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悠人くんは「これで堂々と名前で呼べますね」と言った。
「それは・・・ちょっと」
えっ、と彼は目を丸くする。
「なんでですか?」
部内恋愛はどこにでもある。けれど、体育会系を凝縮したようなうちの部で堂々とそれをするには勇気がいる。
しかも今はインハイ前、加えて3年のマネージャーと1年の選手。水面下であるいは水面で、噂が飛び交うのは目に見えている。
そんなことを一生懸命に説明すれば、悠人くんは不満そうながらも頷いた。
「それじゃ内緒の関係ってわけですね」
「そうなっちゃうかな・・・」
「別にいいすよ、オレは先輩と付き合えるだけで満足なんで。・・・でも、今みたいに誰もいない時ならいいですよね?」
「うん」
「やった。ならオレのことは呼び捨てして下さい。くんはなし」
「えっ」
いきなり呼び捨てはハードルが高い。けど悠人くんは「早く」と促してくる。なので仕方なく、
「悠人、・・・」
くん、と言いそうになるのをこらえる。これってけっこう大変かもしれない。私のそんな姿を見て悠人くんは頬を緩めた。
「なんか、ホントに付き合ってるみたいすね・・・すげー嬉しい」
なまえさん、と悠人くんは言った。
「なに?」
「オレも呼んでみたかっただけ」
一瞬、私が彼氏で悠人くんが彼女なのかと思ってしまうくらい可愛かった。ふと、歳の差が頭をよぎる。高1と高3、それと私の本当の精神年齢・・・
「?どうしたんですか」
「あの・・・本当にお付き合い、する・・・?」
「え!しますよもちろん」
今さらナシなんてだめですから、と悠人くんは焦ったように答えた。でも、だけど・・・!
「うう、なんかお腹が痛くなってきた・・・」
「大丈夫ですか、保健室行きます?」
「平気だから練習戻っていーよ・・・」
ふらふらしている私の背に「あの」と声がかかる。
「さっきの、嘘ですよね?」
不安そうに揺れる瞳に思わず、
「うん」
と答える。
「・・・よかった。それじゃ後で。あ、連絡先教えてくださいね!」
そう言って走り去る姿を見送っている私のお腹の中は、不安と緊張でいっぱいだった。
***
もしもタイムパトロールみたいな存在がいるとしたら、この状況はだいぶまずいんじゃないだろうか。きっとお縄にかけられて元の世界に帰るどころじゃない。・・・なんてことを半分冗談、半分は本気で考えていたらあっという間に1日が終わってしまった。
勢いにまかせて分かったと答えてしまったけど、本当は何も分かっていなかったんだと今さらながら反省する。
どうすればいいんだろう。誰かが答えを教えてくれたらいいのに。
部活が始まってからもそんな調子だったため、とうとう塔一郎から呼び出されてしまった。
「なまえ、具合が悪いなら上がっても大丈夫だよ」
申し訳ないと感じて「ごめん」と言いかけた時、頭に浮かんだ疑問を口に出す。
「塔一郎って何歳?」
「?17歳だけど・・・10月生まれだから」
思わずくらっとしかけた。17・・・。
「なまえも同じ学年なんだから歳なんか変わらないだろう?」
「そういえば私って塔一郎と同い年なんだっけ」
「ホントに大丈夫?やっぱり休んだほうがいいんじゃないか」
無理するよりはと早々に部活を切り上げさせられてしまった。体は元気なのに気持ちが重い。
「どうしたものか・・・」
嘘ですよね?と尋ねた悠人くんの姿がよぎる。
今ここで中身が元に戻ってしまったら、きっとがっかりさせてしまうだろう。それ以前にこっちの世界の私が大パニックだろうな・・・。
答えが出ない。まるで迷路の中にいるみたいだ。
悠人くんとの向き合い方、自分の気持ちへの折り合い、本当の年齢差。お願いだからタイムパトロールには見逃してほしい。
寮に戻る気にもなれず、なんとなく図書室に足を伸ばした。カウンターには誰もいない。
「(あ、)」
新刊の棚に有名なミステリーの最新作を見つける。そういえば新開さんが同じ作家を読んでいたことを思い出し、窓辺の席でページをめくった。
そうしてしばらく読みふけっていると、
「っいた!」
という声がしてびっくりして顔を上げた。
「悠人くん」
「体調悪くて部活上がったって聞いてビックリして・・・大丈夫ですか?」
「あ、ごめん・・・体調っていうか、ちょっと調子が悪かっただけで元気だよ。塔一郎が心配して上がらせてくれて」
「そうだったんすね、よかった」
ほっとしたような笑顔を見て、胸の奥が苦しくなるのを感じる。
「なんで図書室にいるって分かったの?」
「グラウンドから見えたんで。・・・本、好きなんですか?」
「たまに読んでるよ」
悠人くんは「なに読んでるんですか」と背表紙に目をやる。
「のださかみちお・・・有名な人ですか?」
「どうかなー・・・新開さんから貸してもらったことがあって」
あ。・・・ああーもう・・・。けれど悠人くんは何も言わずに隣の席に座っただけだった。
「あの、悠人くん」
「はい」
「練習、いいの?」
「少し抜けるって言ってきたんで。真波さんに」
真波にか・・・大丈夫かな、と思っていると「名前」と彼は言った。
「え?あ、」
「今はふたりなんだから名前で呼んでくださいよ。くんはなしでしょ?」
思わず、
「どうして私なの?」
と尋ねる。
「どうして、っすか」
「あの、たぶん悠人くんにはもっとちゃんとした相手がいると思う・・・」
はあ、とため息が聞こえた。悠人くんの顔が見れない。
「ちゃんと好きなのに、信じてもらえないですか」
「そうじゃなくて・・・」
後ろめたさに背中を押され、私はずっと抱えていた言葉を伝える。
「私、悠人が思っているような人じゃないかもしれないんだよ」
声が震える。心臓が痛い。
「どういう、・・・」
カーテンがそよぐ音が聞こえる。足元を泳ぐ陽だまりを目に焼き付けながら見つからない言葉を探す。
「好きです」
「っえ、」
「逃げるんですか、今さら」
「逃げ・・・てるわけじゃ」
タイムパトロールからは逃げてるけど・・・。
「あのね、なまえさん」
「うん」
「オレのこと、好きですか」
まっすぐ問いかけてくる悠人くんの瞳。私は彼をどう思ってるんだろう。
たくさん振り回された。けど私だってひどい言葉を投げたし、この子はそれを受け止めて私のことが好きだと言ってくれた。
「悠人くんの隣にいる自信ないよ・・・」
悠人くんは、
「自分がワガママなこと言ってるの分かってます。でも、先輩と離れたくないんです」
と言った。
「オレのこと、今は好きじゃなくてもいいから別れないでください」
声が震えている。きつく握られた彼の手。・・・答え、ちゃんと出さなきゃ。
深く息を吸って、吐く。
「あのね、悠人くん」
「・・・はい」
「ちゃんと答え見つけるから。それでもいい?」
悠人くんは大きく目を見開く。そして、
「なまえさんを好きなままでもいいですか」
と小さく口にした。予想もしなかった問いにも思わず頷く。
「・・・なら、それだけで十分です」
悠人くんのまなざしが安心したように細められた。
・・・おかしい、変だよ。私よりもずっと年下なのに、どうして心臓がこんなにうるさいんだろう。
「先輩、顔赤い」
「だって」
うん、と悠人くんの優しい声が響く。
「悠人くんのこと、本当に好きになりそうだから・・・」
図書室には誰もいない。私たちだけ。
悠人くんの手が、私の指先に触れる。
「!」
「ちゃんと見ててください、オレのこと。そしたら」
そんなこと言ってられないくらい、アンタのこと好きにしてみせます。
「だから、絶対に目をそらさないで」
私をしっかりと捉えている瞳は本気だった。はい、と答えるのが精一杯で、指先を見つめることしかできない。
送りますよ、と悠人くんは言った。
「今日はちゃんと休んで。そんでまた、明日からもオレの隣にいてください」
照れたような笑顔に今度こそ胸の最奥を撃ち抜かれ、私はとうとう自分の葛藤に白旗を掲げた。
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