん以外のことを話している時間をいやだと感じたことは一度もない。
「私」
「っ、」
「東堂さんのこと、好きなのかな・・・」
私の言葉に彼はぽかんとした。
「いや、それは・・・さあ・・・」
「ですよね・・・聞かれたって困りますよね」
でもあの、と私は思ったことを続ける。
「こうして東堂さんと会ったり、話したりするのは好きです。だから、こういう時間がなくなるのは寂しいなと思って、いて」
途切れ途切れ、口にしながら必死に考える。
私は多分、きっと、東堂さんのことが好きなのかもしれない。
「なまえちゃん」
「はい」
「ありがとう。嬉しいよ、今はそれだけで」
遠くからバスが来るのが見えた。東堂さんは立ち上がる。
「・・・あの!」
「うお、」
好きです、と私は言った。
「好きです、東堂さんのこと」
驚いたような表情を浮かべていた彼はやがて、
「ほんとか」
と呟いた。
目の前に停まったバスが大きく乗車口を開ける。
とりあえず飛び乗った私の背中に「ずるいぞなまえちゃん!」という声が届いた。
振り返れば、赤い顔をした東堂さんが私を見上げている。彼が何かを言おうとした瞬間、扉は閉められた。
遠ざかっていく姿を後ろの窓から見つめる。
言った、言ってしまった。ひどいな私、あれはずるすぎる。
「(だって、)」
あの瞬間、たくさん考えて出した答えをとにかく言わないといけない気がしたから。
甘酒のお店に着いたらきっと怒られるだろうな。・・・でもいいや。
席についてようやく息を吐く。
本当にいろいろなことがありすぎた夏だった。インハイ、聖地巡り、そして。
やっぱりボーナスに未練はない。それから、巻ちゃんに報告しよう。
きっと長い国際電話になる。
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