--淀んでいるだけ



これがベース

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愛と執着と何が違うのかなんて、どうでもいいのだ、そんなこと。手放さなければいい話でしょ。






朝。
薄明かりに照らされた部屋で、ボクは今日も息をする。まだ少し肌寒い空気を無視して着替え、鏡の前に立つ。手に持つ布が流れる感覚。さあ、今日も貪欲であれ。
丁寧に左を隠して、世界は半分になった。





「シンク!」

振り向いた時、右目側から近づく姿はもう見慣れたもの。
遅いとあしらい歩き出す。歩き出してからは左側。ボクの左を補おうとしているのだ。自分のせいだから、なんて。

――もう一年か、二年と経つだろうか。とんでもない雑魚に対してとんでもないヘマをやらかしたこいつの目の前で、ボクの左目は血にまみれた。あの時の顔は今でも思い出せる。片目でしか見えていなかったのが惜しいくらい。
さっさと片付けて、治療を受けて。傷跡は殆ど消えたけれど、左の視力は戻らなかった。

「戻るかどうかはわからないってさ。やってくれたね、アンタ」

仮面を外して、わかりやすく色の変わった左眼を見せた瞬間のこいつの顔も覚えている。泣きながら謝り続ける姿を見て、ふと悟った己の感情も。

ただの人間を庇うことなんてしやしない。どんな形であっても、己の手から零れることを許せなかった。だからこうなった。
愛とかどうとかであるかなんて知ったことでは無いけれど、ただこいつはボクの物として傍に在れば良い。何処ぞかへ駆けていくこともなく、隣に縛り付けておければなお良い。ずっとずっとそう思っていた。その姿を見て腹立たしいと感じたのも、思えばすぐに他へ駆けゆく姿に苛立ったせいだったか。

なら、ああ、ちょうど良い。今の状況を利用しない手は無いだろう。そう思って、珍しく心から笑ってやったことも。
全部、全部覚えている。



それから毎日、何かない限りは必ず傍にいる。ボクの目が治らない限りはずっと隣にいると、それが償いなのだと、自身に選ばせたから。以前はふと気づけば他の人間の元へ駆け去っていたこいつが、今はボクの傍を離れない。別に見えていようが見えていまいが、今となっては特に不自由もない事ではある。それでも左眼の代わりと健気に着いて回るのだ。振り向く都度に微笑んで、笑って、時折目を伏せて、そして微笑んでを繰り返しながら。朝も昼も夕方も…ついでに、夜も。

だからバレないわけがないのにね。


「さて、それで。どこ行こうってワケ?」
「…シンク…起きてたの?」


微かに狼狽えるような表情を浮かべ、振り向いたまま動かなくなる。片手には小さな紙切れが握られていた。
夕方、すれ違った男に手渡されていた物だ。男の挙動が浮ついていた辺り、どういう目的かなんて考えなくてもわかる。恐らくボクの眠っている間に告白でもしてしまおうという気で、こいつを呼び出しでもしたんだろう。行かせるつもりなんてないけれど。


「さっさと部屋に戻りなよ。意味ないんだから」
「で…も、ちゃんと、伝えるだけでも…したいよ…」
「…何、それ?まさかアンタ、あいつの所に行きたいなんて言うつもり?」


そういう訳ではともごつきながら、パッと赤らみを増した頬の色。フツフツと腹の底で何かが渦巻いた。久しく感じていなかった苛立ちと、暴力的な嗜虐心が声を上げる。


「あんたのせいでこうなったのに、許されるとでも思ってるの?」


反吐が出る程甘やかな声が流れ出る。扉と挟むように抱き込んだ背中がびくりと震えた。胸元からなぞり上げた右手で彼女の左眼を包み込む。動けずにいる哀れな少女が、辛うじて己の名を呼んだ。


「それとも何、やっぱりボクから離れたいんだ?」
「ち…ちがう、ちがうよ!そんなこと、思ってないよ…」
「あ、そう。安心した。ならいいんだけど」
「シンク、」
「――だって、言っただろ。"治るまで(一生)"、償ってもらわなきゃ困るんだよね」
だのに、今更何処に行こうって言うの?


もうすっかり動かない体を、ゆっくり扉から引き離す。
態とらしく欠伸をして見せ、手を引いて寝室へと引き戻した。ごめんなさいと涙を零す彼女を寝具の中に転がして、眠るまでを見届けた。気分が落ち着かなくてもおかしくは無いだろうに、なんだかんだと抵抗なく眠りにつくのは相変わらずというところ。

最近はこんなことも余りなかったので、中々久しぶりだった。ころころとよく笑うこいつは、いつの間にやら人の心を拐っていく。ここ最近は少しばかりぼんやりとして、大人しくなってきていたけど。逆にそれが庇護欲を唆る等と噂をしていた人間がいるのは知っていた。遠くで見るうちは構わなかったが、もう手を回してしまった方が良いかもしれない。

立ち去る前に、目元を赤くした寝顔にひたりと手を添える。初めて傍につかせた日もこんな顔をしていたような。あの時も片目でしか見れないことを残念に思っていたんだっけ。ふと思い出して、するりと眼帯を解く。閉じていた目を開いて、少しだけ瞬いて。

ああ、やっぱり。こっちの方がずっと良い。
ほんの少しだけ色味の違う両方の眼が、くっきりと少女の顔を映して笑った。


――今はまだ知らなくていい。むしろ一生知らなくたって構わない。この眼が隠されている限り、お人好しな少女は此処にいるはずなのだから。
とっくに治ったこの左眼で、ボクに縛られていればいい。

ただ、万が一にも。
知ってか知らずか関係なく、あいつが本当に、離れていくようなことが、この先もしもあったとしたら。…その時は、そうだな。
眠りに着く前に呟いた。



「…両眼とも、今のボクとお揃いにしてやろうかな」





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