《ひそやかな呼吸法(前)》

『ねえB組のみょうじさん、保健室に運ばれたらしいよ』

球技大会の日。人気のないところで休んでいれば、他クラスの女子達の会話が聞こえてきた。ここは完全に死角で、女子達は俺の存在には気づいていない。
『なんかプレー中にぶつかったんだよね?』
『そうそう。やばかったらしいね』
『担任におぶわれて退場したって聞いたよ』
その後も頭の悪そうな口調でベラベラと会話を続ける。くそ、俺がこいつらの会話を盗み聞きをしてるみたいで、気分が悪い。俺が先にいたのに、ふざけるな。
『――あ、やば。ウチらの試合始まるよ』
『まじ〜行こ行こ』
騒がしく足音を立てて去っていった。……やっと静かになった、これでまたゆっくり休める、そう思ったのに。自然と俺の足は保健室に向かっていた。

ドアを上げれば一番に消毒液のにおいを感じる。さっき保健室の教員とすれ違ったから、室内は何の音も立てず静まり返っていた。
ふと周りを見渡せば、一番奥のベッドがカーテンで閉められている。俺はそのカーテンにそっと触れた。
『……なまえ』
反応はない。掛け布団が規則的に上下しているので、気を失ってるというわけでも無さそうだ。
『本当鈍臭いよね、お前』
もちろん返事がくることはない。
『いつもヘラヘラして、何でもないような話を楽しそうに喋って、能天気に笑って……』
ポツポツと言葉が溢れる。らしくない。もしこれが狸寝入りで全て聞かれていたとしたら、どうやって誤魔化そうか。少しだけ不安がよぎったが、相変わらずビクとも反応しないので本気で寝ていると思っていい。
ゆっくりなまえの枕元に手をつく。
『……普通の幼馴染、なんだよな』
いつの日か忘れたが、成宮とそういう会話をしていた事を思い出す。そうだ。俺とお前は、普通の、ただの幼馴染だ。
徐々になまえの顔と距離を詰めながら、無駄とわかっている思考を巡らせる。もう頭ではダメだとわかっていても抑えが効かない。こんなことをして一体何になるのかなんて、そんなの知るか。もうどうにでもなれ。
そう思った時だった。
『……んッ』
俺の髪がなまえの頬を掠めた。それがくすぐったかったのかなまえは小さく唸り声をあげる。まずい、起きたかもしれないと咄嗟に距離を取る。
『んん〜』
寝返りを打った後、程なくして寝息が聞こえた。案外気づかないものなのか。――いや、単にこいつの神経が図太いだけだな。
『チッ』
その場にあった椅子に腰を落とす。
偶然家が隣同士だったから。偶然年齢が同じだったから。だからこいつは俺にとってただの幼馴染で、それ以外の感情はない。それが楽だった。そう思えていた昔のほうが、今よりずっと。

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