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結果なんて最初から知っていた。だから、インハイメンバーが練習に打ち込む様を見るたび胸が締めつけられた。
「(どんなに頑張ったって勝てないのに)」
マネージャーは選手を一番近くで支え、信じる存在なんだと思う。なのに私はそれができない。
箱根学園は総北に王者を譲る。それが彼らの努力の先にある答えだ。
ほんの少しだけ、もしかしたらストーリーが変わるんじゃないかなんて考えたこともあったけど、果たしてそれが正しいことなのか。考えれば考えるほど、出口のない迷路にいるみたいに感じた。
毎日遅くまで残って走る彼らのそばにいるのが苦しくて、退部をしようとも思ったけど言えなかった。部誌を書くペンの動きが止まる。
「(どうしよう・・・書けない)」
何を書けばいいんだろう。
練習メニュー、タイム、校外試合の結果。レースレポートもまとめないと。
やることはたくさんある。それが少しだけ私を安心させた。彼らに対する後ろめたさが日に日に大きくなっていくたび、比例するようにマネージャーの仕事に打ち込んだ。そうすることで、勝手に罪滅ぼしをしているような気持ちになっていたんだと思う。
そんなある日、
「なあ」
山になったタオルを運んでいるとふいに話しかけられた。
「?はい」
振り返ることができないのでとりあえず返事をする。
「そんなに持ってちゃ前が見えないだろ。半分持つよ」
タオルが誰かの手に渡り、急に視界が開けた。
「ありがとう、ございます・・・」
新開隼人だ!と思った。同じ部活とはいえ、先輩の彼らとそれほど深い関わりはない。
「どこまで?」
「あ、ロッカーです」
オーケー、と彼は軽く頷く。すごい、近くで見るとめちゃめちゃ顔がいい。
「いつもこんなに遅い時間まで仕事してくれてんだな」
「洗濯は葦木場くんが一緒にやってくれているから、そんなに時間かからなくて」
そう言ってはっとする。
「(しまった、墓穴掘った・・・!)」
「そうか。葦木場がなあ・・・」
なんとなく顔が上げづらくて、前だけを見て歩く。
「あのさ」
「はい」
「おめさん、最近元気ないよな」
え、と思わず声が出た。
「そんなことないですよ。いつも通りちゃんと元気です」
「そうか?どっちかっていうと空元気って感じだぜ」
私、そんなふうに見えてるのかな。大事な時期に身が入っていないって怒られるんだろうか。
すみませんと言おうとした時、
「なあ、ちょっと自転車乗ってみないか?」
と新開隼人は言った。
「え?」
「上がる前にちょっとだけ。俺のバイク貸すからさ」
名案とばかりに目をきらきらさせている彼に連れられ、タオルを置いた私たちは部室の前に来ていた。夕暮れの地面をライトが照らす。
「いいか?自転車は先にまたがるんだぜ」
いや、明らかにこの車体大きいんですけど。ていうかすごいふらつく。
「あの、座れないです・・・」
「普通の自転車みたく地面に足はつかないからなあ」
この自転車に乗ってインハイを走るのか。ひょっとすると私はすごい体験をさせてもらってるのかもしれない。
「かっこいい」
気づけばそう口に出していた。彼のほうを見れば、満足げに笑っている。
「いいよな、ロードバイク」
「はい」
「楽しみだな。インハイ走るの」
心臓が痛くなる。インハイ。
「もし、」
「ん?」
もしも箱根学園が2位だったら。そんなこと、聞けるはずがない。
「みょうじ?」
「うわ、近!あっ」
思わずバランスを崩してバイクを倒しそうになる。やばい、これすごい高いのに!
「・・・っと。大丈夫?」
私ごと車体を支えて新開隼人はこともなげに言った。
「すみません!危ないところだった・・・」
こいつは軽いからなあ、と彼は笑う。
「よかった、ロードバイクって高いからひやひやしました」
「はは、そうだよな。悪いな、無理言って乗せちまって。緊張しただろ」
はい、と素直に頷く。正直に言う、こわかった。
「だけど丈夫なんだ。俺も何回か落ちたりしてるけど、今んとこ問題ないぜ」
「やっぱりすごくハードな競技なんだ・・・」
「そうだな。それにインハイなら怪我することだって普通にあるしな」
でもやめられないよ、と彼は言った。
「ずっとこいつと一緒に走ってきた。それはこれからも変わらないさ」
「・・・新開先輩は、自転車が大好きなんですね」
「ああ。おめさんは?」
言葉が出てこない。私は、どうなんだろう。
自転車が好き?それとも知ってるからという理由で、なんとなくマネージャーをやっているだけなのか。
「分かりません」
正直に答える。
「でも、一生懸命に自転車と向き合う姿は好きです」
ひたむきにうちこむ熱意に何度も心を打たれた。挫折してもくじけずに立ち上がる強さが好きだとはっきり言える。
「やっぱりみょうじはいいマネージャーだな」
いつもいい仕事してくれてありがとう、と大きな手がくしゃりと頭を撫でた。
「・・・何もできてません」
「たくさんしてくれてるよ。毎日遅くまで残って、片付けしたり記録付けてくれたり。寿一も尽八もそうとう助かってる。マネージャーがいてくれるから競技に集中できるって言ってるよ」
涙がこみ上げる。そんな、そんなの、マネージャーだから当然のことなのに。すいませんと呟いて袖口で涙を拭う。
「まいったな。ごめん、泣かせるつもりはなかったんだ」
「すいません、私が勝手に泣いただけで・・・!」
「あーあーこするなって。目が腫れるよ」
なんとなく気恥ずかしくてどうにか涙をひっこめる。穴があったら今すぐ入りたい。
「暗くなったし送ってくよ・・・って言ってもまだ目が赤いよな。ちょっと遠回りしてくか」
自転車を置いて、寮の前まで並んで歩く。
「オレさ、弟がいるんだ」
知ってる、と心の中で頷いた。
「たぶんアイツも来年ここに来ると思う。その時はよろしく頼むな」
なんだかんだ言っても、きっと弟くんにとって彼はいい兄貴なんだろうなあ。
「私も新開さんみたいな兄弟がほしかった」
「みょうじが妹だったら楽しいだろうな」
そんな会話をしながら門の前に着いた。
「ありがとうございました」
「ああ。目、もう大丈夫みたいだな」
私の顔を覗きこんで確かめると彼は笑った。
「もう大丈夫です。あの、ありがとうございました」
「なら良かった。それじゃ、また明日」
遠ざかる背中がもったいないような気がして、見えなくなるまで立っていた。
インハイメンバーとちゃんと会話してしまった。泣いてしまった。だけど、ふっ切れたような気がした。
私は結末を知っている。それでも彼らを応援したい。その気持ちに気づかせてくれたのは新開さんだ。
私にとって、彼はただのキャラクターなんかじゃない。一瞬一瞬をたしかに生きている生身の存在で、尊敬できる先輩なんだとあらためて実感した。
***
「おめェまた食ってんのかよ」
あいかわらず不機嫌そうな声が響く。
「いやあ、うまいからなんか食っちまうんだよな」
「ったく、それで腹割れてんだからムカつくわ」
ばす、と荒北が新開さんの尻を軽く蹴った。
・・・すごい光景だと思う。箱学の日常をこの目で見れるとは思わなかった。ドリンクを運びながらしみじみ感じる。私、今生きてる・・・!
荒北が叫んだ。
「マネージャー!」
「っはい!」
「今からコイツと走るからタイム測ってくんねえ!?」
今から?と尋ねる新開さんに「いいだろ、軽くクライム」と言った。
「クライム?」
「おお。オレもおめーも山は得意じゃねえ。てことはお互いハンデなしでやれんだろーが」
「なるほどな」
「ンで買ったほうが飲み物おごるってのどうだよ」
「いいな。乗った」
悪いなみょうじ、そう言って新開さんは私の運んでいたボトルケースを取り上げる。
「あ、」
「タイム測ってもらう代わりにこっちはオレがやっとくよ」
悪いからいいのに、そう思いつつ「ありがとうございます」と素直に感謝をした。
「ん」
先行こーぜ、と荒北が私を促す。
「はい」
歩きながら、「マネージャーって面倒くせェ仕事だよなあ」と彼は言った。
「ドリンクくらい自分で用意させてもいんじゃねーの」
「そうしてくれたら助かりますけど、それも仕事なので」
フーン、と荒北は答える。
「てかさあ、マネージャーの名字さっき知った」
ははは、と乾いた笑いが出る。いや、いいんだけどね。彼自身も途中から入部してきたわけだし、自転車と向き合うので精一杯だったことも知っている。だからまあ一応ね・・・うん。
「いいんです、荒北さんなんで」
「オイ、そりゃどーいう意味だ」
ギロリと鋭い視線が刺さる。
「あ、いたたた!」
「近頃の後輩はテメーといい真波といいずいぶん正直に言ってくれるよなァ」
容赦なくこめかみをぐりぐりされる痛みにもだえていると、
「待たせたな。おっ」
「おっせェよバァカ!」
「はは、あいかわらず靖友は口が悪いな。みょうじ、大丈夫か?」
「新開さん助けてください!」
「靖友、マネージャーは女子なんだから」
「わァってるよそんくらい、オトコに見えるかっつの!」
ようやく解放されてふらついている私を尻目に荒北は自転車にまたがった。
「マネージャー!」
「ッはい!」
やけくそに返事をしてストップウォッチを取り出す。そして彼らが走り出すのと同時にボタンを押した。
・・・あれ?ふたりがするのはクライム勝負、てことはゴールは山頂か?どうやって計測するんだ。
「おーい・・・」
ぼんやり突っ立っていると黒田に話しかけられた。
「おい、何やってんだよこんなとこで」
「いや、荒北さんと新開さんにクライム勝負するから測れって言われてるんだけど、どこでゴールするのかなって」
「そりゃ、・・・たぶん上か下った先だろうな」
「だよね・・・」
なにやってんだろうなあの人たち、と黒田は呆れたように言った。
「楽しそうだよねえ」
「人事かよ。おまえは楽しくねえのか」
不意の問いかけに「楽しいよ」と一拍置いて答える。
この時間が楽しい。本当ならいつまでも続いてほしいとも思う。
「黒田、練習は?」
「休憩中」
ふーんとうなずく。
「みょうじが退屈そうだから話し相手になってやるよ」
「ありがとー」
「棒読みすんな」
「うそうそ、嬉しいよホントに」
そうかよ、と彼はへたくそに笑った。・・・引きずってるよね、やっぱり。悔しいだろう。
「黒田さ」
「なんだよ」
「数学の宿題出てる?」
「あ?数Uか?出てる」
「やった?」
「まだだけど今日やる」
教えてください、と手を合わせる。
「なんでだよ」
「分かんないんだよー」
「はあ?分かんないって、」
「お願い、黒田塾を開講してください」
「開いてねえよ、んなモン・・・ったく」
彼は「明日の練習終わったら図書室来いよ」とため息混じりに言った。
「やった!」
「代わりに昼メシおごりな」
「うーん・・・仕方ない、手を打とう」
何様だよ、と笑って小突かれる。
「そういやあの人たちいつ出た?」
「さっきだよ」
「ならまだだいぶかかるだろ」
「だよねえ・・・」
しばらくして、ふたりはやっと帰ってきた。
「いやあ、すまねえな。タイム、せっかく測ってもらってたのにあんまり意味なかったみたいだ」
だろうね・・・。
「なに、黒田はサボりかよ」
休憩中です、と彼は訂正する。
「みょうじ、これ」
そう言って新開さんから何かを手渡される。パワーバーだ。
「お詫び。うまいぜ」
「え、いいんですか!」
やった・・・!一度食べてみたかった。すると今度は、
「ん」
「え?」
「おめーにやるよ」
荒北からスポーツドリンクが差し出される。
「べプシ買おうと思ったけど、泡立つからやめた」
「ありがとうございます」
荒北からのドリンク・・・奇跡・・・?
「大事にします」
「なんでだよ。飲め、今すぐ」
俺らも休憩するか、と新開さんは言った。
「黒田はちゃんと走ってこいよ」
「分かってますよ、荒北さんに言われなくたって!」
じゃあ明日な、そう言い残して黒田はその場を離れた。
「なに、デートの約束ぅ?」
「違いますよ。数学の宿題、教えてもらえることになって」
「へえ。マネージャー、数学が苦手なのか?」
苦手というレベルではない。ヒイヒイ言ってる。今さら高校生の勉強なんか分かるかって感じだ。
「3年になれば理数と文系に科目に分かれるからもう少しの辛抱だよ」
ケッと荒北は吐き捨てる。
「エリートは勉強もできんのかよ。・・・なあ、みょうじチャン」
「へ、えっ?」
小野田チャン、みょうじチャン。憧れの呼ばれ方ではないか・・・。
「下の名前はなんつうの?」
なまえです、と答えれば「へー」と荒北はうなずく。
「知らなかった」
「オレも」
「つか名字も今日知った」
それはさすがにひどいぜ靖友、と新開さんは苦笑する。そうだ、ひどいぜ靖友!
「いんだよ別に」
それは私のセリフじゃないかなあ・・・。
「あの、」
「ん?」
「自転車乗ってる時ってどんな感じですか?」
どんなって、と荒北は言いかけて口を閉じる。
「・・・うまく言えねえ」
「最高の気分だよ」
新開さんの答えに彼は、
「ハッ、まあ・・・そうだな」
と笑みを浮かべてみせた。
***
過ぎ去った時間がまるで昨日のことのようだ。
「(懐かしいなあ・・・)」
同じ部室にあの時の3年生はもういない。・・・にしても部室けっこう埃っぽいな。朝連の時に掃除してるって言ってたけど、出入りが多いからすぐに元どおりになってしまう。ロッカーからホウキを取り出して履いていると、ドアが開く音がした。
「あれ、みょうじ先輩」
「悠人くん」
彼は「掃除ですか?」と不思議そうに尋ねる。
「うん、ちょっと隅っこでふわふわしてたから」
「あー、まあそうなりますよね。手伝います」
「や、大丈夫だよ。もう終わるから」
「ならゴミ取りますよ」
悠人くん、いい子だよな。最初こそ尖らせて張っていたバリアもずいぶん薄くなってきている気がする。
彼は「そういえば、真波さんと仲良いんですね」と言った。
「そんなことないと思うけど・・・」
「ありますよ、そんなこと。いつも楽しそうにしゃべってるし」
「そうかなあ」
そう見えるのだとしたら、きっと1年間、同じ思い出を共有しているからだと思う。ペースがいい時も最悪の時も、ずっと先輩と後輩、選手とマネージャーの距離で彼を見ていた。
「真波とは2年目だからね」
ふいに、
「先輩はオレのこときらいですか」
と悠人くんは言った。
「え?」
「オレは好きですよ、なまえ先輩のこと」
「なに言って、」
彼の表情が自信に満ちているように見えた。
「ふたりきりですね、今」
まっすぐなまなざしが私を映す。
「好きです、なまえ先輩。俺と付き合ってください」
「・・・なんで私なの?」
最初から引っかかっていた。同じ部活の数少ない女子マネだから興味を持ったんだろう、なんて考えたこともあったけど、多分それはちがう。
「理由ですか?そうだな・・・」
隼人くんからいろいろ聞いてたんです、と悠人くんは話す。
「どんな人かなって思っててずっと楽しみでした。先輩っていい人ですよね」
彼は笑顔を見せる。
「優しいし、明るくて可愛いし。タイプなんです、先輩みたいな人」
先輩からしたら1年なんてガキかもしれないけど、絶対そんなこと思わせません。
「だから、」
「いいかげんにして」
これ以上聞きたくない、言わせたくなかった。
言葉にすればするほど、彼の兄に対するコンプレックスが痛いほど伝わってくる。
悠人くんの瞳が動揺する。だけど私だって限界だ。
「私を新開さんへの当て馬にするのはやめて」
「!」
「悠人くんさ、そういうのちょっとだけ面倒くさい」
しばらくして彼は、
「・・・ひどいこと言いますね」
と呟いた。
「ちゃんと本気なのに」
「嘘ですけど、じゃなくて?」
そう言えば、悠人くんは一瞬ひるんだように見えた。
「・・・スイマセン、急に変なこと言って。練習戻ります」
遠ざかる足音が聞こえなくなって、張り詰めていた息をようやく吐き出す。
私、ひどいこと言ったかもしれない。いや、言った。確実に言った。嘘ですけど、じゃなくて?は辛辣すぎるだろ・・・と自分の言葉に頭を抱える。
後悔しないと言えば嘘になるけど、こっちも限界点を突破していた。私が悠人くんと新開さんを区別するたび、彼はもっともっとと相違を求める。
だけどきっと、そういう答えや見方は自分で見つけるものだと思うのだ。誰かの言葉で安心するようなものじゃない、できるわけがない。・・・と思う。
「あー・・・もっと言葉を選ぶべきだった・・・」
明日から彼とどんな顔で接すればいいんだろう・・・。
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